炊飯器をまぜないきみと暮らすこと / 『風にあたる』感想

 去年7月にでた山階基さんの歌集『風にあたる』を読みました。

 枡野浩一さんが帯分に寄せている「もといくんの歌集の中で暮らしたい ゆくてのシャツを乾かしながら」という短歌の通り、日々の生活の様子を書き留めたものです。

 一連の歌の中で、主体は恋人ではない人と2人暮らしを始めるのですが、ぼくはこの他者である人たちが共に暮らしていこうとする姿に強く心を惹かれました。

 卯の花がすきなあなたと手を組んでふたり暮らしという寄り道を

 「恋愛して結婚し、家を買って子を育てる」という一般的な(一般的だった)人生のスケジューリングからすると、結婚を志向しない同居というのは回り道ということもできます。しかし散歩において楽しいのはだいたい寄り道の部分ですし、そもそも生き方に「一般的なスケジュール」があるという考え方自体しっくりこない人が増えているんじゃないでしょうか。そういう視点でみると三句目の「手を組んで」という言葉が力強く見えてきます。単に手を取り合って共にという意味だけで無く、暮らすことを通じて、従来の常識に立ち向かうバディの姿が浮かんできました。

 さて、家を共有するようになった2人ですが、別々の環境で生きてきた人が共に暮らすのですから必ずズレが生じます。ぼくはこのズレを描いた山階さんの短歌に対話しようとする人の姿をみました。

 ここで言う対話というのは「異質な他者とのコミュニケーション」のことです。

"「会話」が、お互いの細かい事情や来歴を知った者同士のさらなる合意形成に重きを置くのに対して、「対話」は、異なる価値観のすり合わせ、差異から出発するコミュニケーションの往復に重点を置く。"     

 ―― 平田オリザ 『対話のレッスン 日本人のためのコミュニケーション術』 講談社学術文庫

 外国の人と話すときや、バイト先で普段関わらない年代の人と話すとき、ぼくらはバックグラウンドが違うことを前提に話をします。友人との会話では省くような説明を加えたり、略語の使用を控えたり。すぐには分かり合えないということを前提にして、人は対話をするわけです。

『風にあたる』の中で暮らし始めた2人も、生活の中で盛んに対話をしています。

少しずつ話してみてよ缶切りを使わなかった日々の暮らしを
まっさらな雪をすくった跡のようあなたは炊飯器をまぜない

 同居人は主体と暮らすようになって缶詰の食材を食べるようになったみたいです。学生時代に半同棲をしていた恋人に、缶詰の鯖の使用を勧められた時、あれこれと理由をつけて断っていたぼくとは大違い。

生活の中に新しい要素を加えるのって楽しさもある一方、ちょっとめんどくさかったりもしませんか。けれどここにいる2人はうまく缶詰有りの生活に移行している。このスムーズな対話を支えているものの1つに、「少しずつ話してみてよ」と語る主体のキャラクターがあるように思えます。「缶詰を使うようになって便利になっただろう?」と恩に着せるのではなく、缶切りを使わずにいた君の暮らしを面白がる姿。自分と違う他者の生活をそのまま受け取ろうとする姿勢が、「話してみてよ」という柔らかい語尾から感じとれます。

 違いを楽しむ主体の姿は他の場面でも表出しています。

 炊き上がった米をさっくり混ぜる主体と、混ぜない同居人。恐らく混ぜた方が釜内が均一になって良いんでしょう。しかし主体は何も言わない。「混ぜないと表面がそろって、誰も足を踏み入れていない雪のようだなぁ」なんて面白がることに留めています。

 さて、生活の中でなぜ対話をしていかなければいけないかというと、それは生活が続くものだからです。

彼らいまキャンプを終えて行くところジープは砂利を軽く鳴らして

 数日間という短い期限があり非日常の空間で行われるキャンプと違って、生活は日常です。少なくとも数ヶ月に渡って、働いたり遊んだりすることと平行して「暮らすこと」をしていかないといけません。

 しばらく一緒にいることを決めた人間達が、共にあるために、お互いの文化を取り入れたり取り入れなかったりしながら2人の暮らしを構築していく、そんな姿が随所に見える作品だと思います。

--------------------

その他気になった短歌

見られても平気きれいに脱がされた部屋着できみを駅まで送る

 一読したときは秘められた性愛について詠んだ色気のある歌だと感じました。今、何食わぬ顔をして歩いている2人は、少し前まで服を着ていなかったのだ。部屋着にシワが無いので道行く人は誰もそれに気がつかない。

 しかし何度も詠んでいる内に、主体は「平気」じゃないことを望んでいる、という解釈もできると考えるようになりました。恋愛、こと性愛の場面においては我を見失っていることが望ましいと言われることがあります。無我夢中で抱く・抱かれることを望む人からすれば、理性すら感じる「きれいに服を脱がせる」という行為は嬉しくないでしょう。外出先では服がシワになると困るけど今回は部屋着なんだ、という読み方は、ぼく個人の思い入れが入り込みすぎでしょうか。

バス停は置かれた場所の名ではなくほんとうの名を呼べば振り向く

 ものすごくワクワクする歌です。ファンタジーの世界におけるクローゼットの中の隠し扉や、図書室の特定の本を押し込むことで開く扉のように、バス停が世界の二重性を象徴しています。何とかしてバス停の本当の名前を特定し、異界行きのバスで冒険に出たい。

▼作品ページ


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?