カフェのテラスでカフェオレ~大崎清夏「ヘミングウェイたち」の空間

 都内でときどき足を運ぶ界隈で、小一時間ほど時間調整をする必要があった。
 カフェに入るか。
 いつも行く廉価コーヒーチェーンに身体を向けようとして、今日はいつもと違うことをしようと考えた。
 近くに、テラスの付いたベーカリーがあることを思い出したのだ。そうだ、大崎清夏『目をあけてごらん、離陸するから』の短編「ヘミングウェイたち」が、カフェのテラス席を選んで座る話だった。変に自意識過剰なところがある自分は、これまでカフェのテラスに行ったことがない。けれど、今日はそれをやってみよう。
 ベーカリーに到着した。まずはテラスを見て、誰もいないことを確認する。よし、これなら周りのお客さんに気をとられることもない。
 トングでクロワッサンをトレイにのせてレジへと運ぶ。「これとカフェオレをください。こちらでいただきます」。と「(クロワッサンを)あたためますか?」と聞いてくれたので「ぜひ、お願いします」と返事する。
 待つこと3分、クロワッサンはリベイクされ、カフェオレが淹れられてきた。トレイを持ってテラスに出る。坂の途中にあるベーカリーの店内よりもテラスは数段高くなっているので、階段を登り、テラスへ通じる小さな扉を開く。
 まずは大崎のストーリーどおり、「テラス席のひとつを注意深く選んで腰かけ」た。うんうん、予想どおり、店内からはテラスが見えづらいしつらえである。
 次に「マスクを外し、自分にできる一番深くてゆっくりした深呼吸をひとつ」した。大崎のストーリーは夜のカフェ、わたしが今いるのは午前中のカフェだが、それは問題ではない。
 自分がいま、ここにいることを感じる。暖かい日が続いたあと、いま「冬はケーキ作りに使うお酒のように街にじゅっと染みこんで」いる季節がやってきたのに、ここにいて寒くない。
 今度は通り側を見る。大通りに面してはいるが、生け垣で隔てられている。真冬で葉がすっかり落ちているが、格子のように枝が交差しているので、通行人と目が合うことはない。つまり、店内からも店外からも視線が届きづらい空間にいま自分はいるのだ。
 これはいい。カフェから雑踏を眺めているのに、誰にも自分が見えることがない。
 安心して、クロワッサンを少しちぎってをカフェオレに浸す。こんなことをしても、誰からも、冴えないおばさんが気取っていると思われたり、冷笑される心配もない。
 しっかり焼き上げられたクロワッサンがカフェオレの水分を吸ってやわらかくなり、食べやすい。バターの香りが強く立つ。そうか、こんな味になるのか。
 一口だけ試したら、次からはいつもどおり、クロワッサンとカフェオレを交互に口に運ぶ。やっぱりこっちのほうが好みかな。パリパリした食感が好きだから。
 もう一度通りに目をやると、師走の街を行き交う人はみな足早だ。わたしも少し前まではそうだった。
 でも、もう、あちら側に戻ることはない。昨年まで「私が私の自由を差しだして恐怖に屈し」ていた。「手足の指先が痺れ、頭痛のしてくるほどの怒りが」、自分の「全身を浸す――ブランデーがスポンジ生地にじゅっと染みこむときのように」という状態だったけれど、いまは違う。「生きる時間を自由に行使している」のだ。
 その自分を満喫しているわたしは、「負けない」。そして「怯まない」。「すこしずつ、すこしずつ。指はうまく動かなかったけれど、まだほんのり温かいコーヒーカップを自分の脇に置いて、」わたしは「書きはじめ」る。


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