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27泊28日キャンプ

子供の時の話をしようと思う。

小学校の高学年から、
夏休みに長野県伊那谷の奥地へキャンプに行くようになった。

親が共働きだったから
夏休みに子供2人が家に居られては大変だというのもあったと思う。
また、私の母親は世間とは少し違うタイプの教育ママゴンで、
子供の時に教わらないとできないことを片っ端から習わせてもらった感があり
その一環かもしれない。

ある日、母親が
「どんな時でも、生きていく術を知っていると何かと有利だから。」
そう言ってどこかの新聞記事からそのキャンプを見つけてきた。

当時、野外教育センターと言う名前の団体(現グリーンウッド)が主催する
野外教育キャンプにはいくつかのスタイルがあった。

私が主に参加したのは
なんと27泊28日で野外生活のスキルを養うと言うキャンプだった。

泰阜村と言う天竜川沿いの村
沢というか小川のほとりの小さな空き地にただ放り出される。

電気も、水道もない。

今ではお目にかかれない三角テントと、
食料だけ。
仲間15人くらいと
相談員と呼ばれる大人2-3人。ただし、その名の通り、相談には乗ってくれても生活の世話はしてくれない。

一日目はトイレの穴掘りで終わる。
風呂は無い。
暇があれば、そして気が向けば隣を流れる小川に飛び込んでパシャパシャやる。
朝起きて、まず薪を拾い、火を起こし米を炊く。
米を炊く水も当然、川の水である。
少し沢を分け入ったところの清流をくむ。
もたもたしていると、火を起こして米を炊いているだけで1日終わる。

村に住むおじいさんたちが山の師匠となり、
食べれる草とそうでない草を教えてくれたりする。

長野では、蜂の子を食べるのだが、
ある時、ぶんぶん飛びまわる地蜂の巣を掘り起こしてみようと言うことになり、
全員刺されてえらい目にあった。

沢を上って
小さな滝壺に落ち、我ながら、これはもう死んだなと思ったこともある。
7-8メートルほどの、小さな滝のように記憶している。
手を滑らせて岩から落ちた。
すり鉢状の滝壺に向かってひどく冷たい水が流れ込んでいた。
滝からの水圧で体が押されどんどん川床に沈んでいくのが分かった。
肺から出た空気がきれいな泡になって上に向かっていき
その気泡を追って目を上げると、水面がキラキラ光っているのが見えた。
ものすごく静かで「静寂」ってこういうことか
と思った。
川底に体がついたあと、ふと水圧の緩んだ瞬間があって
「いまだ!」と思った。
必死で川底の砂をかいて前進したら体が浮き上がった。
死なずに済んだ。

夜は満点の星を眺めながら寝た。

凍えそうになる。
山の暁は、思っているより過酷だ。

ナタ1本でそこそこのものが作れるようになった。

夏の終わりには
全員、浮浪者みたいな匂いをさせて帰路についた。

今思うと、
いったいあれはなんだったんだろう?
ということもいっぱいある。

でも、限られた人生で
早い時期に「ベーシック生きること」を仲間と
共有できたのはとても良い経験だっただと思う。

先日
お店で使うスパイスと豆を買いに
近所のネパール食材店に行った。

レジに座った男性が、
こちらを見てつぶやいた。
「あれ、もしかしてもしかして」
なんとくだんのキャンプで相談員を務めていたお兄さん(当時)だった。
現在関わっている国際キャンプやら何やらの関係で、そのお店の運営にも関わっているらしい。

そんなお兄さんも、
時々私のFacebookの旅行記を見てくれていたらしく、
「しかし壮絶な旅をしたりしているね」
と声をかけてくれた。

だがよく考えれば、
過酷な一人旅の基本はすべて小学校のときの山暮らしに学んだのである。


ありがとうございます。毎日流れる日々の中から、皆さんを元気にできるような記憶を選んで書きつづれたらと思っています。ペンで笑顔を創る がモットーです。