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セルフ脳内洗脳

まだ10代の頃のはなし。
高橋よしひろの「銀牙-流れ星 銀-」という犬の漫画にドはまりした。
犬同士の会話を人間の言葉に置き換えた作品。犬たちの友情、愛、戦い、成長が描かれている。感動作である。

友人に借してもらってから、わたしは銀牙の世界に没頭した。来る日も来る日も犬たちの気持ちに思いを馳せ、登場人物たちと会話し続けた。

そんなある日、外を歩いていたら異変が起こったのだ。何の前触れもなく。
道路を走っていた車が犬に見えるではないか!
わたしはゾッとした。ついに、頭がやられてしまった。

翌日、漫画を貸してくれた友人に聞いてみた。
「ねえ、漫画がオモシロすぎて車が犬に見えるんだけど、そんな経験なかった?」

友人は「ふん」と鼻で笑ったあと、「ない…」と一言つぶやいた。
わたしは絶望した。きっと蒼白い顔をしていたに違いない。
どこかで期待していたのだ。
この漫画が中毒性があるくらい面白いので、一時的に車が犬に見えてしまう読者が他にもいるのではないか、と思った。
でもその淡い期待は粉々に砕け散った。
これから先も、ずっと、車が犬に見えてしまうのだろうか。
誰かに相談できるわけでもなく、ただじっと、その現象に身を置きながらじぶんを観察した。

犬は犬に見える。
バイクは犬には見えない。乗り物、動くもの全部が犬に見えるわけではない。
なぜか、車だけが犬に見えるというか、車のかたちをした犬が走っているように見えるのだった。(的確な表現が見つからない)
その思い込みを何度も排除しようとしたが、無駄だった。
わたしの住んでいた地域は車社会。車が行き交っているのを目にすると、脳内は「犬犬犬犬犬犬犬犬犬!」と犬がそこら中で踊り出すのだった。

そんな日々が続き、あるときから抵抗するのを止めた。車が犬に見える世界が、わたしにとっては当たり前の世界だと思うことにした。
すると、徐々に車を目にしても、犬が脳内を埋め尽くすことがなくなっていった。
わたしは胸のつかえが取れて、いつもと変わらぬ生活に戻ることができた。

それからしばらくして、今度はエヴァンゲリオンにハマった。
碇シンジの心の闇を覗き見し、目が離せなくなる。例のごとく来る日も来る日もエヴァンゲリオンを見続けた。

ある日、外を歩いていたら、向こうから何かが道路の上を走ってくる。
わたしの脳内には、経験したことのある感覚が漂っていた。

行き交う車。
わたしの目線。
目線が車を追う。
脳内には一定のリズムでけたたましい程の音が響き渡った。

「エヴァヴァヴァヴァヴァヴァヴァヴァ!」



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