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危険な回教 = 害を与える宗教では無い

前回は、1400年前の慣習規範であるクルアーンコーラン(神の言葉)とハディース(ムハンマドモハメッドの言葉)を解釈して、現実世界の習慣規定、すなちシャリーアイスラム法を作ると言う回教徒の思考法こそが危険な事を説明した。

ここで強調したいのは、危険な回教が必ずしも危害を加えてくるものでは無いと言うことだ。車は運転を誤れば人を殺すし、大惨事も引き起こす。しかし、車の運転 = 交通事故では無い。只、どの様な場所や状況で、事故が起こり易いかを知るのは重要な事だ。

同様に、日本国内で回教徒との衝突を考える事は、平和な社会を維持するのに重要なことだ。回教徒との大規模衝突はまだ発生していない。回教徒以外で見るならば、戦後の小さな異文化衝突では、1970年代にベトナムからのボート・ピープルと言われた難民の多くが定住した町の混乱がある。彼らの多くは神奈川県大和市と横浜市の境にある「いちょう団地」に住んだ。ベトナム人達と日本人団地住民の間に軋轢あつれきが色々生まれたが、双方の融和努力と交流で、ベトナム人達は次第に日本人社会に溶け込んで行った。

別の例では南米からの就労者達の集団がある。1990年代、労働法の改定により外国籍の日系人達が、日本で就労できる様になった。ブラジルを始め、多くの南米日系人が労働者として日本にやって来た。彼らは工場が在る特定の町に住み着いた。その最大規模の町が群馬県大泉町である。ここはリトゥル・ブラジルの様相を呈している。

彼らは家族も連れてきたが、小学校低学年くらいまでの子供達は、直ぐ日本の生活に慣れ、日本語も流暢りゅうちょうに話せる様になった。羨ましい限りである。しかし、中学生や高校生の子供達となると、簡単に日本語の修得はできないし、日本社会にも簡単には溶け込めない。

この様な勉強嫌いの子供達は、月日が立つにつれ何をするでも無く、特定の溜まり場でたむろする事になった。やがて彼らは不良の徒となったが、日本人にも不良の徒党を組む者達が少なからずいた。両者が時折、喧嘩騒ぎを起こすのは必然だった。しかし、学校、教育、行政関係者、親たちの融和努力で、お互いの交流により、この様な仲違なかたがいは減少し、日本の中に南米色の濃い平和な町ができあがっていった。

どちらの場合も日本文化に逸早いちはやく溶け込んだのは子供達だった。この子供たちを通して各々家族は、ゴミの分別や出す日、回覧板や案内板、その他、住んでいる町の仕来しきたりを学んでいったと言う。月日が経つと日本人と結婚する人も現れ、平和な異文化社会が日本の町中に出現している。これも宗教上の根本的問題が無かったからだ。しかし、回教徒の場合は異なる。

上述の「いちょう団地」や群馬県大泉町の様な、多数の回教徒による回教文化の町はまだ無い。日本に在住する回教徒の数は、2023年の推計で約23万人で、結婚などで永住資格を持つ人は約4万7千人とされている。10年前の推計では1万~2万人だっので、倍増以上している事になる。統計的推計値では、日本人の500人に一人は回教徒になるらしい。回教徒の多くにとって避妊は禁忌なので、子供の数は爆発的に増える。回教文化の大きい町が出現するのも時間の問題だろう。

回教徒の大きい町ができた場合、そこで起こり得る騒動には解決策はない。何故なら回教徒は、クルアーンコーラン(神の言葉)とハディース(ムハンマドモハメッドの言葉)を基にした習慣規定、すなちシャリーアイスラム法に従って行動するからだ。彼らに妥協は無い。何故ならクルアーンとハディースは絶対だからだ。

スェーデンで実例がある様に、日本人がムハンマドを揶揄やゆした言葉や漫画を書く事は十分に有り得る。回教徒集団がある程度大きければ、殺意が生まれる可能性が高い。クルアーン書を傷つける、燃やす等は十中八九、殺意が生まれるだろう。この事は、サルマン・ラシュディの小説「悪魔の詩」の翻訳者、五十嵐一氏が回教徒に襲われ、後に何者かに殺された事件を見れば分る。回教では協会が死刑宣言すれば刑は一般回教徒が執行するのだ。民主主義国家の法律では、それは単なる殺人犯罪である。

日本国憲法は宗教選択の自由、言論の自由、婚姻の自由を保障している。回教徒は、彼らが日本で回教徒でいられるのは、憲法の「信教(宗教選択)の自由」にる事を理解しない。回教徒は宗教が人間が行う活動の一つとは考えない。彼らにとって生きる事、生活する事と回教は同等の意味を持つ。故に、回教は結婚相手に異教徒を認めない。これは憲法違反である。

「いちょう団地」や群馬県大泉町の様に、回教徒の子供たちは日本文化への先導役にはならない。年齢にもよるがヒジャブスカーフを被り、トンカツ、カツ丼、豚汁は食べず、一年のある月は日中は断食をするラマダーン、全体行動の時もある時間がくれば中断して祈る。公共の場にも回教、即ち宗教行動を持ち込む。回教教義を全てに優先させる。これらを宗教の多様性などと言う、美辞麗句で片付けてはいけない。

ドイツやフランスなどの西洋先進国の反回教示威じい運動をする人々が、異口同音に言うのは「回教徒は我々と交わらない」「回教徒は地域に馴染まない」「回教徒は譲らない」である。つまり回教徒には「郷に入れば郷に従え」や「When in Rome, do as the Romans do」は無いと言う事だ。以上の事から回教が危険な宗教と断定できる。

しかし、危険な回教が必ずしも危害を加えて来る訳ではないし。共存する方法はある。それは日本人自身に因るところが大きい。これについては次回とする。


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