ひらめきがおこる時間の前に。
九月に入ってから、村上春樹の作品を読んでいる。
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」
上下巻の長編。
こんなにボリュームのある小説を読むのは、結構久々だと思う。
通勤時間が楽しい。
電車が最寄り駅について、それまで読んでいた本を閉じ、駅から家までいつもの帰り道を黙々と歩き始めると。
ものすごくいろんなことを考えた。
最近読んだ本を通じて吸収したさまざまな物事が、頭の中で意識もしていないのに急速につながり始める。
~についてはこうなんじゃないか。
~についてはこんなことがいえるんじゃないだろうか。
それはなぜなら・・・・
脳が勝手にスパークを起こして、止まらない感じだ。
そうかそうだったんだ!と一人ふつふつしているんだけど、あまりにも加速しすぎて、駅を出たばかりの頃に考えていたことが、家の前まで来ると、また違う発見に押し流されて、消えてしまいそうになる。
そう、ここまで燃え上がったとしても、何か手を打たないとあとには結局何も残らない。
本当にあっというまにどこかにきえてしまうのだ。
紙とペン。
こんなにもびりびりしているのに、書きつけておくものがない。
もう少しで家の中だから。
そうしたら、このひらめきを紙にうつしとれるから。
うまく記録できるかも自信がないけど。
ちょっとだけ待ってくれ。
言葉が出たがって、身体のなかで暴れまわっている感じ。
ツバキ文具店の主人公のぽっぽちゃんも、手紙を書くときにこんな状況になっていたシーンがあった気がする。
喉元まで閃きがこみ上げてくる感じ。
そのときは、閃きはあったとしても、そこまで強くこみ上げてくることってあるかなと思っていたけど。
あるな…。
久々にこういう状態になって気が付く。
閃きが起こる散歩と、閃きのおこらない散歩があることに。
以前、こんな記事を書いた。
散歩をしている時、シャワーを浴びている時、トイレにいっている時、お酒を飲んでいるとき、眠るとき。
日常には閃きが起こりやすい状況があるということ。
それは、なにも考えていない状態。
ひたすらにぼーっとしているときにおこる。
いろんなジャンルの本が、形は変えても共通して書いていることなので、真理だと思った。
だから、こんな記事を書いて、意識的に日常に取り入れてみた。
けれども、実際やってみると、たとえ同じことをやってみても、うまく作用していると感じるときと、まったく何も起こらない時がある。
ただひたすらにぼうっとしているだけ。
今回みたいなスパークはおこらない。
この差は何なんだろう。
なぜ、スイッチが入るときと、入らない時があるのか。
と、考えた時、歩き始める直前に小説を読んでいたことを思い出した。
村上春樹の小説。
世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド。
こんなものは逆立ちしても書けない、というくらいに超絶に面白い小説。
これか、私の頭のトリガーになったのは。
村上春樹なのかもしれない。
風変わりすぎて、いろんなことを考えないわけにはいかなくなるくらいに、おもしろい。ページごとに感動してる。
どうしようもなく創造性が掻き立てられる。
今度からクリエイティブになりたい時には、私は村上春樹の小説を積極的に読んだ方がいいのかもしれない、と思った。
ほかの小説も電車の中で読むけれど、こんなにも爆発しそうな気持ちになったことはない。
読む。そして散歩に行き、シャワーを浴び、眠る。
この手順を踏むのがいいだろう。
よし、今度からそうしよう。
数日前、そんなことがあった。そして一昨日くらいに上巻を読み終わって、下巻にも手を出しつつ、幕間的に脳の作用について書かれた、「ブレイン・ドリブン」という本をキンドルで読んだ。
こっちも並行して読んでいたんだけど、終わりまでもう少しだから、下巻に熱中する前に読み終えてしまいたいと思った。
最終章にとりかかり始めると、この本の中にも、クリエイティブな思考において、「ぼーっとする時間の大切さ」が説かれていた。
やっぱりどの観点から見ても、上のような行動をしている時、脳が自動操縦モード(デフォルトモード・ネットワーク)になっているときに、閃きはやってくるんだ。
けれども、この本はもう一歩進んだことを書いてくれていた。
思考にどっぷりと浸ったあとのぼーっとした状態は、クリエイティビティにとっては非常に重要な時間となる。
発想したい対象にどっぷりと浸ってから、無思考モードに入る。
どっぷりと浸っていたのなら、無意識にそのことを想起する可能性が高まり、創造プロセスを開始する可能性が高まる。
今の私程、この研究に納得感を持てる人はいるだろうか。
ひらめきが起こる時間は、その直前の時間に何をするかも同じくらいに大事だということだ。
あの時、私はどっぷりと小説の世界にはまり込んで、その後に家まで歩いた。
頭の中では、ここに書いていることがそのまんま行われていたに違いない。
ただ歩けばいい、眠ればいい、シャワーをあびて、ぼーっとしとけばいい。
そうではないのだ。
対象について考え尽くす+無思考の時間を過ごす
これが正しい。
どうして誰もおしえてくれなかったの??(笑)
なにはともあれ。
私にとってそういう思考に入りやすい条件というのは、判明したわけだから、引き続き下巻も楽しみたいと思う。
時に、ぼーっとしながら。
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