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サン・キリアとの謁見。

「お久しぶりだね、宇宙飛行士くん! お元気?」

さて。
そんな声と共に目を覚ました時、私の隣にノヴァ・タラッタも流星群の娘もいなかった。

私の目の前には、ステンドグラスの巨大な壁が彩った数段上の白い世界。私の体を支えるのは随分と手触りのいい赤いクッション。

手探りに生地を撫でていると、数段上の豪奢な椅子に座った、華奢な女性がもう一度問うてくる。

「ねえ、答えて。お元気かな?」

私が連れられてひとつ頷けば、満足そうに微笑む。その姿は、胸元までの黒髪を揺らした赤目の女性だった。

豊穣を讃えるような果物の髪飾り、赤などの暖色を基調とした服。
髪以外黒を持たない彼女は、日の下が良く似合う。

そんな彼女は太陽の王。
名前は、サン・キリア(太陽の淑女)と言った。

彼女は日焼けのない手をゆるりと伸ばし、指をわかりやすく折り進め、口を開き直す。

「ねえ、宇宙飛行士くん。実は私も、こういう立ち位置って苦手なんだけどね……でも他にする子がいないなら、私が担うの」

「早くこんなつまらない話は終わらせよう? ムーちゃんに会いたいし……うん、早速始めちゃお。今日君に伝えたいのは、ここでのルール!」

五本指が開かれた手は、くるりくるりと回る。彼女の手から溢れた光は、小さな球体となって彼女を取り囲むように回り始める。

「この世界は秩序があると言えばあるし、ないと言えばない。それでもね、青い星に重力と引力が存在し、君らがそれを守るしかないように。太陽の周りを整然と星々が回るように。暗黙のルールは存在するの」

「だから覚えられることは覚えるといいんだよ〜……なんて思ったり。まあ、覚えなくても死にはしないけどね。理解が深まってこそ、楽しいことも、悲しいことも、正義も悪も判別できるだろうから」

全てにおいて絶対の正解なんてないけどね、と付け加えた口は少し尖り、悩むように頬に手を添える。

「まず、そうだなあ……覚えてほしいことはみっつだけなんだけど」

柔らかな頬を揉み悩んでから細い指を三本立て、一本一本折っていった。

「ひとつめ。太陽系惑星は、私も含めて『キリア』と呼ばれていて、十一名の女の子で成り立ってるの」

十一。その数に私が首を傾げれば、目の前の淑女は察したように苦笑した。

「数が合わないよね。まず、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星。そこに私、太陽。あとは貴方達が勝手に外した冥王星、貴方達が信仰する月」

「冥王星は準惑星だとしても、昔貴方達が名前をつけて同列視した事実は覆らない」

あの子、ああ見えて結構怒ってるから会う時は気をつけてね。
そう言った後、彼女は「月はね」と話を続ける。

「あそこは特例。あの衛星は、貴方達が信仰して期待して想像して、結果的に膨らみすぎたの。ムーちゃんをキリアにしなきゃ身が持たなかったんだから」

貴方をさっきまで連れてたノヴァもその派生だよと、どこかへ消えた彼女を例とした。
そしてそのまま、折られた指が伸び、所謂ピースサインを突き出してくる。

「でね、ふたつめ。星座の子達は貴方を歓迎するかもしれない。貴方達人間が結んでできたものから生まれたから」

「それでも、貴方達は恨みを買いすぎた。これは星座の子以外にも言えることだけれど……」

「地球でしか生きられない生命体が、星々を無遠慮に探りすぎている。領域を犯し始めている」

そう言った彼女の目は一瞬細まり、それでもすぐに笑みを深める。
その穏やかな所作に、私は頷きを返すことさえできなかった。

「ここに貴方の絶対的味方なんていない。私も、貴方の生命を保証しない」

太陽信仰も、貴方達が勝手にやってることだもの。

そんな言外の言葉が脳裏に勝手に沈み込み、反芻される。
そして同時に痛感した。

ーー彼女は絶対神であり、他の存在は羽虫程度のことと認識しているのだろうと。

そんな彼女の顔が違う色を帯びたのは指が三本になった時だった。
珍しく迷いや憂いを帯びた目は私を見つめ、確認するように言葉を紡ぐ。

「みっつめ。これが最後で、一番大事」

彼女を周回していた光の玉が花火のように弾け、消える。纏った光が消え、彼女の顔が暗闇に包まれる。
そうして訪れた静寂の中、顔を上げた彼女は赤い炎に近い揺らめきを瞬かせた。

「コラプサー。崩壊した星」

空中をなぞった三本指は、光の筋で楕円を描く。揺らめく金枠の中映し出されたのは、彼女と同じ黒髪に赤目の女性だった。

黒レースに装飾された目元。彼女の回りを浮遊し輝くランタン。足元まで真っ直ぐ流れる黒髪はどういう原理か、内側に青い宙を含んでいる。
流れ続ける涙だけがランタンで輝く。そんな、どこまでも暗く黒を纏う女性。

そんな女性を映した額縁は、サン・キリアが手を握ればすぐに消え失せてしまった。
虚空を見つめた彼女は「これだけは絶対に違えないで」と話を再開する。

「コラプサー……ブラックホールには近づかない。目を合わせない。もし、彼女から近づいたなら逃げない。目を合わせてきたなら、彼女が逸らすまで見つめ返す」

「全て彼女のリズムのまま動いて、彼女を乱さないこと。乱れることなんてないと思うけれど」

サン・キリアが立ち上がる。白い靴が白い大理石の床を踏む。カツン、とヒールが鳴ればそこから光が弾け、彼女の影が足元に伸びることはない。

「探究心の有り余ってる宇宙飛行士くん。これは警告ですらないよ。赤子でさえわかる、呼吸の話」

カツン、カツン。ヒールが鳴るたびに足元が輝いていく。段々と近づく彼女に同調するようにその光は波紋となり、揺らめき、広がり、消える。そしてそれを永遠と繰り返す。

「理解してあげよう、なんて驕らないで。それはただの自己満足で、愚かで、誰も彼も望んでいない」

いつの間にか彼女は私の目の前に降り立った。
ひと目見てわかるほど高級生地のスカートはゆらめき、目の前の視界を金色に染め上げる。

「いい、宇宙飛行士くん?」

彼女は私を見下げて、穏やかに笑った。

「絶対的存在の前では、無知であるべきなんだ」

一瞬光が爆ぜた赤い瞳を見上げていれば、そこから金色の光が抜け出る。
それは金色と黒の混ざった小さな烏を形どると勢いよく爪で空気を切り裂き、何処からともなく何かの小瓶を引き摺り出した。

烏はその小瓶を私の目の前に置き、そのまま羽ばたき彼女の目に戻って吸い込まれる。
サン・キリアは目を驚きに細めることなく、当たり前のように烏を迎え入れながら邪気なき笑顔でこう告げる。

「それは私からのプレゼント。星座の誰かが作った、飛行の一品。そこには光が何個か詰まっていてね、瞬時に移動することができる。ただ、叶うのは光の数だけ。光を捕まえ直すことはできないし、使い切ればただのガラス瓶に戻る」

中には十個あるよ、と彼女は笑った。

「要は、他のキリアたちへ挨拶をしてきてねって話。もしかしたら十も要らないけれど……まあ余ったら、お守り代わりに持っておけばいいよ」

「だから願うだけでいい。キリアの下へ、って」

私の手が瓶を掴めば、コルク蓋のそれはじんわりとした熱を帯びて輝きを増す。蛍のような穏やかなそれは、私の行き先をただ静かに待っていた。

勿論、キリア以外の道を願うのは可能だろう。
だが、そんな考えも決定権も、彼女の前ではーーいや、彼女の手から受け取った時点で、私には存在し得ないものだ。

言われるままキリア、と心で呟けば勝手に蓋が開き、その中から1匹の蛍が飛び出す。

それは私の目の前に留まり、私の視線を全て奪い、暗闇を引き摺り込み、そして爆ぜた。

それは花火など生ぬるいものではなく、目が焼かれるような鋭い光。

白く染まった視界、生きている聴覚だけが「バイバイ、宇宙飛行士くん」という先ほどまでの声を捉えていた。

「まずはどのキリアかな?」




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