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キリアとの謁見(4)

何度目の目覚めだろう?

私の視界が光を捉え直した時、そこに広がっていたのは暗がりに潜む岩で囲われた世界だった。一筋の光だけが落ちる、四方を暗闇に囲まれた空間。

短い手足でなんとか起き上がる。隣にいるセス・ティタンはまだ目覚めていないらしい。現状と現在地を正確に把握できない中で彼がいないのはあまりにも不利だと体を揺するが、未だ目を覚ます気配がない。

憎まれ口を叩くあの声も、ないとなんだか不安になる。頬をたたき続ける中、私の目の前にティタンとは違う小さな手が伸びてきた。

それは手のひらが顕になった黒手袋。手のひらには人間の口が張り付いており、そこから伸び出た赤黒い舌が歯を舐めれば、唾液でその白が煌めいた。

『よおよォ宇宙飛行士! ココがドコかわかってやって来てんだよな? だとしたら御愁傷様ァ!!』

発音が所々おかしいが、それでもよく回る舌だ。それは私のガラス面を舐め上げ、下衆に笑う。

『ココは冥府の淑女が微睡む谷底! ティタンに起こされた我が王は怒ってんぞォ、無事の帰れるか疑問だなァ!!』

喋る手が後ろへ戻っていく。視線で追いかければ、そこにいたのはひとりの少年だった。淑女より小さいであろう背丈、穏やかな瞳、黒を基調とした服。寡黙が似合いそうな彼を押し除けるように、その手の口は永遠と喋り続ける。

『我が王は全てを知ってる! 我が王は全てを無視してる! わかるかァ、テメェらみてえなちっせえ奴等に割く時間なんか無意味なんだよ! 我が王はーー』

「……お前の方が五月蝿い。いやに目が覚めちゃった」

空気を切り替えたのはか細い女性の声だった。それが響いた瞬間、その口は言葉を止めて慌てたように身体ごと引き下がる。代わりというように現れたのは、紫の髪を揺らした女性だった。

それは先ほど見た、植物まみれの大鎌を引き摺る小さな人。足先まで隠れる黒いドレス、三つ編みに結われた綺麗な髪は地面からギリギリの高さで揺れている。夕焼けのように鮮やかで、血潮のように濃い真紅の瞳は長い睫毛に隠れ、小さな頭から生える大きなヘラジカの角が印象深い。

暗がりからあの不気味な口が『プルート・キリア』と震え声で呼ぶ。呼ばれた冥府の淑女はちらりとそちらに視線をやった後、私たちに近づいてその場にしゃがみ込んだ。

腰で咲き誇る黄金の薔薇が花弁を足跡のように落とす。彼女はそれを気にすることなく、ティタンの頬を手袋越しに叩いた。

「ティタン。起きて。サターン・キリアに怒られたくないから」

それでも起きない姿に痺れを切らしたのだろう。
彼女は大鎌の切先で鎖の一部を捕え、そのまま彼を宙へ吊り上げる。首吊りのような姿勢になってようやく目を覚ましたティタンを見ると、そのままの勢いで地面に叩き落とした。

一気に戻った酸素に咳き込むティタンを見下ろし、プルート・キリアは鎌をひとつ撫で

「元気?」

「……この姿を見て」ティタンは首筋を撫でながら引き攣った笑いを見せる。「どう思いますか?」

「苦しそうだね。大変。……でもそんなの言ってる場合じゃない」

淑女はちらりと暗闇に視線を向けた。そこには何もないのに、彼女は視界に捉える「何か」に目を細める。

「運がいいのか悪いのか。ちょうど今、星がひとつ死んだよ」

独り言のように、それでいて読み聞かせるように、薄桃色の唇は言葉を紡ぐ。

「超新星爆発。中性子星になるかと思ったけれどならない。アレは星に戻れない」

言葉に釣られるように、どこからか滲み出た光があった。白い光は爛々と輝きながらどこかしくしくと泣いているようにも見える。

「闇に飲まれる。無に還ることさえ許されない。喰われる」

「顔を下げて。アレがくる」

プルート・キリアはそう言い切った後、静かに足下を見つけた。全てを察したらしいティタンは私の顔を隠すが、指の隙間から世界がのぞけてしまう。

静寂の中に呼吸音だけが響く。完全な無ではない空間に「それ」が現れた瞬間、文字通り、空気が凍った。

ティタンの指で狭められた視界の中、青白く細い手が、この空間の全てを掌握するために伸ばされた。
同時に全ての音が、気温が、呼吸が、奪われた。
そんな中、何故かプルート・キリアの声だけが発言を許される。



「来たよ。アレが崩壊した星、コラプサー」




言葉に誘われるようにまず私が視認したのは、鮮やかな赤い瞳だった。
白目が黒の真っ赤な瞳。サン・キリアの前で見せられたあの異質な目。
次いで、それを覆う黒いレースの仮面と青白い身体を飾る黒服を理解する。

闇から滲み出たそれは、周囲に浮かぶ無数のランタンの光で全身が顕になる。

それはただの、細く小さい女性。
同時に、この宇宙の生きる墓だと思った。

それの足元は沼地にいるように常に沈んでいて、青黒く輝くその沼は、鮮やかな宙を想起させる。
細い足は引き摺るように、且つ下へ下へ沈み込む身体を留めるように、一歩一歩動き出す。
それでも足先は、地上へ全貌を見せる前にまた沈んでいく。
毛先が見えない長い黒髪。内側に青い宇宙と星々の光を蓄える不思議な髪。髪を彩る枯れ果てた花束は、彼女へのせめてもの手向けだろう。
真紅の瞳が私を見る。
赤と目が合った。闇と目が合った。

ーー無と、目が合った。

脳内でサン・キリアの忠告が再生される。

『コラプサー……ブラックホールには近づかない。目を合わせない。もし、彼女から近づいたなら逃げない。目を合わせてきたなら、彼女が逸らすまで見つめ返す』

その目は私を捉え続けた。何も裏や感情を見通せない瞳からはただ綺麗な雫がこぼれ落ち続けている。

それは透明な涙で、誰にも受け止められることなく青い沼地に降り注いでいた。

私が忠告通りに居れば、彼女はふっと視線を外してプルート・キリアの横で泣いていた光に手を伸ばした。

青白くも血が通う手は光を握り、そのまま口を開いた。綺麗な白い歯を立てることなく光を口に含み、そのまま閉じる。膨らんだ頬は嚥下と共に萎み、その虚無の瞳は雫をさらに沼地へ降らせた。

彼女は何も言わぬまま、青い世界へ沈んでいく。白い足から、黒い服、小さな手、赤黒い瞳から順々と。

レースの目元さえ一寸も乱すことなく、頭のてっぺんまで飲み込んだそれは、気づけばとっぷりとその場から消え失せた。

一気に生命の自由と権利が戻ってくる。私が乾いた目を瞬かせれば、ティタンは大きなため息と共にその手を退かした。いつの間にか闇に向かって歩き出したプルート・キリアはこちらをちらと振り返る。

そしてしっかりと私を見定めてこう言うのだ。

「アレにも探究心を持っているの?」

「神様でもないくせに」

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