小説:ウメさん!


 ウメさん登場

現代の小学生は、多忙である。学校が終わると塾がある。塾がない日は、空手やらピアノやら水泳がある。カイトも、忙しい小学生の一員だ。共働きの両親に愛されながら、人並みの家庭で育っている。
 七年前に、そこにカイトの弟ハルトが加わった。ハルトは謎の天才児である。両親も、カイト本人も、なににつけても人並み外れて優秀ということはない。大抵のことが人より少しできたりできなかったり、という程度だ。だが、ハルトは、生まれて二か月もたったことから、明らかに他人と違った。まず無駄に泣くことがない。人の話をじっと聞く。七カ月を過ぎたころ、自分で冷蔵庫と哺乳瓶を交互に指さし、離乳した。他の子がおむつを濡らしてギャーギャーと泣きわめいている時、すでに自分でおむつ代えをマスターし、手際の悪いベビーシッターには自分で指示を出していた。2歳で平仮名とカタカナをマスター。さらに簡単な漢字もいつの間にか覚え、3歳を過ぎるころには、レストランのメニューは自分で読み注文できるようになっていた。

 6歳になった今は、毎朝バターとジャムをトーストにこすりつけながら新聞を読み、いつの間にか漢字だけでなく、アルファベットもマスターしている。ときおり、英語やフランス語をもぐもぐ呟いている。どうやら、インターネット上の教育サイトを勝手に検索して勝手に学び、能力を上げているようだ。父親の名と銀行口座を借りて作ったオンライン株式口座で残高を増やしつつある。
「誰の子かしらね?」とカイトの母は首をかしげ、「本当だなあ」と父親も不思議がる。
「そういえば、お爺さんの弟のお嫁さんの甥っ子が、ナントカの定理を解明しようとする天才学者らしいわ」
「……なあ、お嫁さんの血縁っていう時点で、遺伝子的には赤の他人だぞ?」
「あらホントね。気が付かなかったわ。ふふふ」
両親からして、こんなレベルなのである。

 そんなハルトだが、なぜか、お兄ちゃんであるカイトの後をついてまわるのが大好きだ。前述もしたが、カイトは天才の『て』の字の欠片もない平均的児童である。水たまりがあれば飛び込み、落ちるとわかっている木にも登りたがる。捻挫する確率が高いと頭でわかっていても、煽られれば階段から飛び降り、そして立てなくなる。
「子供らしく、無邪気で、……なんていうか…バカなお兄ちゃんをみて、楽しんでいるんじゃないかしらね?」とは母親の説である。
「単純な比較論で、たとえアレのレベルでも、まわりの6歳児より11歳児はまだましっていうことじゃないか?」というのが父親の説である。
 理由はさておき、本人たち同士は、お互いに好意を持ち合っているようなので、それがカイトたちの所属する中島家の最大の幸福である。

 さて、とある火曜日のこと。火曜日は、学習塾の日である。小学校の授業が終わると、学童保育に行って宿題をやりながら(という建前で遊びながら)待機。4時半を過ぎたころ、時短労働のお母さんが、鬼の形相でヒールを鳴らしながら迎えに来て、二人で小走りに家に帰り、おやつをかきこみ、塾に向かう。……のが、カイトのいつものパターンだ。
 ところが、この日は違った。学校が終わってすぐ、学童保育に行くまでもなく、笑顔の母親が校で手を振って待っていた。背後には、車が止めてある。
「カイ、迎えに来たわよ。」
「ママ! 仕事は? クビになったの?」
「……クビにはなってないわ。今日は、大切な荷物の受け取りがあって、午後は半休をとったのよ。」なるほど、仕事と時間に追われていない母は、なんだか笑顔にゆとりがある。いつもパンツ姿で鬼ダッシュしてくるのに、ヒラヒラしたスカートなんか身に着けてたたずんでいる。
「わ! じゃあ、おやつはモックでシェイク飲める? 」母を独占できる時間があるかも、と思ったら、カイトはすこしウキウキした。
しかし、母はそれには答えず、ゆっくりと車のほうを振り返った。
「それよりも、紹介したい人がいるの。さ、車に乗ってみて」
「紹介したい人?……だれ? 新しいお父さんとか? 生き別れになった、大富豪のおじさんが実は海外で発見されて帰国したとか?」
「…縁起でもないこと言わないで。お父さんは交代しません。そして、お母さんもお父さんにも行方不明のおじさんはいません。」
「ちぇっ。人生って思ったよりドラマティックじゃないなぁ」唇を尖らせながら、いつもの座席に乗り込んだカイトの横に、お母さんも乗り込む。
「え、お母さん、座る場所を間違えてるよ。後ろの席にすわっちゃったら、だれが運転するの!」
「しっ! ほら、ご挨拶して。」
カイトが目を凝らすと、運転席の上に、小さなおばあさんが正座していた。
白髪まじりの髪をお団子に結い、えんじ色とも薄紫色ともつかない色の着物を着ている。ヘッドレストに頭が届くか届かないかの座高なので、まるで気がつかなかった。おばあさんは、まるで呼吸していないかのように微動だにせずに運転席におさまっていたが、母親の声に反応し、首だけをこちらへ回して振替えった。
「こんにちは、カイトくん。今日から、カイトくんのおばあさんを務めさせていただきます、ウメと申します」
びっくりしたのはカイトである。
「だ、だれ、このおばあさん!」隣の母の顔を見上げる。
「それこそ、お母さんのお母さんも、お父さんのお母さんも、死んだはず!」
お母さんは、慌てた顔のカイトの顔をウフフと笑いながら撫でて、こう言った。
「びっくりした? じゃ、ハルトを迎えに行きながら説明しましょうか。ウメさん、車を出してくださる?」
「はい、かしこまりました」
ウメさんは、首をすっと前に向けると、ハンドルに手をかざした。車がスルスルと動き出す。
 不思議なのは、ウメさんは運転席に正座をしたまま、ということだ。アクセルもブレーキも踏んでいる気配がない。もっと言うと、ハンドルも切っているそぶりがなく、手の中で勝手にハンドルが回っている。
「どういうことなの、ママ!」
仰天するカイトの横で、お母さんはシートにゆったりと体を沈めた。そして、ニコニコと笑いながら、ハルトのほうを見て、こういった。
「今日、届いた大事な荷物っていうのがね、ウメさんなのよ」
「? ウメさん! ウメさんは荷物じゃないでしょ、人間でしょう。日本では、人身売買は禁止されてるはずだけど。」
「ウメさんはね、なんていうか、人間じゃなくてね……ウメさん、なんて説明したらいいのかしら」
ウメさんの目がキラリと光った。前を見たまま、口を開く。
「ひとことで説明しますと、オババ型ロボットでございます」
「!」
「正確にいうとアンドロイドF-C3285AP2027型ゆらぎ1/2モデル政府推奨タイプ見守り型ですが、そこまでの回答を差し上げたとて、覚えてくださる方は皆無に等しいのが現状でございます。」
「……」
なんなの、アンドロイドって実在するの! 突然届いた宅配便の荷物みたいな言い方するけど、どうやって手に入れたの!
そもそも、若い女の子にだって、アニメの主人公みたいなお兄さんにだってなんだってなれるのに、なんでおばあさんの格好してるの!
カイトの頭のなかでぐるぐると質問がめぐり、思わず口をひらきかけたが、聞きたいことが多すぎて、うまくまとまらなかった。
ほどなくして、ウメさんがすっと振り向いた。
「保育園に到着いたしました。お迎えをお願いします」
抑揚がなく、まるでウメさんがカーナビゲーションそのものになったような口調である。相変わらずハンドルに手をかざしているだけだが、車はスルスルとスムースに保育園の門の横へ絶妙の距離感で停車した。
 とりあえず、二人で車を降り立つ。母親がインターホンごしに身分を確認し、門が開いた。身支度を済ませたハルトが黄色い帽子のつばを抑えながら走り寄ってきた。いつもながら楽しそうだ。右手にドライバー、左手には無残な姿に分解された時計だったとおもわれる残骸を握っている。
車に走り寄ろうとしたハルトが、運転席を見て、立ち止まった。
「ねえ、あの人だれ!」カイトの手をぎゅっと握る。知能がいくら高くても、情緒は普通の6歳児。怖くなったときや驚いたとき、ふっと身を寄せてくるあたりは、かわいいところである。
「……オババ型ロボットだってさ。」
「どういうこと! めちゃめちゃ人間に見えるけど……アンドロイド!? ママ、もしかして、政府が半年くらい前に発表した『ぬくもりプロジェクト』の、懸賞で当たったの?」
ハルトが興奮した様子で、ぴょんと、飛び上がった。母親は、その頭をぐりぐりと撫でて答えた。
「さすがハル。新聞を読む子供は違うわねえ。その通り。確率2万分の一よ! お母さん、モッてるでしょ」
「すごい! モッてる! 名前は何ていうの?」
「ウメさんっていう名前にしたわ。あなたたちのひいおばあちゃんと同じ名前よ」
「へーー! 僕、あいさつしたいな!」
瞬く間に、車に乗り込んだハルトは、ウメさんにむかって叫んだ。
「こんにちは! ウメさん。僕、ハルトです。よろしくお願いします」
ウメさんはそろりそろりと、運転席から降りてきた。その動作には素早さはなく、足をそっと回して地面に降り立つあたりは、関節痛をかかえるおばあさんそのものだった。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。ハルトさん。ウメと申します。」
ウメさんは少し曲がった背中をさらに丸めて、頭を軽く下げた。背の高さは、カイトより少し大きい程度だ。ハルトが無邪気に声を上げる。
「ちっちゃいんだねえ!」
「はい、ここまで小型化するのには、長年の努力が必要でした。第一号は、身長二メートル六十センチ。体重は約1.1トンありました。今では身長は130センチ、体重は180㎏。実に大幅な小型化でございます。」
「でも、なんでおばあさんの格好なの!」
「それはですね、ノスタルジーと温かみを追及した結果、といいますか。人間らしさを追加し続け、さらに、だれもが安心して話せる、接することができる、そんな存在を模索していたら、この姿になりました。」
「へえ! それにしてもブラボー。C'est merveilleux!」ハルトは目をキラキラとさせた。最後のセリフはよくわからないが、フランス語らしい。
「それはどうもありがとうございます。」ウメさんは、にっこりした。正確に言うと、笑顔を鼻のあたりから顔いちめんに徐々に広げた。
「Je suis heureuse de pouvoir vous réjouir.自動翻訳機能も内蔵されています。よろこんでいただけてうれしいです これからは、ウメがお二人を見守ります。」
 そういう経緯で、ウメさんは我が家へきて、ハルトとカイトを見守ることになった。


ありがとうございます。毎日流れる日々の中から、皆さんを元気にできるような記憶を選んで書きつづれたらと思っています。ペンで笑顔を創る がモットーです。