メタモンちゃん

母子家庭、再婚、家庭内いじめ、転校、不倫、家出、嫌がらせ そんなことがあっても人は幸せ…

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母子家庭、再婚、家庭内いじめ、転校、不倫、家出、嫌がらせ そんなことがあっても人は幸せに生きられます。全ては自分次第✨逃げても良い。生きているだけで偉い

最近の記事

親のいない花嫁

私が結婚した時、 親戚や地元伝たいで母は話を聞いたそうです。 おめでとうの連絡はなかったかな? 私に対する文句が来るときもあれば 誕生日おめでとうなどの連絡が来ることもあり 苦しくなって見るのもやめてしまいました。 私は小さい頃から、 この家を出るとき、 多分母は喜んでくれない そんな気はしてました。 何故かと聞かれると、まだうまく説明できる 言葉が見つかっていません。 母は頭の中に大切な人を たった一人 しか入れられないような気がしていました。 母

    • あなたが人生でした1番悪いことは何ですか?

      私はカツアゲです。 (いつか消します。笑) 警察に補導されたり、 警察に家まで送ってもらったり 可愛らしい悪いことはたくさんしても、 成人してから裁判沙汰になるようなことをしでかしたのはこの1度です。 家出をして1人になりやっとこ生活するためにどれくらいお金がかかるか分かりました。 収入は12万円程。 奨学金を払いながらだとなかなか厳しい現実。 母が女で1人で私を育ててくれたことは感謝していますが、何故私が親の勝手な色恋沙汰しかも不倫に振り回されなきゃいけない

      • 23歳。家出をした

        元々、母子家庭 母と2人暮らし。 将来的にも家を出るという 選択はなかなか考えていませんでした。 母は、離婚後に何人もの男を 連れてきては嫌な思いをさせられましたが 母と2人の時間は仲が良いときもあり たった1人の身近な家族。 大好きでした。 ですが、私が23歳の頃に連れてきた 新しい彼氏がとても最悪でした。 母の16歳下の妻子持ち =不倫 私のアルバイト先のお客さんのため 家族にも奥さんにも会ったことがありました。 そして母も同じお店で接客業をしていたため

        • 人を頼れない

          大好きな人たちは私の弱点を分かってる。 甘えられない人を頼れない だからもっと頼ってってみんな言うけど 話したらみんな困る 私も大好きだからそんなみんなが 困る顔なんて見たくない。 私だって人に甘えたい 帰る実家が欲しい。 隣の芝は青く見える そんなこと重重承知だけど 私がもっと物分かりのいい子だったら 環境は変わったの? 私じゃなかったら変わってたの? 正直人生イージーモードが羨ましい 私はきっと今しばらく鬱なんだ。 家庭環境を言い訳にしないっ

        親のいない花嫁

          東京貧困女子と地方貧困女子

          東京貧困女子 最近話題になっています。 東京に一人暮らしをしている女性が、 3人に1人生活のために、 水商売や風俗やパパ活をしていかないと いけない貧困時代。 その原因で多いのが奨学金の返済だそうです。 奨学金の返済で自己破綻をしてしまう人も少なくないそうです。 私は都内在中ではありませんが、 同じように奨学金を払い 地方貧困女子 をしておりました。笑 母子家庭2人家族だったのに 母との喧嘩が絶えず家出をしました。 以前にも記していますが、毒親のため とある

          東京貧困女子と地方貧困女子

          女は人の悪口で仲良くなる

          と私は学生の頃ずっと思っていました。 当時私が中学生の頃、 少人数の学校だったため女の子の中でも 何となくヤンチャなタイプと大人しいタイプと別れていました。 その中でも 誰かの文句を率先して言うタイプと その文句に乗っかるタイプと そうでないタイプ がいました。 誰かの文句を率先して言うタイプが ヤンチャなメンバーの中でも強く、その子が言い出したらターゲットにされた子が仲間はずれになる。 そんなことがローテーションで行われていました。 私はわりと乗っかるタイプで

          女は人の悪口で仲良くなる

          反抗期と刃物

          やがて私は反抗期を迎えることになります。 その頃小学5年生。 もちろん反抗期なのは私だけではなく 同級生の子達もほとんどが反抗期を迎えます。 私の学年は2クラスで合計人数60人ほど。 話したことのない人がいないくらい少人数です。 私のクラスの担任は若い女性でした。 当然反抗期の私たちを扱えるわけがなく、毎日喧嘩に巻き込まれていました。 教室の中では物が投げ合われていたり、 物が隠されたり、 誰かが授業から抜け出したり、 ベランダから飛び降りようとしたり、 何も事件がな

          反抗期と刃物

          勉強しろという親はだいたい低学歴

          子供に性行為を見せたりすることは 性的虐待にも繋がると最近Twitterで拝見しました。 母は会社の飲み会や、彼氏含めたグループデートに 私を連れていくことがありましたが思春期の私にとっていい大人が酔っ払って目の前でイチャイチャしたりキスするところを見たり下ネタを言ったりとても不快でした。 母の会社でできた若い彼氏とは4年程付き合ったり別れたりが続きました。 母は私に勉強しろ勉強しろといつも言っていました。 私はこんなにも知らない男の人や大人が出入りするような家でどん

          勉強しろという親はだいたい低学歴

          母の新しい彼氏

          以前にも記していますが、 私の母はとても美人です。 母が迎えに来る学童、 母が皆に見られる授業参観 母と一緒にする習い事 自慢の母でみんなに母を見てもらえること がうれしかったです。 ただその頃、 母に憤りを感じることが大きく2つありました。 小学4年生の頃になると、 クラブ活動に入部することになります。 私は大好きな球技の中からバスケを選びました。 その事を母に伝えると、 「せっかくこんなに細い手足に産んであげたのに、何でバスケなんかやるの?!!お母さんみたいな

          母の新しい彼氏

          再婚、転校

          母の再婚により、 隣町の小学校へ転校になりました。 小学2年生の頃です。 私は新しい父親を受け入れられたと 思ったことがなかったです。 むしろ父親の方も私に気に入られようなんて 思ってもいなかったように見えました。 新しい父は、独身の頃から持ち家があり 3階建て屋上付きのお家に住んでいました。 1階は駐車場と物置と空き部屋 2階はリビングと母の部屋 3階が、私と新しい父の部屋 私の部屋から新しい父の部屋は、 リビングに降りる階段に行くまで 通る場所にあり、当たり前の

          母子家庭の生活

          私は小学生にあがる頃に、 両親の離婚で 母と2人暮らしになりました。 正直父のことは記憶にあっても、 父がいた生活は思い出せません。 それほど家にいなかったからです。 離婚の理由は父の借金が原因でした。 小さい頃、暗い部屋で母と抱き合いながら 朝を待ったことが何度もありました。 あの時訪ねてきた謎の男の人は ヤミ金だったことを後から理解しました。 それでも私は母も、父も大好きでした。 どちらに私がついていくのか、 状況から考えて選択肢は母しかないですが、 父にはなんて

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          波乱万丈な人生

          なんで私だけこんなに波乱万丈なの?と思うことがたっくさんありました。 もし、 自分と何か重なるような人がいれば その人たちに私の乗り越え方を知ってもらって 参考にはできなくても、少しの励みになれば いいなと思いnoteで届けていきたいと思います。

          波乱万丈な人生