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きみの音声

書き言葉にも音がある。と言うと変な感じがするけど、頭の中で再生される音声って、誰にでも存在すると思う。例えば「吾輩は猫である」、この一文は、だいたい落ち着きはらったニュアンスの声で再生される。どう転んでも、怒り気味の若い女性の声ではないだろうし、赤ちゃんの可愛らしい舌足らずな口調とも違うだろう。

書かれた文字に音はない。それは正しいと同時に間違っている。

外国語の勉強をしていると、いろいろな例文を目にする。「パルテノン神殿はどこですか?」「パルテノンですって?パンテオンの間違いではなく?」みたいな会話もあれば、「彼が運転免許を取った、奇跡だな」もある。

海外の日本語例文には「この白いものは何ですか?」「それは麻薬ではありませんか?」というのがあったらしい。空港とかで使うんだろうか。それくらいなら「こちらでお召し上がりですか、それともお持ち帰りですか」を学ぶほうが、使う頻度が高くてよくないか。

昨日みたのは「彼女は私を避けているようだ」だった。Elle semble m’éviter. 和訳を読んだとき、女性に避けられてちょっと悲しくなっている男性(あまり若くない)をイメージしてしまった。舞台はヨーロッパの街角、男性は灰色っぽい服を着ていて、あまり元気そうでも裕福そうでもない。

そんな勝手なストーリーを考えてから、いやいや「私」が女性の可能性もあると思った。フランス語は英語と同じで、主語を示す単語は一個だけだ。日本語のように、僕、わたし、わたくし、ウチ、あたし、なんて使い分けはない。拙者もそれがしも朕もない。

だから「彼女あたしを避けてるみたい」と訳したって間違いではない。こうすると、ちょっと不満げな若い女の子が浮かぶ。アメリカのティーン映画の最初のシーンで「あの子の名前はリリー。親友だと思ってたんだけど、近ごろ彼女、あたしを避けてるみたい」と吹き替えが入る。舞台は学校で、私服の10代の生徒たちがわいわいと廊下を行き来している。

もちろん「彼女は朕を避けているらしい」も成立する。これだと王冠をかぶった、ちょっと抜けた感じの王様が、知的で気の強い女性に振り向かれずポカンとしている様子が浮かぶ。「彼女は拙者を避けているようだ」なら、女性の不可解さに悩む武士が渋い顔になっているイメージ。「あの女わたくしを避けているようね」になると、なにかゴージャスな女性が、上から目線で事態を俯瞰している感じ。

書かれた文字であったとしても、文字だけが伝わるってことはないんだよな、と思う。そこに音声や場面が勝手に想像されることもある。なんならそのほうが多い。人は無色透明な情報、誰でもないような人を想定することはできないんじゃないだろうか。書かれているわずかな文面からでも、登場人物や舞台背景、文脈を、知らず知らずのうちに想像しているんじゃないか。

きっと多くの人に経験があると思う。名前だけ見て男性だと思っていた人が、実は女性だったとか。あるいはメールのやり取りだけで顔を知らなかった人が、思いのほか若かったとか、あるいは考えていた以上に年配だったとか。何歳でもないニュートラルな「人」を想定するのは、きっととても不自然で難しいことなのだ。

人はどうしても、若かったり年老いていたり、声が高かったり低かったり不満げだったり、言葉遣いがよかったり悪かったりする。それでときどき「年下とか年上とかなく、女性でも男性もなく、人として見てほしい」という台詞を聞くと「言ってることはわかるけど、無理だなあ、それ」と思ってしまう。

どんな属性にも規定されない「ひと」なんて私は想定できない。辞書の例文から「聞こえて」くる声で遊びながら、そんなことを考えた。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。