デジャビュ
昨日久しぶりでデジャビュを見ました。
デジャビュはデジャブとかデジャヴとか表記しますが
元はフランス語で
でじゃは、もうすでに、という意味
びゅ、は見た、または見られた、という意味になる過去分詞です。
あ、このシーン、知ってる、、、、っていうアレです。
昨日は久しぶりで美容院へ行き、ヘッドスパの後髪を切りそろえてもらっている間、副店長さんの色々な面白い話に耳を傾けていました。
そのときです。
あ、この説明、このシチュエーションで前にも聞いたことある。
デジャビュにはいろんな説があります。
本来は起こった出来事が脳に届くのにタイムラグがあるんだけど
何らかの理由で先に脳に届いちゃうんだとか。
不思議なことを、信じる、信じない、いろんな立ち位置があっていいと思いますが、不思議なことは実際に起こっています。
それを、んなわけあるかよーって思っていると
メッセージを逃してしまいます。
かといって、いろんな全てを無理に繋げてしまうとこんがらかります。
どちらにせよ、我が入ると、ややこしくなるような気がします。
とはいえ、我がなくなることもないので、そこはうまくフィルターできるようになるのが、もしかしたら人生の修行、なのかもしれません。
我の一種に執着というものがありますが、これさえ、宇宙の采配ではないと誰が言えるでしょうか?
ジャッジしない心の目を育てていくと、悔しさも悲しさも、怒りも恨みも、出てきた時に、打ち消したり無視したり、見て見ぬ振りをすることが、何かを遅延させているような気がしてきます。
逆にそこに注視しすぎれば、そこだけにエネルギーを注ぐことになり、また何かを遅延させるような気がします。
気づきの力とバランス力だよなーって思っていきています。
今そこにあるもの、を、ある。と認知できること。
ごまかしたり自分用に捻じ曲げたりしないで、見ること。
そんなシンプルなことがとても難しいということなんだなーと思います。
さて、昨日のデジャブの話に戻ります。
昨日のお話では、デジャブだと気づくちょっと前にその人がおっしゃっていたことが、すごく大きなメッセージでした。
その後すぐに、デジャブが来たので、わたしの解釈としては、
「宇宙が念を押している」
となります。
皆さんなら、どんな解釈をしますか?
自分用に捻じ曲げているとしても
そのことによって自分も周りの人も幸せになる。
そんな解釈をしていきたいなーって
思っています。
やまと湯にもぜひ遊びにきてくださいね。
サムネイルはtikutakuさんの素晴らしい画像をお借りしました!
見ているだけで、何だかワクワクします。
ありがとうございます。
ゆっくり自然なペースで更新していきます。