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おかえりオフィス勤務

 建築現場での書類作業があらかた片付き、職場はプレハブ小屋から本社のオフィスビルになった。やることはそれほど変わらない。違うことと言えば「完成品を踏むな」「配管を避けて通れ」みたいな表示を作らなくてよくなった、それくらい。
 
 現場では、それなりの規模の公共施設を建てていた。自分が事務として現場入りしたときには既に、工期に遅れが生じていた現場。ロシア‐ウクライナ戦争で、物資の輸送が滞ったのもある。

 それにくわえて、工事したはいいけど修正箇所が生じたとか、現場の物品が盗まれたとか、荷物が期日に届かないとか、紛糾しながらも工事は進んだ。
 
 最後のほうになってくると、事務所に出入りする人たちがだんだん臭くなっていった。みんな忙しくてお風呂に入ってない。職人さんも、作業を管理している課長も。あからさまに臭いと言うわけにはいかないので、とりあえず窓を開けて換気する。
 

「小谷さん、今日どこで寝ます?完成した部屋いいっすよ、機械室は涼しい。それとも車で寝よっかな」
「カーペット敷いてある部屋がいいですね。さすがに(偉い人の部屋)は恐れ多いんで(二番目に偉い人の部屋)ですかね」
「完全に末期な会話が聞こえてきてますけれども」 

現場での会話例


 男女を問わず、先輩たちは朝帰りになったり事務所に泊まったりしながら、タイトなスケジュールを遂行していた。次から公共施設を見るときには「やっぱみんなお風呂入ってなかったり、下着変えてなかったりしたのかな」とたぶん思う。
 
 これが他の職業だったら──たとえば料理人だったら「丹精込めてつくりあげたおいしい○○です、味わって食べてくださいね」と言えるけど、建物はそうはいかない。みんなが寝ないで建てた施設です、大事に使ってくださいね、なんて言われても辛い。
 
 自分がなんだかんだ建築に関わっているのは、そういう「顧みられないところ」が気に入っているのもある。人の生活に溶けるところ。感謝する人なんてほとんどいなくて、誰もがあたりまえに、職人さんたちが這いつくばって施工した床の上を歩く。
 
 それでいいんだと思う。
 
 今日はオフィスで、今度は一個の物件じゃなく、施工中のすべての建物の進捗管理に回る。荒々しくまとめられた書類の上には、工事の遅延理由が踊っていた。
 
 「この分野の専門家が足りない」「この時期は職人の確保がむずかしい」などは想像通り、よくある話。でも「地下に爆弾が発見されたため」になってくると、だいぶ辛いなと思う。こんなの誰が予測できるって言うんだよ。爆弾処理班なんて、職人さんの中にいたっけ?
 
 それでも工事は進む。私は「いま大変なのはここの現場です」と上役に知らせる資料を修正する。
 
 書類作業をずっとしていると、ふと自分が溶けているような気になる。ひとびとの生活の中に、すべての人の毎日の暮らしの中に、一個の歯車としてクルリとはまる。それが心地いい。
 
 なんて呑気なことを言っていられるのは、きっと現場と違って周囲がそれほど切羽詰まっていないからで、とりあえずオフィスにいる人はみな臭わない。自分も窓を開けないし、末期な会話も聞こえてはこない。
 
 現場ではベトナム語や中国語も聞いたけど、オフィスでは日本語だけ。階段は、あたりまえだけどちゃんと造られていて、現場の仮づくりみたいにガタピシと危なくない。剥き出しのコンクリートにつまずいたりもしない。
 
 プレハブ小屋の隙間風も。スカートの裾を、気づいたら汚している塗料も。サニタリーボックスがないから、黒いビニール袋で代用していた共有のトイレも。職人さんが閉じ込められて「鍵もってきて」と電話がかかってきた男子トイレも。
 
 どれもないオフィスで、現場がちょっと懐かしくなってる。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。