ミルフィーユ

noteに投稿する際、読み返すという作業をしていない。どんな文章になっているかの全貌をついぞ見ないまま投稿する。
無論、誤字脱字のチェックもしないので私の書いたものにはきっとそういうミスが腐る程あるだろう。

同様に、料理において味見というものをあまりしない。目分量で調味料を入れ、まるで魔女のように鍋の中身をグルグル掻き混ぜて終わり。味はいただきますの後のお楽しみだ。勿論、たまに失敗する。

何故だろう。
こうすれば絶対失敗しない、というのが分かっているくせにそれをしないのは。
仕事でもそんなくせは抜けなくて、これをしなかったら怒られるかもしれない、と頭の片隅で思っているくせにどうしてもその過程をすっ飛ばすのだ。そして当然の如くお叱りを受けるのだ。
ドMなのかな?と自分の隠れた性癖を疑ったこともある。だんだんとそんな気もしてきたが、誰に怒られなくてもそうなのだから恐らく別に理由がある筈だ。

まず真っ先に思いつくのは、めんどくさいから、という理由だ。私は極めてめんどくさがりなのでそれは大いにあるだろう。確認、という作業が面倒。すっ飛ばせる過程は全てすっ飛ばしたい。

そして、その過程を踏まなかった場合どうなるのか?という好奇心がある。タチが悪い。適当に調合したものがどんなものになっているかのドキドキを味わいたい気持ち、ゲーマーの人とか分かってくれませんかね。

あとはただ単に、詰めが甘い。これはあるね。飽き性だから途中で満足するのだ。だから確認が疎かになるし、集中力が切れると過程をすっ飛ばすのだ。

どうも全て当てはまるような気がする。
だからどうというわけではないのだが、本業が医療系だったので、確認確認でそりゃあもう大変だった。それすら作業だと割り切ってやるんですけどね。
家のこと、自分のこととなるともうさっぱりだけれど。

創作活動においては多大な過程を踏む方が良いものが作れそうな気がしているのだが、如何せんそのようなセンスがないのでいつも場当たり的だ。
だから作業に作業を重ねて、その間に確認を添えて、とミルフィーユのように幾重も作業と確認を繰り返せる人は尊敬する。私もそのように丁寧な人間になりたいけれど、この記事も読み返さずに投稿するのだろうな、きっと。

#エッセイ
#創作活動
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