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心地よさの正体はアナログであることか

年の初め、日帰りでスキーに行った。東京から新幹線駅に降り立ち徒歩5分くらいの小さなスキー場。5時に起床して8時半には到着してた。スキー場のには食堂兼スキー一式レンタルのお店があり、おそらく一番乗りだったらしい私たち。子どもが履くスキーについてやサイズを合わせてくれたりとても親切にしてもらった。
長男は初めて、次男は2回めのスキー。

支払はすべて現金で、クレジットカードもは使わなかった。電子マネーの表示も一切見かけなかった。スキーもウエアも最新ではないかもしれない。ホームページも最低限の情報が掲載されているのみだった。でも、でも、レンタル借りるときから、リフト乗るとき、乗るのに苦労している子連れを見て速度をおそくしてくれるだとか、食堂もカレーや牛丼が美味しかったり感じがよかったり、子どもの初心者スキーでハの字にするグッズがあると教えてくれたりだとか、スキー場に関わる人びとがことごとく親切で温かかったことに、ここ最近味わっていなかった旅情を感じてすっかりこの場所のファンになってしまったのだった。子どもが小学生のうちはまたここを訪れようとリピーターとしての所信表明を夫にした。

インターネットの情報はいま巷にたくさんあるけれど、今回は情報が潤沢じゃないことが問題にならなかったな。

電子マネーは便利かもしれないけれど、今回その存在がなくてもまったく気にならなかったな。

今回旅行をして「とてもすてきな経験をした、またここに来たい」と思ったその気持ちに、情報のリッチさやデジタル具合は直接的に関係していなかったように思う。もしかしてむしろ事前情報があまりなく、現地に行ってみて「いい!」「好き!」と思ったその気持ちの振り幅が大きければ大きいほど、満足度が高いんじゃないか。(子どもがおむつとれる前は赤ちゃん情報が多く欲しかったかもしれないけれど。)そしてそれをつくるのはほとんど、そこで出会う人との関係。インターネット普及以前の旅行を経験しているからそう感じるんだろうか。なんでもかんでも、すーごくいいなと心に残ることはみんな、アナログなところにあるんだよなあ。

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