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『ギフト無限ガチャ』や「上位概念」を突き詰めて、パターナリズムと「自己責任」論との関連も探る




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注意


これらの重要な展開を明かします。『シン・ウルトラマン』と『二重螺旋の悪魔』にご注意ください。
小説

『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』(web小説,書籍)
『二重螺旋の悪魔』
『幼年期の終わり』
『今日から死神やってみた!イケメンの言いなりにはなりません!』
『今日から死神やってみた!あなたの未練断ち切ります!』
『オタク王子と作家令嬢の災難』

漫画

『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』
『帝乃三姉妹は案外、チョロい。』
『オタク王子とベストセラー作家令嬢の災難』
『ドラゴンボール』
『ドラゴンボール超』
『NARUTO』

テレビアニメ

『NARUTO』
『NARUTO 疾風伝』
『ドラゴンボール』
『ドラゴンボールZ』
『ドラゴンボール超』

アニメ映画

『ドラゴンボール超 ブロリー』

特撮映画

『シン・ウルトラマン』

特撮テレビドラマ

『ウルトラマン』

はじめに

2023年6月9日閲覧

 ライトノベル及び漫画の『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』を以前扱いました。
 私のnoteで、何ヶ月か前から、この『ギフト無限ガチャ』に関する記事の閲覧数が多いようです。固定している『ウルトラマンZ』に関する記事よりも多いのには、自分でも驚きました。
 今回は、その『ギフト無限ガチャ』における、パターナリズムと「自己責任」論の関係から、「上位概念」も踏まえて探ります。

『ギフト無限ガチャ』の説明

 『ギフト無限ガチャ』は、ファンタジー世界で数種類の種族のうち、人間に近い「ヒューマン」が弱く、他の種族に差別、迫害を受けるところから始まります。
 ヒューマンだけが持つギフトという能力のうち、「無限ガチャ」を持つ貧農の息子のライトが、詳細不明の説明で突然仲間と信じていた他種族に殺されかけ、ダンジョン奥地の魔力を吸収して「無限ガチャ」で強いヒューマンの仲間を召喚し、自分も強くなることで復讐や変革を図ります。
 このとき、ライト達は差別に憤るものの、他種族を無制限に殺すわけではなく、ヒューマンについても弱いなりに根拠をもって認めていく姿勢があります。
 その中で、ライトが最初のダンジョン活動で出会ったヒューマンの冒険者のエリオ達を、今回は重視します。
 それぞれの姿勢に、パターナリズムと「自己責任」論の揺れ動きがあるためです。

エリオへのパターナリズム、エリオからのパターナリズム

 エリオは一般的なヒューマンとして、貧しい冒険者として健気に努力して、自分達に通り魔のように襲いかかるエルフ種にも懸命に抵抗して評価されていますが、原作web小説では、少々問題があるとライト達にみなされています。
 それは、騎士にあこがれるあまり、冒険者の少年3人が全員剣と盾を持ち、前衛と後衛などの配置が足りないことです。
 また、原作web小説でも漫画版でも、ヒューマンとして弱いと思い込んだライトやその部下達が「強い」モンスターに立ち向かうとき、自分達の警告を無視したときに、「騎士様」を主体として心配している様子があります。実際は魔術師の服装で小柄なライトが代表だったのですが、気付いていないようでした。それにライトが怒るわけではありませんが。
 騎士へのあこがれが、戦術と礼儀から、少しの問題を起こしています。
 しかし、自分達の警告を無視して逃げないライト達を、それでも助けようとしています。その警告と助力は、ライト達の強さを知る読者から見れば、「余計なお世話」、「おせっかい」だとみなされる可能性があります。

ライトからの扱い

 一方ライトは、原作web小説では、エリオ達の戦闘の配置に問題を感じながらも、かつての自分も、向いていないと判明するまで剣へのあこがれがあったためでもあるのか、「他のパーティーのやり方には口出ししない」というルールを守っています。これは一見、「余計なお世話」、「おせっかい」をやめています。
 しかし、ヒューマンの部下のネムムにナンパをして断られて、自分の攻撃でも懲りずに追いかけ続けるエルフ種に襲われたときのライトの行動が気になるところです。
 強さで追い払うことは出来るものの、自分達の秘密を知られることを避けるためにあまり強い攻撃を見せられないのか、エルフ種の差別的な姿勢に腹を立てたのか、「付いてくれば死ぬことになるよ」としか言わず、それ以上追って来た相手に説明もせずに部下に殺させました。「忠告はしたよ」と念を押して、です。
 また、ヒューマンの一部も後半では王子の横暴などから、徐々に悪く扱われるようになっていますが、自分達と協力関係を結ぶために強さを見せる過程で、相手の兵士の負傷を「我慢してね」と主張する場面があります。
 ライトは過酷な状況とはいえ、自分の「忠告」を無視した、傷付けることを無条件には正当化しない相手の何らかの言動を「条件」として、それに「自己責任」として傷付けることがあります。
 これは、ある意味でエリオが自分に忠告して、無視した自分を助けようとした「余計なお世話」、「おせっかい」と逆です。

パターナリズムと「自己責任」の結合する支配

2023年6月9日閲覧

 このように、自分の「忠告」が、結果的に正しいにせよ間違っているにせよ、それを無視した相手を助ける「余計なお世話」、「おせっかい」と、無視したことを根拠に助けない「自己責任」論の揺れ動きがこの作品にあります。
 しかし、その「余計なお世話」、「おせっかい」と言える、相手のためを思う善意の強制、パターナリズムと逆に見える「自己責任」論は、やがて結合する可能性があると私は考えています。
 ライトの部下で、女性として好意を強く持つエリーは、やがて「巨塔の魔女」として、ヒューマン王国をしのぐ強さで政治的に他国に影響を及ぼし、ヒューマンの奴隷を解放して自分達の豊かな地域に住ませています。
 しかし、「ライト様の率いるこの場所に住民は不満などあるはずがない」と別の部下のネムムが言うなど、反対分子を許さない独裁となり、犯罪者を追放するのはともかく、「いなかったことにする」など、独裁政権で悪いニュースを流さないような現象が起きています。
 佐藤優さんによると、ある社会主義国家では、「犯罪がない」という建前から弁護士に優秀な人間がならず、検察が圧倒的な力を持つようになっていたそうです。
 そのような「あくまで善意の支配」で、エリーが軽い感情で声をかけて注目されるヒューマンの市民が不安になる、罰を恐れるなど、強権的、パターナルなところがあります。
 その過程で、犯罪者が追放されるなど、「支配に逆らう方が悪い」と示すのは、一方的に利益を与えるパターナリズムに、それに窮屈に思うなどの精神的な損害を「逆らう側、悪く思う側の自己責任」と捉える傾向もみられます。
 

『シン・ウルトラマン』と『幼年期の終わり』

 この「善意の支配」と罰の関係は、『シン・ウルトラマン』と『幼年期の終わり』にもあります。
 『シン・ウルトラマン』で外星人(宇宙人)の圧倒的な強さに日本人が翻弄され、ウルトラマンが助けるものの不安を拭えず、人間をウルトラマンのように巨大化させるベーターシステムを、外星人メフィラスが、「暴力は嫌悪するが自衛はやむを得ない」と一見穏やかに提供します。その条件は「私を上位概念として存在させてほしい。法律はそのまま」という軽いものでした。
 しかしメフィラスの目的は人間を兵器になり得る資源として独占管理することでした。
 法律はそのままと言いつつも、自分の実験により女性の浅見がネットにさらしものになるのを謝罪しながら、ネットから無断でその画像などを削除するときがあります。
 しかしこれは、ネットにある世界中の人間の、電子情報とはいえ財産を破壊しています。それが正当化しやすいのは、元々広める人間が下劣で犯罪に近いことをしているという「自己責任」のところもあります。また、地球人類を守る公的な職務の浅見でさえ個人のプライバシーをメフィラスの法律的な問題より優先する私情があると言えます。
 こうして、メフィラスの判断で「自分が支配する方が人類のためだ」という主張が正当化され、それを喜ぶ人類も現れ、逆らい罰を受ける人類は「自己責任」、「自業自得」のようにみなされると言えます。
 『幼年期の終わり』でも、穏健な支配や特殊な容姿などが似ている宇宙人のオーバーロードが、精神的な攻撃などで地球人類を支配しつつも、なるべく穏やかに導こうとしています。しかし人間の一部の伝統文化と言える闘牛には憤り、自分に逆らい関わった人間に一瞬牛と同じ痛みを味合わせています。
 これも、「優しい支配」と「それに逆らう人間の自業自得と思わせる罰」が両立しています。
 また、メフィラスもオーバーロードも、人間をある種の資源だとみなしているところは似ています。オーバーロードの罰も、「君達が牛にすることは私達が人間にするのと同じだ」とみなす、ある種の連鎖がみられます。ちなみにメフィラスの前に現れた外星人のザラブは、「人間が害虫とみなした生物を虐殺するのと、私が人類を滅ぼすのは、私から見れば同じ事案に過ぎない」と陰で正当化しています。
 

キリスト教の「神から人へ」の扱い

 これはキリスト教が牧畜文化と関係を持ち、オーバーロードが人間を、それこそ人間が羊にするような扱いで管理するのと、メフィラスの行いが似ています。
 そして、『ギフト無限ガチャ』のエリーも、オーバーロードが「神」のようにみなす何者かに対応するように、自分の敬う「ライト神様」のために、その望みを叶えるために一般のヒューマンを善意で管理してパターナルになり、従わない「下劣」なヒューマンを罰しているとも言えます。
 ただし、オーバーロードが「神」のような存在に従うのは、何らかの利益があるらしく、エリーがライトに「おみ足に口付け」程度で従うのとは少々異なりますが。
 キリスト教の神が牧畜のように人間を管理するときに、言葉が通じないために暴力で従わせて守る必要もあるでしょうが、それを、ライト達やメフィラスやオーバーロードが秘密を持ちながら、言葉が通じるものの情報の一部を明かせないまま「守るために支配する」ところもあるとみられます。

イスラームとの関連

 また、『ギフト無限ガチャ』の復讐や治安維持には、苛烈な罰があり、それはヒューマンを虐げている種族だからこそ「ざまぁ」で済むところがあります。
 この苛烈さは、イスラームの国家の刑罰を連想します。
 『ギフト無限ガチャ』のライト達は、顔をさらさないことなど、イスラームを連想させるところもあります。
 また、『ギフト無限ガチャ』に似ていると私がみなしている『二重螺旋の悪魔』では、イスラームの兵士と協力し合う場面があり、その発言が敵の正体を皮肉に言い当てています。
 さらに、戦争で治安が悪化したためか、ある犯罪者に、極刑ではないものの独特の技術による残酷な刑罰があり、『ギフト無限ガチャ』で「巨塔」から追放された人間にも似ています。
 イスラームの「悪人への苛烈な罰」が、「上位概念」に逆らった人間の「自己責任」を示しているようです。

『帝乃三姉妹は案外、チョロい。』の「上位概念」

 『帝乃三姉妹は案外、チョロい。』では、私が何度か説明した『オタク王子とベストセラー作家令嬢の災難』のような、「完璧」に見える人間の欠点に、一見劣る主人公が関わって行きます。
 有名な女優の母親に顔だけ似ていて凡人だと言われる主人公が、舞台俳優や格闘家や棋士の「天才」の3姉妹に出来ない「家事」などで助けて関わります。
 というより、勉学や運動が苦手なだけで、家事の能力が高い主人公が、それほど劣っているとも思えないとも言えます。『エヴァ』の碇シンジを連想します。
 いずれにせよ、「天才」の欠点を「凡人」が指摘しつつも、むしろそれで助けて行くのには独特の爽快感があります。
 これは、『ドラゴンボール超』で、世界を消し去る能力を持つ神の頂点の全王に、「世界でひとりぼっち」だと解釈するように、人間の悟空が友達になることでむしろ助けるのに似ています。あるいは『ドラゴンボール』原作の魔人ブウを、一般人より少し強い程度のサタンが助けるのにも似ています。

2023年6月9日閲覧

平凡な人間への勇気付け

 これらにより、「神」と言えなくとも「上位概念」の欠点を見抜いたり助けたりすることが、平凡な人間にも出来るかもしれないと勇気付けるところもありそうです。
 『ギフト無限ガチャ』でも、強く組織としての人数もあるライト達が、助けたい特別なヒューマンの妹や知り合いの少女を、王女や改心した他種族の協力により守って行くようなときがあります。
 また、『シン・ウルトラマン』でも、圧倒的に強いウルトラマンがあえて変身アイテムを人間の仲間に託し、それにより油断したザラブの行いを露呈させて、人間の救助でとっさに隙を突いて解決しています。
 『幼年期の終わり』でも、オーバーロードが圧倒的な技術力を持ちながらも、手出し出来ないらしい地下に特別な人間が閉じ込められたり、特別な人間の子供が自然現象で危機に陥ったりするのに慌てるようなところもみられ、そこには人間と共に悩むと言えるところがあります。

 こうして、「上位概念」にも手の届かないところを、一見劣る人間などが決して侮蔑や中傷などとは言えない善意で上回るところがあります。

「自己責任」と言わない主人公もいる

 ここには、「上位概念」の言う通り、あるいは望む通りにすれば良いというパターナリズムに逆らうところもありますが、それを一見逆に見える「自己責任」で説明の付くかと言われると微妙ではあります。
 『シン・ウルトラマン』では、外星人メフィラスの支配からウルトラマンの助けで脱しても、ウルトラマンは「人類は自衛しろ」とは言わず、最後まで自分なりに助けようとしています。「自分達の力でベーターシステムを作り出してほしい。僕は君達人間の全てに期待する」と言いつつも、自分が新しい力を与えてしまったことでさらなる敵を招く可能性を考慮しています。
 『ギフト無限ガチャ』でも、自分達より強さで劣るヒューマンのシリカやミヤやエリオの助けを誉めつつも、それに「自己責任」として丸投げするようなところはありません。「自立」させることでパターナリズムから脱却させるのではなく、お互いに支え合うところがあります。
 しかし『幼年期の終わり』では、オーバーロードの支配が終わるときは、人類がある意味で「終わる」ときでした。人類はオーバーロードに「うらやましかった」と言われる、単なる「下位概念」ではなかったものの、掌の上だったところがあります。その意味で、「幼年期」から人類が脱却する、「自立」の物語ではなかったかもしれません。

第三の選択肢を模索する

 ここで重要なのは、「上位概念」がどれほど善意でも、かえって相手を苦しめてしまうことを『シン・ウルトラマン』では「力を与えてかえって敵を招く」と反省していることです。
 そのような自覚、助けることが裏目に出ることを不快に思う「上位概念」もいるかもしれませんが、「それでは助けない。好きにしろ」という「自己責任」か、「助けたあとの失敗の責任も取りつつ、関係を切らない」という新しい模索に入るのかが、『ギフト無限ガチャ』で重要になるかもしれません。
 
 

「意外に劣っている」と判明する人物

 また、『シン・ウルトラマン』では、人間の代表とも言える、ウルトラマンにとって仲間である禍特対の面々も、ウルトラマンや外星人の欠点を指摘するようで、自分達の「意外に劣っている」ところを露呈させています。
 田村は後半で急に煙草の描写があり、滝は職場に趣味の模型を持ち込むのはともかく、人類の危機に自暴自棄になり飲酒すらしています。また、命の危機かもしれないときに保護される中で、船縁は誰に注文したか分かりませんが、菓子類を大量に食べて「意外にストレスに弱い」と言われています。
 『NARUTO』で、主人公のナルトにライバル扱いされて、一見優れていたサスケが、終盤でナルトに「意外に馬鹿だったもんな」と言われるようにです。
 『オタク王子』では、中流貴族の令嬢で引きこもりの作家のフィオラより、弟で優秀そうなジル、そしてそのジルも緊張する王子のウィルが「上位概念」かもしれませんが、それぞれ「意外」な欠点が露呈しています。
 「上位概念」の構図にも段階があり、それぞれがいかに「意外に劣っている」ところを見せるか、誰にどう見せるかが、作品の複雑な奥深さかもしれません。

『二重螺旋の悪魔』の「上位概念」の弱点

 「上位概念」の欠点として、『ギフト無限ガチャ』や『幼年期の終わり』に似た『二重螺旋の悪魔』も重要な例になります。
 ここでは、人類をキリスト教やイスラームのように刈り取ろうとする「上位概念」が敵となりますが、その「不可侵」とも言える強い防御に、主人公はとっさの攻撃から弱点を見抜き、ある打開策を出します。
 それは、「猛烈な速度で突っ込む」、「刃物で攻撃する」というある種原始的なもので、「カミカゼアタック」という表現が、皮肉にも相手の状態に繋がります。
 刃物に弱い、人間が単独で命がけで突っ込めば防げないという皮肉な弱点に、作用反作用という物理の基本的な法則の客観性などが加わり、爽快感のあるものになります。
 そして、『シン・ウルトラマン』でも、刃物で原始的に立ち向かうとも言える浅見の、ウルトラマン=神永曰く「こんなキャラだったとは」と驚く行動が、小さな力でザラブの巨大な能力を出し抜いています。これはザラブが高度な技術で通信を遮断していたところもあるのですが、刃物で単身乗り込み、機動隊や自衛隊を連れて来なかったことで、ザラブの反撃により浅見が人間を巻き込むことも結果的に避けられています。
 刃物で接近するある種の「野蛮」な人間の行動が、『二重螺旋の悪魔』でも『シン・ウルトラマン』でも役に立ち、それに対抗し損ねた「上位概念」の「弱いところ」、「意外にたいしたことのないところ」が目立っています。

「人を人とも思わぬ」「上位概念」に出来ないこと

 また、『シン・ウルトラマン』でメフィラスが人間を資源だとみなすものの、ザラブはウルトラマンにも「君は私のものだ」と言っています。
 元々の『ウルトラマン』でのザラブ星人の同じ発言は、ザラブのなりすましたにせウルトラマンの容姿が当初映らないところもあり、ウルトラマンを捕まえて操っているようにも見えるところがありました。
 その台詞も相まって、『シン・ウルトラマン』のザラブはウルトラマンですらもの扱いするところがあります。
 そしてウルトラマンの同族のゾーフィも、人類を「廃棄処分」しようとしています。
 この「人を人とも思わない」苛烈なところが、「上位概念」の特徴かもしれません。しかし、逆に言えば浅見やウルトラマンは人間を「人」扱いしており、その「対等」な関係が、「人と人の間」とも言うべき「人間」らしさを生む、「上位概念に出来ないこと」をなしていくきっかけかもしれません。

2023年6月9日閲覧

強いための弱点

 『今日から死神やってみた!』では、人間の魂を管理する死神の中でも優秀なアルが、一般人から突然「死神見習い」になった伊織を指導していきますが、自分の強過ぎる霊力で周りに気付かれるところを是正しようと努力しています。
 強過ぎる力がかえって探知されるなどの欠点になるという展開は、『ドラゴンボール超 ブロリー』のフリーザなどにもあります。
 フリーザは敵の悟空達に気付かれないように、弱い部下に命じて潜入などをさせています。 
 ネットなどで「理想の上司」と呼ばれることもあるフリーザが、自分に出来ない、「相手に気付かれずに接近する」ことを弱い部下にさせて、仕事を与える、手柄をあげさせる、そして敵に一泡吹かせるなどの自分の仕事や願望を達成していくのは、「上位概念に出来ないこと」、そして何かが「上」だからこそすべき義務にも繋がるかもしれません。
 また、『ドラゴンボール』シリーズで、強いもののエネルギーが特殊な16号が敵のセルに気付かれずに接近したこともあり、このときは「強い味方の手柄」だったかもしれませんが、その直後に、「弱い凡人」だったとも言える、エネルギーが探知されるおそれはあるものの弱いのでされにくいだけのサタンが16号を助けています。そしてそのサタンの「気付かれずに接近する」ことは、魔人ブウ戦では強いベジータを助けることに繋がりました。
 

第三の選択肢が示しにくい原因

 「上位概念」が、一方的に善意で支配するパターナリズムを、「ならば下の者が勝手にして苦しめば良い」という「自己責任」論で否定することは多々あるかもしれませんが、その善意が裏目に出る可能性、上位概念に出来ないことがある可能性に気付き、上位でないからこそ出来ることに気付いていくことも必要だとみられます。
 「善意の支配」と「自己責任」論のどちらでもない第三の選択肢もあるかもしれませんが、それを見出せないのは、たいていはそこで「物語が終わる」からかもしれません。
 善意の支配を否定した先に何があるのか、「自己責任」で済まされない世界があるのかの理想を示せないまま、物語が終わってしまう可能性はあります。今のところ『シン・ウルトラマン』の続編があるか分からないようにです。
 私は、第三の選択肢は、「上位概念」とその下だとみなされる存在が互いに出来ないことを認め合い、新しい助け合いの道を見つけて行くことだと考えます。その参考になるのが、『ドラゴンボール』の終わったあとの『ドラゴンボール超』だとも考えています。
  

相手を認めること

 また、『ギフト無限ガチャ』では、ヒューマン以外の種族も徐々に穏健な個人や集団が示されていますが、それは「上位概念に出来ないこと」にも繋がります。
 ドワーフ種族(→魔人種,2024年4月29日訂正)を別のヒューマンからライトの部下が助けています。
 また、最上位のドラゴニュートの種族の差別は「上だと思っているだけで悪意はない」と言われ、その1人でライト個人の復讐対象のドラゴも、「死んでくれ」というライトへの台詞に余計な感情を交えていないところがあります。
 ドラゴニュートはともかく、ドワーフや獣人は徐々にライト達に認められています。
 ライトを崇拝するような部下達は、ヒューマンにすら高慢と取れる態度がありますが、弱いヒューマンの行いを徐々に認めざるを得なくなることもあります。
 仮に弱いヒューマンからライト達のような強い個人や集団が現れても、それが新しい「支配者」になるだけか、自分に出来ないことを認めるために、相手に有利なところを認めていくかも重要かもしれません。
 特に、『ギフト無限ガチャ』では、ライトの召喚する分身やゴーレムが、ヒューマンの「代わり」の奴隷にされるのか、ということも私なりに考えています。逆に、ライト達が「間違った支配」の「代わり」になってしまう可能性もあります。
 それを防ぐには、ライト達が自分達の欠点をいかに認めるかにかかっているかもしれません。

まとめ

 今回のテーマは、「上位概念に出来ないこと」から、パターナリズムと「自己責任」論の繋がりになりました。

参考にした物語

特撮テレビドラマ

樋口祐三ほか(監督),金城哲夫ほか(脚本),1966-1967,『ウルトラマン』,TBS系列(放映局)

特撮映画

樋口真嗣(監督),庵野秀明(脚本),2022,『シン・ウルトラマン』,東宝

小説

梅原克文,1998,『二重螺旋の悪魔(上)』,角川ホラー文庫
梅原克文,1998,『二重螺旋の悪魔(下)』,角川ホラー文庫
梅原克文,1993,『二重螺旋の悪魔 上』,朝日ソノラマ
梅原克文,1993,『二重螺旋の悪魔 下』,朝日ソノラマ

明鏡シスイ,『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』,小説家になろう(掲載サイト)
https://ncode.syosetu.com/n9584gd/
2023年6月9日閲覧

明鏡シスイ,tef,2021-(未完),『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』,ホビージャパン

クラーク/著,池田真紀子/訳,2007,『幼年期の終わり』,光文社古典新訳文庫

日下部聖,『オタク王子と作家令嬢の災難』魔法のiらんど(掲載サイト)
https://maho.jp/works/15591074771453312177
2023年6月9日閲覧
日部星花,2020,『今日から死神やってみた!イケメンの言いなりにはなりません!』,講談社青い鳥文庫
日部星花,2020,『今日から死神やってみた!あなたの未練断ち切ります!』,講談社青い鳥文庫

漫画

日部星花,一宮シア,『オタク王子とベストセラー作家令嬢の災難』,(BOOKWALKERなどに連載)
作画/大前貴史,原作/明鏡シスイ,キャラクター原案/tef,2021-(未完),『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』,講談社
鳥山明,1985-1995(発行期間),『ドラゴンボール』,集英社(出版社)
鳥山明(原作),とよたろう(作画),2016-(発行期間,未完),『ドラゴンボール超』,集英社(出版社)
岸本斉史,1999-2015,『NARUTO』,集英社(出版社)
ひらかわあや,2021-(未完),『帝乃三姉妹は案外、チョロい。』,小学館

テレビアニメ

伊達勇登(監督),大和屋暁ほか(脚本),岸本斉史(原作),2002-2007(放映期間),『NARUTO』,テレビ東京系列(放映局)
伊達勇登ほか(監督),吉田伸ほか(脚本),岸本斉史(原作),2007-2017(放映期間),『NARUTO疾風伝』,テレビ東京系列(放映局)
庵野秀明(監督),薩川昭夫ほか(脚本),GAINAX(原作),1995-1996(放映期間),『新世紀エヴァンゲリオン』,テレビ東京系列(放映局)
内山正幸ほか(作画監督),上田芳裕ほか(演出),井上敏樹ほか(脚本),西尾大介ほか(シリーズディレクター),1986-1989,『ドラゴンボール』,フジテレビ系列
清水賢治(フジテレビプロデューサー),松井亜弥ほか(脚本),西尾大介(シリーズディレクター),小山高生(シリーズ構成),鳥山明(原作),1989-1996,『ドラゴンボールZ』,フジテレビ系列(放映局)
大野勉ほか(作画監督),冨岡淳広ほか(脚本),畑野森生ほか(シリーズディレクター),鳥山明(原作),2015-2018,『ドラゴンボール超』,フジテレビ系列(放映局)

アニメ映画

長峯達也(監督),鳥山明(原作・脚本),2018年12月14日(公開日),『ドラゴンボール超 ブロリー』,東映(配給)

参考文献

佐々木良昭,2015,『イスラム教徒への99の大疑問 面と向かっては聞きにくい』,プレジデント社
佐藤優,2014,『いま生きる「資本論」』,新潮社


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