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しょぼ婚は、流行らないかも

 『しょぼ婚のすすめ』を読んでいる。結婚へのハードルを著しく下げる本……との触れ込みで、しょぼ婚とは「しょぼい結婚」の略になる。とりあえず結婚し、他人と社会をやっていくこと。
 
 いまは、独り身でも生きていくには困らない時代だ。ただそうは言っても、誰かと一緒に暮らすほうがコストパフォーマンスがいい。社会的信用も上がる。最初のほうには、そんなことが書かれている。
 
 そんなもんなんだろうか。自分が結婚したときに「これで社会的信用がアップした!」という実感は特になかった。ただ旦那さんは「結婚してるってだけで『ヤバイ奴度』が下がるねん」と言っていたから、なにかしらいいことはあるのかもしれない。
 
 パートナーがいると、周囲の扱いが違う。確かにそういうことはある。べつに結婚してなくても、同じ店に「男女ペアで入る」と「ひとりで入る」で扱いが違ったりする。あれはなんなんだろうな。前者のほうが、いつも少しだけ待遇がいい。
 
 なんであれ、結婚はして悪いもんじゃないから、したいならしときなよ……そう言われてるような気になる。婚姻に至る具体的な方法として「来た縁談は断らない」などが挙げられていて、かつてお断りを出した身としては耳が痛い。
 
 自分なりにもう少しソフトに表現するとしたら「お見合いの話がきたら、とりあえずは1回会ってみる」とかになる。写真やご紹介の言葉だけではわからないことがたくさんあるので、まず会ってみてフィーリングを見るのは大事かな……。
 
 むかし働いていた結婚相談所でも言われていたことだ。まず会ってみる、これが大事。最初からプロフィールを吟味して吟味して、それでOKと見なした相手としか会わないのは、結構リスキー。視野は広く持つほうが、いいお相手と出会いやすい。
 
 と、ここまで書いて思うけど、社会的信用とコスパの良さを理由に結婚する人って、どれくらいいるんだろう。少なくとも自分は「ひとりではカツカツだから、どうにか二人暮らしにすることで節約したい」と考えて結婚したわけではなかったんだよな。
 
 「社会的信用を上げて『ヤバイ奴度』を減らそう!」とも思っていなかった。ただ結婚を打診されたときに、ああもう今後こういうことはないかもな、と感じて踏み切った。感覚としては「機会があったからした」に近い。
 
 裏を返せば、機会がなければ(メリットがあると知っていても)しなかったかもしれない。だから「信用が」とか「コスパが」とかどんなに言ってみても、しない人はしないだろう。『しょぼ婚のすすめ』が、どんな層にどれくらい響くのか、いまいち不明ではある。
 
 結婚相談所で働いていたとき、ある女性がこぼしたのを思い出す。

「(上司が紹介した)お相手が34歳の年収300万くらいの方で、この先(収入が)上がる見込みもないんですよね……。言い方は悪いけど、売れ残り押し付けられてるんじゃないかって気がして」
 
 彼女は当時、20代前半だった。お見合いを受けたものの、あまり乗り気ではなく、もっといい相手がいると信じてたんだろう。34歳の方のほうは、彼女より先に会った人と交際を決めたので、結局おふたりのお見合いは実現しなかった。
 
 しかし30~34歳の男性は人気がある。会員数の少ないうちの相談所ではご紹介できる男性がいなくなってしまい、彼女は自然と退会を決めた。その後、入った大手の相談所でも20人近くに申し込んで断られ、カウンセラーに暴言を投げつけて辞めたらしい。
 
 そういう人が求めている「結婚」は何だったんだろう。なんとなく、彼女の頭の中に誰か他人がいて、その人より相対的にいい暮らしがしたい……そのための結婚を求めているように見えた。すべて想像でしかないけど。
 
 「相対的に」いい暮らしがしたい。いまの自分の生活との比較じゃなくて、他の誰かと比べてもっといいものが欲しい。そういう気持ちが「結婚」には絡んでくる。だとしたら「しょぼ婚」が流行るのは難しいな、なんて思いつつ読んでる。


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本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。