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さようならしたい存在

「毒親」という単語が周知されて、数年が経つ。
ネグレクト、モラハラ、宗教二世…付随する言葉もたくさん生まれ、
ニュースで耳にすることも増えた。

ところで、自分の親を「毒親」だと思ったことはあるだろうか。
自分が親である人は、自分のことを「毒親」だと思ったことはあるだろうか。
私は年に数回は帰省し、きょうだい仲も良く、
世間一般的にはまあまあ家族円満な実家だ。

だが、私は大人になってもずっと父のことが苦手だ。
父のことを毒親とまでは思わないが、良い親だとは思えない。

今でも2人きりの空間になりたくない、
父と対面で話せない、
父が苦手で、少しの恐怖心と嫌悪感の対象なのだ。

こうなった要因は何個か思いつく。

一つ目は、トラウマだ。

父はアルコール依存症だった。

本当に私は小さい頃で、小さい頃だからなのかストレスからなのか、その頃の記憶は朧げだ。
上のきょうだいたちは、鮮明に残っているからか今でも全くお酒を飲まない。

帰ってこない父を待つ母の背中。
酔っ払って騒ぎになり、親戚が家に来て、
子どもだからと待っていなさいと、別室で待ったこと。
そこできょうだい3人でとっとこハム太郎をぼんやり見たこと。
母が父方の親族に「お前が父をちゃんと支えないからだ」と言われたのを泣きながら止めに入ったこと。
もう一生呑まないと土下座した父の姿。

朧げだがトラウマには十分なほどには記憶に残っているのだ。

二つ目は、根本的に考え方が合わないこと。

父は職人で、頑固で、古臭い人だ。

自分の気に入らないことがあると声を荒げ、
「誰の金で生活していると思っている」が決め台詞だった。
上のきょうだいたちが、ぶつかり道を拓いてくれたので、
大学も奨学金を借りてなんとか進学できた。

一番上のきょうだいは父とよく「衝突」した。
それはそれは激しいものだったが、大人になった今、父にお願い事ができる唯一の存在だ。
2番目のきょうだいは父の顔色を窺うのが上手く、父と上手く「共存」できている。
付かず離れずの距離感を保っている。
末っ子の私は「拒絶」を選んでしまった。
上のやり取りや、母への対応を見て、関係性を作ることを諦めてしまった。
この人とは、相容れないと今でも壁を作ったままだ。

三つ目は、母とのこと。

上二つの理由を見ても、なんでこんな男と結婚したんだ、なんで離婚しないんだ、と思うだろう。
時代や地域性や、母の経済力、いろんな理由があったのだろうが、結局今日まで父母は離婚せずにいる。

母はとにかく怒らない人だった。
叱るということはもちろんあったのだけど、父のような理不尽な怒りを押し付けてくる人ではなかった。
愉快な人ではないが、勤勉で家事をこなし、そして子どもを溺愛する人だ。

大人になって母と話すようになって、ようやく母の職場の愚痴を聞くようになったが、
「母も人間だったんだな、感情があったんだな」と内心思うくらいには、自分の負の感情を前に出さない人だった。

母が離婚しなかったのはただ一つ「私たちの為」だったと思う。
ただ、幼少期の子どもからしてみれば、母親は絶対的な存在で、感情の機微を受け取ってしまう。
母の泣いた姿は数回しか見たことがないが、そんな母を泣かせる父と別れられないのは「私たちのせい」なんだ、と幼心に思ってしまったのだ。

つらつらと述べてきたが、理由なんて些細なことだ。
読んだ人によっては反抗期の延長線と感じるかもしれない。
それは立派な毒親だと認定するかもしれない。
娘本人としては、ただただ父との距離感が掴めないまま大人になってしまっただけなのだ。
もしかしたら父もそう思ってるかもしれない。

帰省するたびに、方言混じりに、娘の近況を尋ねてくる父が憎めないのだ。
オットと仲良くしているかと、慣れないLINEで聞いてくる父が嫌いに慣れないのだ。

例えば、友人で父のような存在がいたら、悩むこもなく、「友人」から切り離しているだろう。
それができていないのは、血縁の情なのか、育ててもらった恩なのか、私にはもう分からない。

さようならしたい存在。
でも、さようならできない存在。

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