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リアリティ・トランサーフィンの考察⑯『状況と少し距離を置く』

前回の記事では人生ラインが変わるとき、それを前もって知らせてくれるサインについて見ていきました。トランサーフィンではこれと別に、幸運の波が差しのべてくる吉報のロープという表現も登場しています。このサインと吉報のロープの違いについて、おさらいという意味でここで整理しておきます。

といってもそれは簡単で、サインは自分が進んでいる人生のラインのすこし先にカーブが存在していることを知らせてくれるものです。対して吉報のロープはその人がどのような周波数のラインを歩んでいるかには関係ありません。たまたま、その人の人生ラインの近傍にある別のラインにラッキーな出来事のセクターが存在している時、そのセクターが発している周波数(情報)が自分のいるセクターに届くと、その反響という形であらわれるのが吉報のロープです。

吉報のロープにつかまれば、その周波数の波に乗った勢いでさらなる幸運が待っているセクターへと連続的に移動できることがあります。これが幸運の波という概念でした。

サインはあくまでいま進んでいる人生ラインの先で待ち受けていることと同じ周波数の出来事がいまいるセクターにおいても予兆として現れているということです。また、サインはよいことも悪いことも知らせてくれます。

このように吉報のロープとサインは本質的に異なるものですが、それに気づくことによって人生ラインが移動するという点においてはまったく同じです。実際、よいことのサインは吉報のロープと見分けがつかないでしょうし、見分ける必要もありません。


状況と少し距離を置く

さて、今回は第1巻の内容の締めくくりとなります。これまで紹介してきた内容で、すでになんとなくお分かりかと思いますが、トランサーフィンの基本的な考え方として、無駄なエネルギーを使わないというものがあります。

振り子と闘うのではなく、うまくかわしたり、手なずけたり、ということもそうですし、過剰ポテンシャルを産み出さないことも、まさにそれです。また、理性の働きを弱めて魂の言い分に耳を傾けるということも、やっぱりそれです。

エネルギーを無駄に使ってしまうのは、言ってみればなにも考えず真正面から状況に取り組んでしまうからです。そしてそれは、いつも自分が状況の真っ只中にいるからだと言えるでしょう。人はつねに、自分の置かれている状況を意識するものです。

しかし「自分の置かれている状況」というとき、すでに自分自身を状況の中に放り込んでしまっていることに気づく必要があります。そこでは、まず自分が中心にあって、そして自分をとりまく周囲の人々や出来事があるという視点から状況というものが構築されています。

でも、この考え方だと、おなじ環境でおなじイベントを共有している人たちは、みんなそれぞれ自分の置かれている状況を思い描いていることになりますから、人の数だけ異なる状況が存在していることになります。これでは意見が合わなかったり、利害が一致しなかったりするのも当然のことでしょう。じっさい、世の中はほとんどがこうなっているのですが、その元凶といえるのが、やっぱり理性なんですよね。

理性、あるいは自我といってもよいですが、これらは根本的に「自己中心的」なものです。人は自分のことを他の人や世界から独立している個人だと認識していますが、その認識の働きが産み出したものが理性であり自我であります。ゆえに、理性の働きは基本的に「まず自分が存在している」ことを前提としています。そんな理性が状況を把握しようとすると、必ずその中に自分がいる、すなわち自分が置かれている状況は――、となってしまうんです。

そこで、エネルギーを無駄にしないためにはどうすればいいか、という話に戻ると、そのためには状況から抜け出すか、状況と多少の距離をとる、ことが必要だということになるわけです。状況との間にわずかでも距離があれば、言いかえれば状況からすこしでも離れていれば、反応するにしても冷静に考えてやり方を決めることができますし、もっといえば反応する必要がないな、ということに気づく可能性もありますね。

自然は最初から完成されている。そのため、小流には、理性による最も賢明な考察と比べて、ずっと多くの合理性と論理性がそなわっている。理性が常識的な思考にどれほど自信があったとしても、やはり理性は間違いをおかすのである。しかしながら、もし理性がその熱意をほどほどに抑え、自らの積極的な干渉なしに問題が解決されることを可能な限り許すとすれば、理性による間違いはずっと少なくなるだろう。これは、状況と少し距離を置く、と表現できる。言い換えると、状況をかかえ込んでしまわず、コントロールを弱め、流れを妨げず、周りの世界により大きな自由を与えるということだ。

「振り子の法則」リアリティ・トランサーフィン―幸運の波/不運の波の選択
ヴァジム・ゼランド著(以降の引用文も同じ)
※太字はわたしによる強調です

バリアントの小流とはものごとの自然な流れのことです。それは最初からそこにあって、そしてそこには人間の理解を超えた合理性と論理性があります。下手に考えず、その流れに沿って動くだけで本当はよいのですが、理性はそうしたがりません。そして間違いをおかすのです。

とはいえ、理性は理性で必要です。理性が働きをほどほどに抑えてくれたなら、理性の理性らしさもまた、より一層際立つでしょう。そのようになるのが人間という生き物としての理想といえます。そのためには、状況をがっちりと抱え込むことをやめて、コントロールを手放すことだとゼランドは言います。

理性は、バリアントの流れに沿った自分の動きではなく、流れそのものを制御しようとするつもりなのだ。これがあらゆる問題や不快なことがらが発生する主な原因の一つになっている。

これも理性の自己中心性によるものです。理性は全体を把握して、その中を自分がいかに自然に動くかということをイメージできません。逆に、自分が世界の中心にいて、外側にあるものすべてをコントロールしたがります。

さて、ここでコントロールしようとする手綱をゆるめて、流れにもっと自由を与えてみよう。すべてに同意し、すべてを受け入れるように、と提案しているわけではない。ただ戦術を変更し、コントロールすることから見守ることへと重心を移すよう提案しているのだ。コントロールしようとせず、なるべく見守るようにしてみよう。

首を横に振る、反論する、言い争う、自分の説を立証する、干渉する、取り仕切る、批判する、などの行為に性急に出てはならない。あなたからの積極的な介入や抵抗なしに状況が解決されていくよう、猶予を与えてあげよう。

きっとあなたは、茫然自失とまでは行かなくても、たいへん驚くに決まっている。まったく逆説的なことが起こるだろうから。

コントロールすることを諦めることで、あなたは状況に対してこれまで以上に大きな監督権を手に入れるのだ。傍目八目、すなわち外部の観察者は、直接参加している者よりも、常に優位にあるということになる。

理性がコントロールをやめさえすれば、魂はバリアントの小流を発見するでしょう。そこには理性よりも高い次元の「正しさ=自然さ」が待っています。逆説的なこととはこのことです。

自分ごとでは悩みまくっている人でも、友達からの相談には的確な意見を迷わず出せるものです。それは文字通り「ひとごと」だからですが、であるなら、自分ごともひとごとのように扱うべきなんですよね。これが状況から少し距離を置くということであり、ゼランドの他の言い方でいえば「自分をリースに出す」ということでもあります。

振り返ってみると、あなたによるコントロールは流れに逆らっていたことが納得いくだろう。

他者からの意見は、故あってのことだった。そもそも言い争う必要はなかった。あなたからの干渉は余計なことだった。あなたが思い悩んでいた障害は、決してそのようなものではなかった。問題はそのままにしておいても、あなたの知らぬ間に、うまく解決される。あなたが期せずして受け取ったものは、そんなに悪いものではない。偶然に投げかけられた言葉は、本当に力を持っている。あなたの魂の不快は警告となる。あなたは余計なエネルギーを使うことなく、満足していられる。

これこそが、私が冒頭で述べた、流れから理性に与えられる豪華な贈り物なのだ。

トランサーフィンを学ぶと見えてくるのは、「ほとんどの問題(そしてそこからはじまる不幸)は人が自分で作り出している」ということに尽きると思います。なにもしないで生きていくことはもちろんできませんが、余計なことをしないで生きていくことは多分できるでしょう。そして、余計なこととは「状況をコントロールしようとする」ことなのでしょう。

内的重要性と外的重要性のレベルをコントロールすることこそ、非常に大切なことなのだ。この重要性を与えるということが、理性が状況から少し距離を置こうとするのを妨げるからだ。是非このことを忘れないでいただきたい。

コントロールするのであれば、それは状況のほうではなく、自分や外側のものごとに与えている重要性のレベルの方だ、ということですね。重要だ!というその瞬間に状況にしがみついてしまうことに気をつけなくてはいけません。



さて、これでようやくトランサーフィン 第1巻の内容が終わりました。

所有していることを忘れたまま書棚で眠っていた本がひょっこり出てきたので、これはなにかのサインだろうと考えてここまで記事にしてきましたが、はたしてこれはなんのサインだったのでしょうか。それはまだ、わたしにも分かりません。でも、なにかよいことのサインであることは確信しています。願わくば、読んでいただいた方々の人生にとって、これらの文章がすこしでも役に立てばよいなと思います。もしそうなったなら、それが一番よいことだと思います。

いままでこの note では「引用ノート」というマガジンを作って、そこで色々な本から興味深い一節をとりあげて、その内容の解説であったり、単なる感想であったり、それにちなんだエッセイ的な文章であったり、といったものを書いていました。しかし今回のような一冊の本の内容をまるごと紹介していくような作業はわたしにとって初めてで、実際にやってみると、これは思っていたよりも大変なことでした😌

でも、その代わりといってはなんですが、いままで読んだどんな本よりも、この一冊の内容は頭の中にしっかりと入りました。実はもともと、別で書いている In Spire というBLOGの方では今後、エネルギーとか周波数といった観点から色々書いていこうと考えていたところでした。なので、このタイミングでトランサーフィンについて考察させてもらったのは、なにより自分自身が今後書いていこうと思っていることの基礎を復習しているようなものだったと、やりはじめてから気づきました。まさにトランサーフィンはエネルギーや周波数の観点から人生で起きていることを解明しようというものですから、そう考えると、できすぎているなあと正直ちょっと思ってしまいます。

さて、第2巻についてですが、一ヶ月ほど間をあけて再開したいと思います。以前に読んだことがあるとはいえ、第1巻はこの記事を書くのにあわせて少しずつ読み進めていました。今回はなんとかなったと思いますが、このやり方だと先を見通せていないため、書いていくうちにほころびが出てきた可能性がありました。

なので、第2巻はいちど全部読み終えてから記事にしていきたいと思いますので、それまでどうかお待ちくださいませ。それではここまで読んでくださってありがとうございました🙂

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