見出し画像

Mrs.GREEN APPLEを愛したら、人間レベルがアップした。

大森元貴が羨ましい

今はあまり思わないけれど、ミセスを好きになって初めの頃は、大森元貴のことを羨ましく思うことが度々あった。

自分の内なるものを外へ向けて表現できることがまず羨ましかったし、
それを世に放ってしっかりと評価されて受け入れられているのも羨ましかった。

私はずっと自分の好きなものを言うことすらなんだか恥ずかしくて、「私なんかが・・・」「私ごときが・・・」って思ってた。
自分の中の混沌としたものも吐き出したら、聞いた相手もつらくなるだろう、と。

でも、彼が表現する人間の内側にあるもの。
孤独、苦しみ、報われない気持ち。
そんな感情をこんなにも外に出していいんだ。
それで救われる私たちが居るんだって気づいて、ある意味視野がひらけた気がした。

あんなにも若い時から自分を表現できてるのすごくすごく羨ましい。
きっとそれを表現することを止める人に出逢わなかったのだろう。
もしかしたら、止める人が現れても、それでも自分の芯をしっかりと保てたのかもしれない。
だとしたら、その芯の強さも含めて、とても羨ましい。

君が本当に羨ましい
僕に無い全てを持ってる
故に憧れみたいな好奇心
愛し方は様々あるでしょう?

ブルーアンビエンス

まさに『ブルーアンビエンス』のその言葉に他ならない。

憧れだ。

今思えば、羨ましいだなんて本当に烏滸がましい。どうかしてる。
彼は確かに才能にあふれていて、それをどう活かすかという戦略を練ることにも長けていた。
だが、それ以上に努力して、実践検証を繰り返して、何度も何度もきっちり真面目に積み重ねてきたものがある。
その過程は想像を絶する。

この感情は、簡単に「羨ましい」なんて言葉を放っていいものじゃない。

いくら材料がそろっていたって、到底真似できるものじゃない。

本当によくここまで粛々と。
こんなにも実直に地に足付けて着実に。
それはもう尊敬でしかない。
そして、今ここで音楽として届けてくれていることに心から感謝している。

彼には到底及ばない。

でも彼らを好きになって私もほんの少しずつ変わっている。
いや、出逢う前と出逢った後ではかなり変化があるように思う。

行動力

元々「これだ」と思うと、そこに集中するタイプだけれど、
私は持病を抱えていてすっかり弱気になっていたのだ。

新しい世界へ踏み出すのはこわい。

家で一人で音楽を聴くことはできるけど、外に出て大勢の人がいる中でライブに参戦するとかは、夢のまた夢。
まず、人混みがこわい。
都会の光がこわい。

でもその「こわい」よりも、「生歌が聴きたい」欲が勝ってしまったのは本当に自分でも驚いた。

しかも、そう思ったのにチケットが取れなくて、会ったこともないSNSの人と連番するなどと、今でもその自分の行動力にちょっとひいてしまう。

当日の朝は何度も不安で気持ち悪くなったし、ライブ直前まで自分の中の病気と闘っていたけれど、ライブが始まってしまうともうそんなものは吹っ飛んだ。

「あ、好きって無敵。」
そう思った。

その経験があって、その後のライブ参戦に前向きになれたし、ちょっと自分に自信がついたのだ。

文章力

ご覧の通り、私はそんなに文章がうまいわけではない。
でも、以前よりはだいぶ書けるようになった。

何故かというと、ミセスについて思うことをちゃんと言葉にして伝えたいから。
それは、同じファンに対して、共感してほしいからもあるし、
ミセス本人たちにそのままの気持ちを伝えたいという思いがあるから。

自分のこの感情を言葉にしたらどれが一番適切だろうか。
そんなことを考えながら毎日言葉を考えてアウトプットして、また考えてを繰り返して。
そして、自分が納得できるような言葉に落とし込めると心底ほっとする。

それに、それを読んだJAM'Sから反応があるとやっぱり嬉しい。
それがまた糧になる。
うん、とてもいいサイクルだ。

画力

お絵描きをすることは昔から好きだった。
いや、昔は好きだった。が正しい。
しばらく描いていなかったし、自分で満足できるような絵がまず描けると思えなかったから疎遠にしていた。

JAM'Sになって少しずつ描くようになった。

もちろん、皆さんのように上手に描けるわけではない。

でも、昔好きだった絵を描くことをまた始めようと思えた。

「好きが好きを引き寄せる」
そう思った。

何の変哲のないモノクロの私の日常が彩られていく。

ニュー・マイ・ノーマル。

これが私の日常になっていくのだ。
きっとこれから。

そう希望が持てたのもミセスのおかげに他ならない。

考え方

一番影響を受けたのは物事の考え方、捉え方だ。

今までは、先述したように「私なんて」が必ず枕詞にあるような生活を送っていた。
才能なんてないし、実力もない。
コミュニケーション能力があるわけでもないし、友達も多くない。
何の取り柄もない。
自分は無価値だ。
生きているだけでお金がかかる。
生きていて申し訳ない。時にそう思うこともあった。
だから頑張らなくちゃ。
頑張っていないと私には生きている価値がない、と。

今でもその気持ちは完全には拭えない。
拭えないけれど、私は私の人生を歩んでいいんだって思えた。

あぁ素晴らしい
賑わしい
僕が死ぬまでのパーティーだ!

PARTY

そっか。死ぬまでの期限付きだ。
私の人生、私が楽しんでいいのかもしれないって思えた。

過去を思うと苦しくて悲しくて、今でも思い出して心抉られることもある。
でも、せめてこれからは、死ぬまでは楽しいこと、好きなことしてみてもいいんじゃないかなって思えた。

生まれ変わるなら?「また私だね。」

ケセラセラ

とはまだ思えない。うん。さすがに。
でも、生まれ変わってもどうせ私だとするならば、今から好きな自分に変わるしかないじゃないかと思えた。

それは「ケセラセラ」からニーチェの思想に導かれたから。

また同じ人生をやり直すなんて、本当だったら嫌になっちゃうこともあるし、またあんな思いをしなければならないのか、とつらいけど、
今この瞬間から楽しい方向へ変えられたら、ワクワクする方へ転換出来たら、この人生も悪くないんじゃないのかなって思える。

それを目指したい。
こんな風に思えたのは、ミセスに出逢ってからだ。
ミセスの音楽を毎日聴いているから、思考がどんどん大森元貴寄りになっていく。
人生の指針。
有難いことだ。出逢いに感謝。

末人を抜け出す

ニーチェの言葉を借りるなら、以前の私はまさに「末人」だった。

ミセスに出逢って、大森元貴の言葉を浴びて、本当にどんどん変化している。
こんな年齢になってからでも人って変われるんだ。
そう自分が一番驚いている。

こんなにも影響を与えるミセスはとんでもない存在だなと改めて思う。

音楽、歌詞、姿勢。

得られるものはたくさんある。
まだ気づけてないもの。受け取れてないものもきっとある。

ミセスを好きになって自分のことも好きになれるかな。
それもまたゆっくりと実践検証していこう。

大事にね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?