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私的制裁や「追放」、「異世界転生」の物語における、「災い」と「福」の関係を考察する


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注意

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実写映画

『ターミネーター』
『ターミネーター2』
『ターミネーター3』
『ターミネーター4』
『ターミネーター・ジェニシス』
『ターミネーター・ニュー・フェイト』

テレビドラマ

『JOKER 許されざる捜査官』
『相棒』
『VIVANT』
『必殺仕事人2010』
『DCU』

テレビアニメ

『新世紀エヴァンゲリオン』
『大怪獣ラッシュ』
『NARUTO』
『NARUTO 疾風伝』

漫画

『NARUTO』
『血戦のクオンタム』
『銀魂』
『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』
『新世紀エヴァンゲリオン』

特撮テレビドラマ

『ウルトラマンネクサス』
『ウルトラマンR/B』
『ウルトラマンZ』

小説

『ジョーカー 許されざる捜査官』
『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』(web原作,書籍)

はじめに

 『VIVANT』や『必殺仕事人』における、私的制裁の問題を記事で扱いました。


2023年8月14日閲覧


 今回は、「異世界転生」や「パーティー追放」などの流行らしい物語、そして『新世紀エヴァンゲリオン』などの物語についての評論も踏まえて、「災い転じて福となす」などの要素を扱います。

私的制裁とパターナリズムと「自己責任」論

 私的制裁の扱われる物語では、その存在や詳細を隠して、知らせないことが世の中のため、引いては知ろうとする人間のためというような、善意での強制、パターナリズムがみられます。
 また、「罰せられる方が悪い」として苛烈な罰を加えて、実は罰する側の都合で口封じなどをしているところもみられます。
 

「主人公だから間違えない」という飛躍とパターナリズム

 まず、『JOKER 許されざる捜査官』で、警察官の主人公が、「法で裁けない悪人」を私設刑務所に送り込む「神隠し」をするときに、それを知った若い警察官が最初に参加しようとするときに拒絶しています。
 しかし、それこそ「知らない方が良い」というパターナリズムで、独裁国家が情報を隠すのと原理的には変わらないでしょう。一見人数の少ない、なおかつたいていは公的な立場の低い『必殺仕事人』シリーズや『JOKER』の主人公だからこそ横暴に見えずに済んでいるだけで、実は独裁政権以上に法の網を潜り抜けやすいと言えます。
 こうして考えますと、警察などの制裁は、棘玉のようなもので、規模や人数が大きいほどむしろ、目立つので憲法やそれに基づく容疑者の人権を守る弁護士、あるいは警察内部で止める監察官などの「法の網」で捉えやすい、縛りやすいとも言えます。
 物語の私的制裁は、たいていは警察などより小規模なので、かえって小さな棘玉として法の網にかかりにくく危険だとも考えられます。

私的制裁と独裁の関係

 『希望の資本論』では、共産主義などを踏まえて、佐藤優さんが、「暴力や戦争を止めるための唯一の暴力という主張をする人間が一番ひどいことをする」という趣旨の記述をしています。
 また、難しい話題ですが、放射線のうち、威力の高いアルファ線の方が皮膚や金属の壁で遮断されやすく、威力の低いガンマ線の方がすり抜けやすいと言われます。テニスコートなどの網で、小さなボールの方が大きなボールよりも通り抜けやすくかえって危険であるようなものかもしれません。
 「法で裁けない悪人」を裁くと主張する人間ほど、小規模であることが多いので、間違えたときに取り返しの付かない暴力になりやすく、それは「主人公だから間違えない」という補正で支えられている面があります。
 『NARUTO』のサスケが終盤でしようとした独裁にも似ています。
 それを、「主人公達の言う通りにした方が、反対する人間を含む世の中のためだ、反対する側もそれで守られている」というような善意での強制が、パターナリズムになるのでしょう。
 というより、共産主義も、「労働者という弱者のため」という論理で、その主張が間違えないという飛躍により独裁になったのかもしれず、「小規模な組織」による私的制裁を望む心理と、独裁政権には何か繋がりがあるかもしれません。

私的制裁と「自己責任」論

 また、私的制裁を受ける人間が悪いことをしているからといって、秘密裏に処分されるのを、「自己責任」論の根拠にする可能性もあります。
 『VIVANT』で主人公がテロリストを処分したように、『DCU』ではテロリストに協力して、主人公の部下の父親を侮蔑した人間が、「出所したらテロリストに殺される」と恐怖する場面で終わりました。
 このような場面は、『相棒』でも暴力団にかかわった人間について起きることがあります。
 しかし、「主人公達にとって嫌な言動をする」のと、「主人公達の命に関わる重罪を働く」のと、「世の中が厳罰を許す」のと、「あとで犯罪者に殺されるのを放置する」のは別の話のはずです。

『ギフト無限ガチャ』の「罰する側の都合」

 『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』(以下『ギフト無限ガチャ』)では、種族差別に苦しむ「ヒューマン」を助けようと社会の変革を図る、例外的に強いヒューマンのライト達が、特に差別的なエルフ種の集団について、「自己責任」論で殺したことがあります。
 ライトの護衛のネムムに声をかけて袖にされて、逆恨みして付きまとうところまでは、「不愉快だがそれをやめさせるのが、反省させるのが難しい」「困った言動」です。
 しかしそこから「断った自分達を殺そうとする」のは、現実でほとんどの人間がしないことですから、「同じ対応をすべきか」という意味で飛躍しています。
 また、そういった行いを全く人目に触れない、証拠の残らない場所でするのも珍しいことです。
 「不愉快な行動をしてやめない、反省しない」ことを飛躍させて、「厳罰をされて当然な行い」にするために、人目に付かないなどの、罰する側の都合も隠れています。

「自己責任」論は、話し手の恩人すら切り捨てかねない

 
 また『相棒』の杉下右京は、「警察に協力して暴力団に潜入した人間を、それが露呈したからといって報復から警察が警護する義務はありません。それと捜査して真実を明るみにするかは別の話です」と主張して、協力者を危険にさらす捜査をしたことがあります。
 「危険な選択をした人間はその結果を受け入れるべきだ」という「自己責任」論は、ときにその話し手を助けた、部分的に良いことをした人間すら切り捨てる「恩知らず」にもなりかねません。
 右京のこの時点の相棒の神戸は、冷静そうで情のあるところもあり、「露呈したときに警護する義務がないなら誰も協力者になんてなりませんよ」と言っていますが、それは「協力者を守らないなんておかしい」という法律とは別の、神戸なりの倫理観によるものでしょう。
 また、『ギフト無限ガチャ』など、私的制裁をする物語では、それをきっかけに情報を得るなどの、かえって「災い転じて福となす」要素もみられるので、「結局は罰する側の得のためではないか?」と思わせるところがあります。
 

「ダンジョン」の「災い転じて福となす」

 少し脱線しますが、ファンタジーにおける「ダンジョン」作品などでは、倫理的に疑問の浮かぶところがあります。「敵によってかえって得をしていないか」ということです。
 ダンジョンという隔離された環境にモンスターなどがいて、そこに冒険者などが自ら入って積極的に殺して、資源を得たり「ステータス」を上げたりすると、戦いがモンスターから身を守るためなのか、自分達が強くなるためなのか曖昧になります。もちろん現実の「狩り」にもそのような要素はありますが。
 『ギフト無限ガチャ』では、ライトが強くなるために、メイドのメイが「襲って来たモンスター」を集めて、ライトに少し攻撃させて自分がとどめを刺すことで、「横殴り」という仕組みで経験値を増やしていたのですが、これは「襲って来たから殺して良い」という論理で支えられています。
 そのあとも、魔女のエリーがきわめて強い「暴れるだけ」のモンスターを用意出来たからこそライトがためらわずに殺して強くなれたところがあります。
 また、テイマーのアオユキがモンスターのほとんどを味方に出来るので、元々殺していたスネークヘルハウンドなどのモンスターを味方にして、ライトは殺せなくなっています。
 つまるところ、「敵のモンスターが来る」という災いを「殺して強くなれる」という福に転じるために、それで主人公達を悪く見せないために、殺せるメイ、ほとんどを味方に出来るアオユキ、味方に出来ないモンスターを呼び出せるエリーの順番に出会う偶然がライトを支えています。
 また、ライト以外のヒューマンは、通常のモンスターはライトの味方になっているので殺せない、敵にしかならないモンスターは強過ぎるので「横殴り」も出来ないとして、強くなれないようになっています。
 ライト個人の成長と、それが唯一無二であるように、災いと福が調整されています。

近年のウルトラシリーズと「ダンジョン」

 ウルトラシリーズでも、近年は主人公やウルトラマンが怪獣や敵の能力を使うことが多くなっています。平成ウルトラシリーズなどでは、主人公の防衛組織の上官や別の部署が行うのを主人公が批判することの多かったのですが、徐々に批判される側に主人公が近付いています。
 特に、『大怪獣ラッシュ』は、ウルトラマンではなく、ほとんどのシリーズで侵略者である種族の宇宙人が、怪獣に襲われて抵抗するのではなく、その住処に自ら近付きその鉱石を奪い倒す「怪獣狩り」を行うので、「ダンジョン」のファンタジーに近いとも言えます。
 モンスターのテイムや殺すことによる成長も踏まえますと、敵に襲われる災いを福に転じるなどの論理が、「主人公も悪役と同じことをしていないか?」という疑問の余地を生みます。
 以前記事で書いたように、ライトが、ドワーフ種のナーノと、「呪いの武器」を使う意味では同じなのではないかという疑問も踏まえて、「敵や災いを利用する」人間は悪人なのか、という問題があります。

相手の悪行を期待する

 『銀魂』ではコミカルに、「相手の方から悪いことをさせて、その正当防衛として攻撃するのを正当化する」ことを狙うことが、神楽のダイエットや、土方と沖田の監禁されたときにありました。
 「福に転じるための災い」を望む論理は、ウルトラシリーズにも、「ダンジョン」のファンタジーにもあるかもしれません。
 そしてそれを支えるのは、「そもそも襲って来るモンスターや敵が悪いから利用されても不満を言う資格はない」という「自己責任」論や、「登場人物の多くも主人公達のそのような行いで守られているのだから文句を言ってはいけない」というパターナリズムかもしれません。

「悪人」ばかり狙う連鎖

 素行の悪い人間を利用する論理は、『ターミネーター』で人間から服を奪うターミネーターなどにもあるかもしれません。
 『血戦のクオンタム』の「ペリル」や『ウルトラマンネクサス』の「スペースビースト」など、物語には人間を捕食する怪物がいますが、人目に付かないところでの素行の悪い人間を狙っている可能性があります。
 ダンジョンのような論理で、「モンスターを利用する」、あるいはウルトラシリーズで敵や怪獣を利用する主人公達の行いも、現実で模倣すれば、やがてターミネーターやペリルのようになってしまうかもしれません。
 それどころか、肝心の「災い」を増やすかもしれません。
 『血戦のクオンタム』では、「ペリルを殺すのと犯罪者を殺すのと何が違うんだ?」という主張がありますが、それはペリルの影響で犯罪者が増えているためでもあるそうです。
 「悪行をした相手には悪行をして良い」という論理は、かえってその連鎖を正当化してしまうかもしれません。

主人公がたどりかねなかった「災い」

 また、『ギフト無限ガチャ』のライトは、自分個人が種族として差別され、貧農として経済的にも身分としても苦境だったのですが、親や村人まで何者かに殺されています。
 しかしそれは、のちの展開も考えて、主人公を孤立させて盛り上げるためだったとも考えられます。
 ライトが強くなれたのは偶発的な能力「ギフト無限ガチャ」によるもので、両親や妹にはそれらしい能力がなく、なおかつ「善人」であっても、ヒューマン差別を変えるための社会的な活動をしたかは曖昧でした。
 社会の変革をしようとする人間に、現状にとどまりたがる家族が反対する物語はしばしばあります。ライトは親から隠してしようとしていたのですが。
 その疑問を避けるために、「親が殺されて止められない」という災いを生み出したとも考えられます。
 実際に、ライトに似た、ヒューマンでは珍しい強さを持つ「勇者」が目覚めて、ライト達の敵になるときに、その強さや武器を理解せずに頭ごなしに新しい活動を否定する両親を殺した例がみられます。
 「勇者の伝説は親の死んだところから始まることもある」と正当化していました。
 きわめて悪辣に描かれていますが、それは「仮にライトが親に止められていたら」というifとも考えられます。
 それは、「親の死ぬ」という災いが、ライトの場合は絶妙に調整されて、「親に止められずに済む」という「福」に転じたとも言えます。
 また、その勇者はそれこそ私的制裁をする人間のように、「自分にとって不愉快で、それをやめさせるのが難しい困った相手」と、「不愉快な行いを二度と出来ないような厳罰を世の中が許すほどの極悪人」の区別が出来ていないとも言えます。
 『ウルトラマンR/B』では、自ら怪獣を呼び出して倒す自作自演を行うウルトラマンオーブダークが、ただ倒すだけのウルトラマンロッソとブルに糾弾されましたが、「自分は人々に希望を与えている」と反論しています。主人公が活躍することで「災い」を「福」に転じた「希望」を生み出すとしても、その「災い」を起こすのでは、単なる悪役になると言えます。

現代日本の「個人的な不幸」とファンタジーの「全体的な不幸」

 また、『ギフト無限ガチャ』web原作後半には、その劇中世界がゲームや仮想世界の中であるかのような、「現実の日本」からの転生者のような人物もいます。
 「ゲームのようにリアルな爆破を楽しめる」という人物、「この惑星を脱出したらスローライフを楽しみたい」、「何故ファンタジー世界に来てまでデスマーチをしなければならないのだ」など、その世界の不幸をひとごとと捉えたり、自分個人の楽しみの道具にしたりしているようです。
 その世界に生まれた貧農の息子のライトとは、思考が根本的に異なると言えます。
 しかし、「スローライフをしたい」、「デスマーチをしたくない」など、その転生者なりに苦労はしていたとも取れます。
 その自分個人の不幸ばかりに注目して、自分のいる世界全体の不幸を変えずに、むしろ利用するなどは、現代日本の「異世界転生」作品を見る人間の象徴かもしれません。

 言わば現代日本からの転生者が「相対的貧困」などの文明に依存した中での不幸ならば、ライトは「絶対的貧困」などの文明から離れた不幸にさらされているとも言えます。前者の都合で後者を振り回すとすれば、先進国の大半の「貧しい人間」の生活のために途上国の人間が犠牲になるようなものかもしれません。
 日本のチョコレート企業や衣服企業のために、外国人が酷使されるようなニュースはありますが、『ギフト無限ガチャ』はその象徴かもしれません。
 そして、「自分個人の不幸を解決するために世界全体を左右する」のが、私的制裁の、「自分にとって不愉快な人間を、世の中全体の敵とみなす」論理に繋がるかもしれません。

「パーティー追放」は「追放してほしい」のか

 また、『ギフト無限ガチャ』は少し趣旨が異なりますが、近年のファンタジーでは、「パーティー追放」の要素がみられます。
 主人公が努力していた、あるいは分かりにくい能力で支えていた、助けていたのを理解しないパーティーに「一方的に」追放されて、主人公が新しい職場を見つけて成功する、追放したパーティーは主人公の支えがなくなり失敗するというパターンが多いようです。
 しかし、「自分の貢献度を説明しない主人公達が悪いのではないか?」という疑問もみられるようです。
 また、「本当に役立たずならば追放されるのは仕方がない」という論理もみられるので、「追放されたあとに能力に目覚めた」という物語は批判されやすいようです。
 その意味で、自分でも「無限ガチャ」が役に立たないとみなしていたライトは前者の批判から外れますが、弱い通常のヒューマンの例によって、実際にパーティーで足手まといだったので、「追放」そのものはやむを得ないとも言えます。問題は「ならば何故パーティーに入れて、途中で追放ばかりか殺そうとしたのか、その説明もしないのか」に絞られています。
 これらの「追放」を扱う作品について、私は「追放される災い」を「転職出来る福」に変えたいのではないか、本当は「追放してほしい」心理の表れなのではないか、と幾つかの物語を踏まえて推測しました。
 

『エヴァ』は「案外楽しい環境」なのか

 

 また、『新世紀エヴァンゲリオン』では、強力な兵器に乗る中学生のシンジの悩みや苦しみが重要ですが、切通理作さんの評論『ぼくの命を救ってくれなかったエヴァへ』では、「案外楽しいのではないか」、「『エヴァ』はエリートと主人公の血縁ばかりによる物語である」とあります。この2つの批判が、「異世界転生」や「パーティー追放」にも通じるところがあります。「程良い災いを起こして、その福に転じる楽しみを娯楽にしていないか」ということです。

 まず、『エヴァ』は怪獣のような未知の生命体の「使徒」から世界や人類を守る兵器「エヴァンゲリオン」が、一部の14歳の男女にしか使えないため、司令であるゲンドウの息子のシンジが戦いを要求されます。強制ではありませんが、「乗るなら早くしろ、でなければ帰れ」、「嫌なら出て行きなさい、迷惑よ」というような姿勢で大人に扱われます。
 しかしシンジは苦しいながらも、同じ14歳で、「外見だけなら人気」と劇中で評されるアスカや28歳で「美人」と周りが言うミサトと同居し、見ている分には刺激的な生活をしています。
 ただし、実際には面倒な家事も押し付けられていますが。
 そういった「美女との同居」や、使徒との戦いによる「ストレス解消」が、案外楽しいのではないか、と切通さんは推測しています。
 しかしそれは、「見ている分には楽しい」「災いと福」でしょう。
 人造人間のエヴァを操縦するシンジには、腕の骨折や切断などの痛みが連動するなどの苦しみや恐怖がありますが、その「災い」は視聴者には直接伝わりません。
 しかし、アスカやミサトの恥ずかしい姿などを見る分には、視聴者にも伝わる「福」だとも言えます。
 劇中のシンジにしてみれば、災いと福が多少釣り合っているかもしれませんが、視聴者はその後者に偏って得られるとも言えます。

見ている分には楽しい「災い転じて福となす」

 また、シンジは、壊滅しかけた世界の中でかなり金銭的に豊かな家庭らしく、父親の司令のゲンドウも、母親の亡き科学者のユイも、漫画版では高学歴だと判明しています。
 関係者のアスカもミサトも、リツコも高学歴であり、『エヴァ』はエリートばかりの物語だという切通さんは主張しています。
 また、トウジも父親と祖父が研究所勤め(母親がエヴァの研究にかかわっている可能性があります)とはいえ、蚊帳の外に置かれていると切通さんが述べています。アスカも途中からそうですが。
 その高学歴で特殊な血縁を持つシンジばかりが物語の主軸になるときに、それが目立ちにくくなっています。
 シンジの「苦しみ」として、身体的な痛みや家事、家庭の不幸がありますが、それを見ている分には視聴者に、連動せずに背景として受け入れられやすくなっていたでしょう。
 しかし「福」としての使徒との戦う爽快感、アスカやミサトとの同居、周りからの賞賛などは、視聴者がシンジとの一体感のように受け入れている可能性があります。
 つまり、「災い転じて福となす」物語は、シンジを踏まえて、災いの痛みが受け手に連動しにくく、福は連動しやすくする効果があるかもしれません。

「異世界転生」や「パーティー追放」も踏まえて

 「異世界転生」を扱う作品は、「現実はファンタジーのようにはいかない」、「現代文明なしでは、衛生や病気、資源などで圧倒的に不利である」という批判もされますが、多くの物語は、現実にない要素の「福」を扱い、「災い」を避けるように描かれているとも考えられます。
 「パーティー追放」も、「追放」の「災い」が「転職」などの「福」に転じるところで、本来主人公側が自分の意思で「転職」しなければならないのを、その賭けの挑戦のリスクを「追放する側」に押し付けているかもしれません。
 

私的制裁と『ギフト無限ガチャ』の独裁

 先ほど、「私的制裁は法の網を抜けやすい分独裁政権に近い」と書きました。
 『ギフト無限ガチャ』は実質的に最強の主人公達の独裁になりやすく、またイスラーム国家のような苛烈な処刑もみられ、犯罪者を隠蔽するのが、『いま生きる「資本論」』で紹介された共産主義国家にも似ていると書いたことがあります。
 イスラーム、あるいは共産主義の独裁国家と、一見小規模な主人公達の集団による私的制裁には近いところがあるかもしれません。

まとめ

 こうして考えますと、『JOKER』や『必殺仕事人』は、「主人公達にとって嫌な人間に徹底的な制裁をくだしたい、反撃や通報はされたくない」という心理の表れで、重い悪行に処刑や終身刑のような罰をしているとも言えます。
 また、罰する側の都合で「口封じ」なのか「処刑」なのか曖昧な行いもみられます。
 『ギフト無限ガチャ』や『銀魂』なども踏まえますと、「相手の方から悪いことをする展開にして、倒す正当化をしたい」、「相手によって、展開に適した災いだけ起こしてほしい」という心理もみられます。
 親の縛りから逃れたい、現実から別の世界に行きたいという個人的な心理が、「親を殺される」、「親に見放される」という災い、あるいは「転生させられる」という状況に繋がるのかもしれません。
 「災い転じて福となす」などの展開で、主人公個人にとっての感情が世界全体の利益と一致するようにしたり、主人公の敵が悪いことをしたというのを利用したりと、「主人公は悪くない」という偶然も含む要素を成り立たせる効果があるとも言えます。
 ここから現実に学ぶべき教訓があるとすれば、「現実の人間の不幸は、世の中の不幸と一致するとは限らない」、「災いが福に転じる物語のようには、現実はなりにくい」などが考えられます。


参考にした物語

実写映画

ジェームズ・キャメロン(監督),ジェームズ・キャメロンほか(脚本),1984,『ターミネーター』,オライオン・ピクチャーズ(配給)
ジェームズ・キャメロン(監督),ジェームズ・キャメロンほか(脚本),1991,『ターミネーター2』,トライスター・ピクチャーズ(配給)
ジョナサン・モストゥ(監督),ジョン・ブランカートほか(脚本),2003,『ターミネーター3』,ワーナー・ブラーズ(配給)
マックG(監督),ジョン・ブランケットほか(脚本),2009,『ターミネーター4』,ソニー・ピクチャーズエンタテイメント(配給)
アラン・テイラー(監督),レータ・グロリディスほか(脚本),2015,『ターミネーター新起動/ジェニシス』,パラマウント映画(配給)
ティム・ミラー(監督),デヴィット・S・ゴイヤーほか(脚本),2019,『ターミネーター・ニュー・フェイト』,パラマウント・ピクチャーズ

特撮テレビドラマ

小中和哉ほか(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2004年10月2日-2005年6月25日,『ウルトラマンネクサス』,TBS系列(放映局)
武居正能ほか(監督),中野貴雄ほか(脚本),2018,『ウルトラマンR/B』,テレビ東京系列(放映局)
田口清隆ほか(監督),吹原幸太ほか(脚本),2020,『ウルトラマンZ』,テレビ東京系列(放映局)

テレビアニメ

神谷純,赤星政尚(シリーズ構成),2013-2014,『大怪獣ラッシュ』,テレビ東京系列
庵野秀明(監督),薩川昭夫ほか(脚本),GAINAX(原作),1995-1996(放映期間),『新世紀エヴァンゲリオン』,テレビ東京系列(放映局)
伊達勇登(監督),大和屋暁ほか(脚本),岸本斉史(原作),2002-2007(放映期間),『NARUTO』,テレビ東京系列(放映局)
伊達勇登ほか(監督),吉田伸ほか(脚本),岸本斉史(原作),2007-2017(放映期間),『NARUTO疾風伝』,テレビ東京系列(放映局)

漫画

佐々木善章,大地幹,2022-(未完),『血戦のクオンタム』,コミックDAYS連載中
作画/大前貴史,原作/明鏡シスイ,キャラクター原案/tef,2021-(未完),『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』,講談社
岸本斉史,1999-2015,(発行期間),『NARUTO』,集英社(出版社)
藤田陽一ほか(監督),下山健人ほか(脚本),空知英秋(原作),2006 -2018(放映期間),『銀魂』,テレビ東京系列(放映局)
カラー(原作),貞本義行(漫画),1995-2014(発行期間),『新世紀エヴァンゲリオン』,角川書店(出版社)

テレビドラマ

石原興(監督),森下直(脚本),2010,『必殺仕事人2010』,テレビ朝日系列
伊與田英徳ほか(プロデューサー),田中健太ほか(演出),青柳祐美子(脚本),2022,『DCU』,TBS系列
橋本一ほか(監督),真野勝成ほか(脚本),2000年6月3日-(放映期間,未完),『相棒』,テレビ朝日系列(放送)
武藤将吾(脚本),土方政人ほか(演出),2010,『JOKER 許されざる捜査官』,フジテレビ系列
福澤克雄ほか(演出),飯田和孝ほか(プロデューサー),八津弘幸ほか(脚本),2023-(未完),『VIVANT』,TBS系列

小説

武藤将吾(脚本),木俣冬(ノベライズ),2010,『ジョーカー 許されざる捜査官』,扶桑社

明鏡シスイ,『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』,小説家になろう(掲載サイト)
https://ncode.syosetu.com/n9584gd/
2023年8月14日閲覧

明鏡シスイ,tef,2021-(未完),『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』,ホビージャパン

参考文献

大澤真幸ほか,2016,『ぼくらは未来にどうこたえるか』,左右社
池上彰,佐藤優,2015,b,『希望の資本論 私たちは資本主義の限界にどう向き合うか』,朝日新聞出版
那須耕介(編著),橋本努(編著),2020,『ナッジ!? 自由でおせっかいなリバタリアン・パターナリズム』,勁草書房
沢登俊雄,1997,『現代社会とパターナリズム』,ゆみる出版
佐藤優,2014,『いま生きる「資本論」』,新潮社
切通理作(編・著),1997,『ぼくの命を救ってくれなかったエヴァへ』,三一書房


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