【小説】詐欺師の娘たち-4
その日から、私には母が1人、父が2人いる。
引き取られた先の夫婦にどうして子どもがいないのか、誰も教えてはくれなかったけど、そんなことは気にならなかった。私は孤児院では手にできなかった個室を与えられ、美しい母と優しい父のもとで育つことになる。2人が私の生い立ちについて、何を聞かされていたかは知らない。聞いていたところで、その後の扱いを大きく変えるような両親でもなかった。彼らは子どもが欲しかったのであり、私がそのお眼鏡にかなった。言ってしまえばそれだけ。
夫婦共働きの家庭で経済的に不自由もせず、一人娘として蝶よ花よと育てられた──。なんならここで話を終えてもいい。それは純粋な事実だから。でもそれだけだったとは言わない。蝶が常に明るい太陽の下を舞うわけではなく、花がいつも潤う大地の上に咲き誇るとは限らない。そんなことは、一見幸福な家庭に生まれ育った人間なら誰もが知っている。
母は30代の半ばに差し掛かっていた。それが何を意味するのか当時の私にはわからない。母はどんなときもただ「母」であり、何歳なのか、それが出産に向いた年齢なのか、子どもには関係がなかった。彼女はよく働き仕事を愛し、大抵のばあい家を空けていたけど、私は別に寂しくなかった。1人でいることには慣れていたし、休みの日には父か母のどちらかが外に連れ出してくれた。父と美術館に行くのも、母とショッピングモールに行くのも好きだった。
──どちらかが。そう、「どちらか」だった。二親揃って移動することは滅多にない。
仲の悪い2人ではなかった。家庭内離婚も家庭崩壊もしてない。父は仕事に出る前にゴミを捨て、母より少し多いくらいの頻度で私の食事を作った。母もそんな父を頼りにし、自らは遅くまで働いた。夫婦の会話はあったし、互いを無視し合っていたようなこともない。だから始めのうちはなんとも思っていなかった。父を「お父さん」と呼び、母を「お母さん」と呼ぶ、普通の家庭。普通の家族。深い沼に引きずり込まれる夢はもう見ない。母の目に留まった靴はやがて小さくなり、ある日捨てられた。
すべて終わった。私はもう詐欺師の子どもじゃないし、フランス語でマダムに挨拶する機会もなく、見ず知らずの男たちが押し入って「家族」を連れて行ったりもしない。かつての父がどうしたんだろうと思わないでもなかったが、両親の前でそれを考えるのは嫌だった。過去を思い起こさせる物はすべて消え、それでよかった。
つまり神さまは願いを叶えてくれた。「どこでもいいからここから出して」の祈りは通じ、人と暮らせるようになった。当然ながら通わせてもらった学校にも家にも服を着た人々が暮らし、どの家も微妙な差異はあれど孤児院ほど貧しくはなく、一緒に食事をすれば箸の持ち方もきちんとしているような人ばかりだった。
私の箸の扱いはと言えば、家に着いた日、最初の夕食の時に父に直された。「小さい子には難しいかな」と笑いながら私の手を取る父を、母は鋭い目で見ていた。その次の日は夕食はハンバーグとパスタだった。私はフォークとナイフとスプーンで食べ、きっちり揃えて置いた。母の眼光は少しだけ柔らかくなり、私は恐らくそのとき、彼女の娘になった。
「お父さん」は、私が考えうる限り完璧な父親だった。この人に本当の子どもがいたら、どんなによかっただろう。父は仕事に行く前にベッドに寝る私の顔を見て、一声かけてから出ていくのを習慣とした。それは「早く起きなさい」だったり、単に「おはよう」だったり、「まだ寝てるの?」だったりし、時には私を抱きしめてから玄関に向かった。それは誰に見せつける必要もない純粋な愛情表現で、「パパ」がしたこととはすべてが違っていた。それは、生活の余裕があり、人を愛する余裕があり、娘を冷たい目で射貫くいかなる後ろ暗い理由も持たない人間のすることだった。
私は忘れる。トースターで焼いたばかりのパンがどんなにおいしかったか、バレエ団のスターダンサーの名前、最初に父と思った人の髪の色、騙された女たちの嗚咽、トーコ、髪を引っ張られたこと、自分の出自、赤い靴、ピンクのエナメルシューズ、小さくなったドレス、「ボンジュール、マダム。ヴザレビアン?」、孤児院の廊下。
なぜ2人に子どもがいないのか。できなかったのか、その気がなかったのか。
神さまに祈りが通じた前例に気をよくした私は、寝る前にいろいろな願い事をした。叶わないのもあれば叶うのもあった。これは後者の話だ。
神さま、どうしてお父さんとお母さんには本当の子どもがいないの?わたし本当の子どもならよかったって時々思うの。そうしたらひょっとしたらもっと喧嘩できたり、思ったことを言い合えたりできたかもしれない。私はこの家でずっとお客さんみたいで、うーうん、それだけじゃない、お父さんとお母さんもたまに他人みたいに見えるの。
返事は返ってこなかったけれど、代わりに夢を見る。ベッドの上で母親が、父親をなじっている。2人とも半裸か、服を着ていない。母はすごい形相で父に迫り、父はうつむいて、声を絞り出すように何かを弁解しようとし、やがて絶望したように顔を両手で覆う。
絶望。望みが絶たれること。そのとき誰の、どんな願いが絶たれたと言うんだろう。神さまとはそれ以来、あまり話していない、ような気がする。
父はよく日曜日に釣りに行った。中学校からの同窓生だといういかつい男性が玄関先まで来て、一緒に車に乗って近くの港まで行く。
釣り?お父さん魚釣るの?
いつもの仕事姿からは想像もつかない趣味に驚いて、私は母に尋ねる。彼女は振り向かずに答える。
たいした釣り場じゃないわよ、あの港って船が来るばっかりで魚はほとんど釣れやしないんだから。遊びよ、遊び。
日曜日、迎えに来た男の車に向かう、父の顔は生き生きしている。まるで胸をときめかせる若い乙女のようで、私は友達っていうのはそんなに素敵なものなんだと思った。母がそれを見送ることはなかったけれど、もともとドライな人だから不思議じゃなかった。
夏の日の夕方、買い物に行った帰りに港を通りかかると、父と男性が別れるところだった。2人とも冗談を言い合っているみたいに声を上げて笑っていて、父は港に残り、男性は車に乗る。黒い大きな車は元気よく私の横を通り過ぎ、国道へ消えていった。
──お父さん、一緒に帰ろうよ……。言いかけて口をつぐんだ。見送った父の表情は、いままで笑っていた人間のそれではなかった。悔しさとか悲しみとか、そのほか当時の私が知っていたどんな言葉でも表すことができない。いまにも泣きそうな、諦めているような、怒っているような、耐えているような。
港には車道から海に下るところに芝生空間が作られていて、父はそこにゆらゆらと歩いて行って座る。座るというより、腰をそのままズドンと落とすような動作。少し酔っぱらっているように見えた。酒でも飲まされたのかもしれない。下戸なのに。
父は長いことそのままだった。港が夕陽色に染まって海の色が青くなくなって、潮風が涼しくなってきてもそのままだった。盗み見ているのもいたたまれなくなるほどの時間が経って、私は父の傍らに立った。それでも動かないから、私も隣に座った。港の陽はほとんど落ちかけている。夜になったら遮るものもないから、星が綺麗に見える場所。それまでここにいるつもりだろうかと思った。
長い沈黙。冷えていく夜風と、消えていく車の騒音と大きくなる潮騒のあとで、父は口を開いた。
お父さんは、嘘つきなんだ。
そうして泣いていた。子どもみたいに膝を抱えて、泣いていた。
(続く)
前回までの記事はこちら。
本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。