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良いと思って伝えていることが、実は「個性を消してしまっている」ことに気づかなくてはいけない。

今はみんな似ている。

教えすぎている。

コピーみたいな、似たサッカーをやる。

ユニホームの色がちがうだけ。

自分を作りたくなる指導者が多い。

今の若い選手はポテンシャルは高いが、個性的な選手は少ない。

昔は先生たちがあまり教えなかったから、選手たちが工夫していた。

個性は教えるものではない。

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これらは、セルジオ越後さんのYouTube番組で、城彰二さんとの会話の中で語られていたことです。
【横浜フリューゲルス】城彰二vs個性派集団(5:15~)



Jクラブで指導していた時に、これは私も感じていました。


今は、たくさんの情報で溢れ返っています。

学べるものがたくさんあるということはとてもいいことではあるものの、取捨選択する必要性も求められています。


「何を教えて、何を教えないか。」

「教えるのはいつか。今なのか、まだ先なのか。」

「この子にとってはどうなのか。」


これまでの自分の指導経験を踏まえて考えると、大人(指導者・保護者)はこれらを考慮して指導にあたることが絶対的に欠かせません。

自分が感じたその瞬間の気持ちのまま教えたり、新たに学んだことや自分の理想とすることをそのまま伝えたりすることは、相手のことを考え抜いてのことなのかというと、そうではない場合があります。

教えた後、伝えた後、どうなるのかを想像すること。


子供は大人の言葉を信じてその通りやってくれます。

でも、やろうとしすぎる反面、頭が固定化してくることがあります。

これでいいの?と、大人の表情を窺うようではいけません。

指導者の色、チームの色が出過ぎると、個性が見えなくなってくることがあります。

「何かを言う」という行動は、それによってやらなくなることができるということと表裏一体。

良かれと思って言ったことが、個性を失わせてしまう場合があります。


サッカーは自由なスポーツ。


自由にプレーし、より楽しめるための絶対的かつ普遍的な技術の習得に取り組み、その上で、個々の判断を尊重して、失敗や成功体験を積み重ねながら、個性を磨いていってほしいと、当アカデミーでは考えています。



代表 森  一哉

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