放送大学 日本語学入門第6回「語彙―意味のネットワークと位相」石黒圭教授

 第6回はふたたび石黒教授の登場である。

ネットワークとしての語彙

 こういうのは一番好きなところ。例えば「椀」という語がある。その類義語は「丼」「鉢」「皿」、上位語はそれらをまとめて「和食器」、さらにその上位語は「食器」ということになるだろう。
 これに対して、「椀」を細かく分類した「茶碗」「飯碗」「汁椀」「盛椀」は椀の下位語になる。さらに、「茶碗」を分類すると「抹茶茶碗」「煎茶茶碗」「湯呑み茶碗」などになり、これが茶碗の下位語ということ。
 次に「対義語」の概念を考えてみる。「表」の対義語は「裏」。ここまではよい。だが「姉」の対義語はどうだろう。「妹」なのか「兄」なのか。この辺はなかなか分類が難しい。そのため、本講では「対義語」という項立てはせず、「類語」という分類でくくっておく。

類語の使い分け

「与える」という語には「提供」「支給」「配給」「発給」など多くの類義語がある。それぞれの語には、結びつく語の範囲というのがある。「情報」「サービス」と結びつく「提供」は、意味としては「相手にとって役に立つ物事を与えること」、「交通費」「児童手当」と結びつく「支給」の意味は「約束されている金銭を与えること」になる。
 一方「配給」は「食料の配給」「日用品の配給」のように、戦争や災害で生活に必要な物資が極端に不足している状況で物資を無料で平等に配ること、「発給」は「旅券の発給」「査証の発給」のように、パスポートやビザなど、出入国に関わる書類の発行に限られて用いられる。この2語は、「結びつく範囲の狭い語」の例といえる。

語の位相とは

 話し方、すなわち「どう話すか」は「誰が誰に何を用いて何について話すか」によって影響を受ける。「誰が」という話し手の属性、「誰に」という聞き手との人間関係、「何を用いて」というコミュニケーションの媒体、「何について」という話の内容を位相といい、それぞれの特性によって位相語と呼ばれる特徴的な語群を形成する。
 まず「誰が」について考えてみる。たとえば「女性語・男性語」といった話し手の属性がある。これは翻訳ものでよく話題になる。「~だわ」は女性語、「だよ」は男性語というわけだ。
 もちろん実際には女性と男性はほとんど同じ言葉を使っているのだが、こうした役割語というのは翻訳書や昔の小説だけではなく、現代の作品にも頻繁に登場する。よって、一般に使用されている語と「役割語」は別だと考えるのがよいだろう。
 「誰が」の次は「何を用いて」というコミュニケーションの媒体の位相について考える。
 音声言語である「話し言葉」と文字言語である「書き言葉」を対立させて考えてみる。話し言葉の場合、厳密な言い回しかどうかはさほど問われない。だが書き言葉は性格な言葉遣いが必要とされる。
 また、名詞・動詞・形容詞は、和語よりも漢語の方が書き言葉らしいとみなされる。「きまり」ではなく「規則」、「休み」よりも「休憩」が書き言葉らしさが出る。
 だが副詞になると、漢語より和語のほうが書き言葉に多く使われる。「全然」は話し言葉で「まったく」は書き言葉らしく響くのがよい例である。

語の内包的な意味と外延的意味

語の意味を考える場合、まず国語辞典に載っている意味を考えるだろう。たとえば「学校」は「先生が、児童や生徒などに勉強を教える所」と語釈が載っていたりする。この意味には、自動車学校や調理学校のように技能を教える各種学校は含まれないが、学校教育方第1条に規定されている学校であれば、どんな学校でも共通して当てはまる。このような意味は「内包的意味」と呼ばれる。
 だが「学校」には特定の具体的な学校を指すことがある。夫婦の会話で「◯◯(子の名前)は今どこに行っているの?」「学校だよ」と言われたら、子どもが通っている、ある特定の学校が互いの頭の中にイメージされる。これを「外延的意味」という。
 日常的に使う語の場合、内包的意味よりも外延的意味で使うほうが圧倒的に多い。つまり「文脈を互いに理解している」からこそ成り立つ会話である(と久松は思う)。
 今日の話は興味深かった。石黒先生の話はいつ聞いてもとても面白い。いろんな機会を見つけてもっと聞きにいきたいなぁ。

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