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筆箱ちょうだい事件

どうでもいい話

 小学1年生の授業初日、後ろの席に座っている女の子に話しかけられた。
「その筆箱、ちょうだい」
入学にあたってサンリオのショップで買ってもらったマロンクリームの筆箱を指差して彼女はそう言った。小学校で初めて話しかけられる同級生に、名前を聞かれるでもなく、挨拶をされるでもなく、私は所持品を要求された。
 学校で使うのを楽しみにしていた筆箱だ。入学前に用もなく開けたり閉めたりして愛でていたし、妹にもそれとなく自慢した。もちろんあげたくなんてない。でもハッキリと断る勇気がなかなか湧いてこない。幼稚園からの同級生がいなかった私にとって、最初の会話のハードルは非常に高かった。そもそも初めての会話で「筆箱ちょうだい」と言われることを誰が想定するだろうか?小さい声で「お母さんに聞いてもいい?」と答えるのが精一杯だった。彼女はそんな私とは対照的なテンションで「絶対ね!約束ね!」と目を輝かせていた。
もうダメだと思った。小学校の授業初日から翌日が憂鬱になるとは思いもよらない展開である。

 帰宅後、母親に「筆箱って友達にあげてもいいの?」と尋ね経緯を説明すると2つのことを教えてくれた。
・回答はNOであること
・今後友達との間で譲渡が発生する際には必ず母に確認をとること

 翌日、それらの回答を伝えると彼女は「ふーん」とだけ言い放ち、それ以降「筆箱ちょうだい」と直接言われることはなくなった。が、その代わり筆箱は交換条件に挙げられるようになった。彼女に何かを頼んだりしても応じてくれることはない。ただし筆箱をくれる場合はその限りではないという条件を出される。私は悩みつづけ「あげたほうがよかったのでは」と思うようになっていたが、夏休みの前くらいにあっさりと要求されなくなった。諦めた理由は知らない。

 何の因果か、彼女とはそのあと6年間同じクラスだった(とはいえ同じクラスになる確率は50%である)。学年が変わるたび、座席が名前順に並ぶ慣習があり、お互いの苗字の都合から新学期には必ず彼女と隣接することを余儀なくされた。そのたび私は筆箱のことを思い出した。彼女は筆箱ちょうだい事件後も何かと意地悪なムーブを続け、ついに卒業までプラスの印象を受けることは一度もなかった。

 実は、中学校に上がったあと彼女はクラスメイトから何か嫌がらせを受けたとかで学校に来なくなってしまった。詳細を知らないので彼女が可哀想だったのかザマアミロだったのか評価できないが、結果的には2年生になるタイミングで別の中学校へ移ったそうだ。
(ちなみに、彼女が転校した後の話は今の今までどの同級生からも聞いたことがない。)

 店頭に新学期準備の品が並びはじめると、筆箱ちょうだい事件を思い出す。人された良い施しを大切にしていたいものだが、悲しいかな、嫌な記憶のほうが心には残りやすいものらしい。人の記憶は全然平等じゃなくて偏りの方がずっと多いと思う。何かが起こったときに覚える感情は各々の状況から相対的に導き出されている。この話も小学校一年生にとって筆箱が大きなウエイトを占めているから=嫌なのだ。いまとなって「筆箱ちょうだい」と言われてもきっとここまでは根にもたない(嫌だけど)。
 ただ、そういった他人の状況を器用に推し量って効果的にインパクトを与える能力の持ち主はいるように思っていて、私はそれがカリスマ性ってやつなんじゃないか?とも思っている。つまり、彼女にはカリスマ性があったのかもしれないとも考えられる。
 でももし中学で嫌がらせを受けて転校したことを逆・武勇伝にしてインターネットのメンタルヘルス界隈のカリスマとして君臨していたら「人の筆箱を強奪しようとしたくせによ〜」と思ってしまうかもな。しかし、私がムカつくことばかりしてきた彼女のことだし案外そんな風に生きているのかもしれませんね。

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