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リアリティ・トランサーフィンの考察㉓『意識性について』

前回の記事の最後を以下のように締めくくりました。

つまり、外的意図が働くのは「魂のプランに沿った目的だけである」ということです。魂のプランに沿った目的とは、いいかえると「(他人のではない)自分の目的」ということですね。トランサーフィンの考えでは、どんな願望でも実現可能というわけではありません。

大切なことは二つあります。ひとつは、実現する見込みのある目的を見極めて、その実現を意図することです。これが今回の記事の内容でした。もうひとつは、実現する見込みのない目的と縁を切ることです。こちらについては、第1巻の内容のほぼすべてがそれについての話だといえます。

これこれこういう願望があるのですが、それはトランサーフィンで実現可能ですか?

という問いに対しては、「実現可能なものもあれば、実現できないものもあります」というのが答えになるでしょう。そして、実現可能な願いとは、その目的が「魂のプランのなかにある」ものだけです。なぜそうなのかについては前回の記事でご説明しましたが、読んでいただければ「それもそうだね」と納得いただけるのではないでしょうか。

とはいえ、魂と理性が一致している願望については、それについて所有し行動する決意すなわち意図を持つだけで実現してしまうわけですから、こういうケースにおいてはトランサーフィンって「やるぞと決めて行動しろ」と言っているだけでは?? と思われる方もいらっしゃるかもしれません。じっさい、それはその通りなんですね。

もっとも、願望と意図についてはここまで読まれてきた方はその違いを理解されていると思いますが、そうでなければ、つまりトランサーフィンを知らなければ意図を明確にせず、ただ願っているばかりということも往々にしてあるわけですから、これはこれで効果的な智慧であると言えるはずです。

一般的なというか、世にありふれた願望実現法って、わたしの知るかぎりにおいては「どんな願望でも基本的には叶いますよ」と謳っている印象です。叶わない理由としては、現実化するまでの時間を待てなくて、途中でその願望の実現を信じることをやめてしまうからだ、とか、まあそういうことが書いてありますが、そもそも「その願望は実現しないよ!」と教えてくれているのはトランサーフィンだけではないでしょうか。知らんけど。

わたしが思うには、人が幸せに生きるということにおいて、その中で願望が実現することが必ずしもその人にとってよいこととは限らないです。むしろ、実現してしまったことによってかえって苦労したり辛い目に遭ったりすることも少なくありません。

ですから、こうしてトランサーフィンを紹介しておいて言うのはなんですが、願望を実現させることよりも、いまこの瞬間に幸せでいられることにフォーカスするべきだというのが、BLOG や note の記事をとおしてわたしが言い続けていることの根底にある考えではあります。

それなのになぜトランサーフィンをこうして紹介しているかというと、それは「トランサーフィンの本質は幸運をつかむことよりも、不運や不幸を回避するためのテクニック」だと考えているからです。振り子や過剰ポテンシャルを人生から遠ざけることができれば、人生は自然によいものになっていきます。そして、振り子や過剰ポテンシャルを遠ざけるために必要なことはというと、まずは振り子や過剰ポテンシャルといった概念について知ることですが、そのあと必要になるのは「意識的であること」です。

トランサーフィン全体(3巻以降の内容はここでは含みませんが)においてゼランドが言っていることの核心はというと、実は「外側の世界と自分の内面の両方において、なにが起きているのかについてよく観察し、気づいていること」なんですよね。

この記事では話がちょっと行ったり来たりします。ここですこしゼランドの文章を引用しますね。

現実の生活において意識性のレベルは夢の中よりも高い。内的意図をコントロールするにはこれで十分である。しかし外的意図のコントロールには、もっと高いレベルの意識性が要求される。意識して見る夢の中でも現実の生活の中でも、外的意図をコントロールするには目を覚ますことが必要なのだ。

意識性とは、コントロールではなく、観察することだ。

「願望実現の法則」リアリティ・トランサーフィン〈2〉魂の快/不快の選択
ヴァジム・ゼランド著(以降の引用文も同じ)

ここでゼランドが使っている意識性とは「気づいている度合い」という意味です。意識して見る夢とはいわゆる明晰夢のことです。

内的意図は、いまいるセクターの中でなにかをしようと決めて、それを実行するという意図ですから、これについてはそれほど高い意識性は要求されません。言ってみれば、ほとんどの人がふだん普通にものごとを行っているその意識性で十分ということです。とはいえ、ここでも振り子や過剰ポテンシャルに気づいていれば、取るべき行動は違ってくるでしょうから、やはり意識性が高いことにこしたことはありませんね。

外的意図を働かせるには、すくなくとも「理性であるところの自分のこの顕在意識はこの目的を現実化させたいと思っているけれども、魂はこの目的についてどう感じているだろうか?」という次元でものごとを意識できなければなりません。

前に出しておいた宿題を思い出してみよう。ねだり屋、怒りん坊、無鉄砲者の役割は私たちにふさわしくない。人生という名前のついたゲームでトランサーフィンは自分の運命の主にどのような役割を割り振るだろうか? 今のあなたはもうご存知のはずだ。それは見張り役という役割だ。現実の世界におけるあなたの意識性の度合いが高まれば、その分自分の運命を効率よく取り仕切ることができるようになるのだ。

ここで第1巻で登場した伏線が回収されています。ねだり屋、怒りん坊、無鉄砲者という役割をとりあげて、これらはいずれもうまく行かないということが説明されていました。これに対してゼランドは「流れに沿って行って取ってくるだけ」でよいとして、バリアントの小流という概念や、状況からすこし距離を置くことの必要性を説いていましたが、これを実行する人のことを「見張り役」であると、あらためて言っています。

見張り役という言葉の意味としては、状況にたいして冷静に観察できる人という意味だけではなく、自分自身のふるまいや思考や感情をも観察できる人という意味もあります。

人が動物と異なるのは、知能のレベルというよりは、意識性のレベルにおいてである。動物は夢見ている状態により近い。動物の主な行動は、本能と条件反射という形で現れる自然によって組み込まれた紋切り型のシナリオで定められている。動物の行動とは、変更が利かないシナリオに従って劇を演じるようなものだ。その意味では、人間は「もっと覚醒してる」。人間は、この世界における個人として、自分自身と自分の居場所をありのままに認識する。だが、それでも、人の意識性のレベルはまだたいへんに低い。人は舞台上にいて、自分の役割を演じる。人はすっかりこのゲームに飲み込まれている。

ゼランドがいうところの意識性とは、わたしがいつも用いている意識レベルというものと実は同じです。つまるところ、トランサーフィンが要求しているのは「意識レベルを高めること」なんですよね。さきほど、願望が叶うことでかえって苦労する人がいると書きましたが、トランサーフィンの技法にしたがって目的を達成することで不運を招くことはないはずです。なぜなら、トランサーフィンは意識レベルを低くしている要因となるもの(振り子や過剰ポテンシャル)を人生ラインから遠ざけていくことを主眼にしているため、これに従って生きていくと、その人の意識レベルは多少なりとも上昇していくからです。

魂と理性の一致が外的意図を産み出し、外的意図が私たち自身の利益に従うよう意識性がそのためのチャンスを与えてくれる

あなたの意識に見張り役が常駐していると、意識性は最大限に達する。

「自分を見ているもう一人の自分」ということについて話したことはありませんか? 見張り役とはまさに、このもう一人の自分のこととも言えますね。このもう一人の自分は、意識の構造としてはたしかに普通の自我よりも高い次元にあるのですが、それでもこの自分は自我の一部です。なぜなら、それはもう一人のとはいっても「自分」だからですね。

ここで蛇足ながら説明しておくと、いわゆる覚醒や悟りにおいては「見ているものと見られているものが同じ」という境地に至りますが、このことを観照といいます。この観照のときに見ているのは「すべてであるところの一なる意識(神といってもよいです)」であって、「もう一人の自分」では決してありません。マインドフルネスに傾倒している人のほとんどはこの「もう一人の自分」を有能でお利口さんにすることには成功していますが、それは観照ではありません。この記事でこれを書く必要はないのですが、間違ったことを真理だと思いこんでいるとそれ以上の成長の機会を見失ってしまいますので、あえて触れておきました。蛇足ついでに言うと、真理は知覚そのものを書き換えていきますので、真理にふれて「真理だと思い込む」ことも本当はありません。ゆえに悟りや覚醒は他者の承認を必要としない自明のことなのです。

これはわたしの注釈です

いずれにしてもゼランドがいうのは意識的であることがトランサーフィンを活用するための大前提である、ということです。さらに外的意図までコントロールできるようになるには、それ相応の意識性が要求されるということです。そのような意識性(意識レベル)を獲得していくということは、「いまここ」に生きるようになっていくということでもあります。


さて、冒頭で引用した前回の記事の文章をここで再掲します。

つまり、外的意図が働くのは「魂のプランに沿った目的だけである」ということです。魂のプランに沿った目的とは、いいかえると「(他人のではない)自分の目的」ということですね。トランサーフィンの考えでは、どんな願望でも実現可能というわけではありません。

大切なことは二つあります。ひとつは、実現する見込みのある目的を見極めて、その実現を意図することです。これが今回の記事の内容でした。もうひとつは、実現する見込みのない目的と縁を切ることです。こちらについては、第1巻の内容のほぼすべてがそれについての話だといえます。

「実現する見込みのある目的を見極めて、その実現を意図すること」が大切であるとしましたが、「実現する見込みのある目的」には二つのパターンがあることがすでに分かっています。

ひとつは「魂が望んでいて、理性もその実現に肯定的になっている目的」ですね。これについては先ほど用いた表現を使えば「行って取ってくる」だけでよいはずです。つまり、実現させることを意図すればよいわけですね。

そしてもう一つは「魂は望んでいるけれども、理性のほうは実現困難ネガティブだと感じている」ような目的の場合です。

これについてトランサーフィンは、スライドという技法を用意しています。スライドについては次回の記事で紹介したいと思います。

今回は、そこに踏み込んで行く前にちょっと足踏みして、意識的であることの必要性についてお話しました。「トランサーフィンとは気づきによって現実を変えるための技術である」というふうに理解をしておけば、よりうまく活用していくことができるはずです。

それでは今回はここまでです。読んでくださって、ありがとうございました🙂


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