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【枠を決めたら、個は、枠以上にはならない】

日本人は、言われたことはやれる。
昨日言われたことは、昨日しっかりやる。
今日言われたことは、今日しっかりやる。
そのつながりの中で、昨日言われたことが抜け落ちてしまう事はよくある。
考えて何かを生み出すというよりも、言われたことを遂行することに長けている。
そういった日本人特性があるという前提を踏まえて、指導にあたる必要がある。

枠を決めたら、個は、枠以上にはならない。

枠は、知識を身につけやすいが、伝え方を間違えると、知恵を身につけにくくなる。
それに、枠があることで安心してしまう。
その中でうまくなっていったとしても、その枠の限界を越えることはない。
限界を越えさせるためには、枠を決めた指導者自身が、その枠を大きくしない限り、越えていけない。

子どもの成長速度は、大人のそれとは比較にならないほど速いということを、我々は知っている。
だとしたら、無限の可能性に蓋をしてしまうようなアプローチは絶対に避けるべきである。
指導者が枠を決めてしまうよりも、子どもたちの自発的成長スピードを解き放つ方が、成長速度は何倍も早められる。

枠は指導者が決めるものではない。

枠は、子ども一人一人の成長に合わせていくべきだ。
時に大きなでこぼこ、いびつな形になったとしても、成長を楽しめる環境、プレーをすることを楽しめる環境、のびのびとやれる環境、互いをリスペクトし合える環境。
それらがあれば、みんなが追いつき追い越し、指導者の想像を遥かに越える、大きな大きな枠になっていく。
これは、無限だ。

一人一人を伸ばすというところに発想の原点があれば、うまくいかないという考えにはならない。
なぜなら、できなければいけないという見方ではなく、できるようになっている、できることが増えているという見方になるからである。

勝つというのはあくまでも結果。
どう勝つかを指導者が決めるから子どもたちは無理をして合わせなければいけなくなる。
そこに無理が生じ、それを見た親御さんも苦しくなるという負の連鎖につながる。

サッカーは、プレーヤーのもの。
本人のもの。

それを手助けするのが指導者の役目。
勝たせるのが指導者の役目ではない。

指導者が決めた枠は、たしかに現状において勝つことに近づくものであるが、その枠を形成するために、子どもたちが無理を強いられている現状があるならば、それは子どもたちが勝ちたいのではなく、指導者が勝ちたいとなっているということである。

冒頭にも述べたが、枠を決めるとその枠に安心してしまう。
うまくいけばいくほど、その枠が正しいと思い、素直さまでをも奪ってしまう。
その枠の外には、もっともっと素晴らしいものがあるのに。

そうならないようなアプローチを常に心がけていく必要があると、私は思っています。  



代表 森  一哉

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