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子育ての話

日頃の元気いっぱいの2才児の子育てで思うことを思いつくままに書いてみる。オチはない。

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思い通りにいかないことが当たり前の日常。横断歩道を手を繋いで歩いていたらいきなりしゃがみ込む。泣き喚こうが構わず抱き上げて何を逃れる。命の危険があるので迷いがない。

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我が子だろうが他人だしなぁ、という感覚がある。そんな感覚を持っていると、日々の些細なことにもよく悩む。

保育園に登園する準備をしていると、「ふくきない!」とひたすら抵抗することがある。それでも登園時間は迫るので、最後は無理やりでも着せる。なにかと「なんで?」ときくのが得意技で、ときどき答えきれないこともある。どこまで強いていいのだろうか。一抹の迷いを感じつつも親の都合と保育園のルールを優先する。

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寝た子を抱えて走るのも、服をなんとか着せるのも、力技が通用する。しかし食事となるとそうはいかない。 「馬を水辺につれていけても水を飲ませることはできない」。

野菜をしっかり食べて欲しい。けれども食べたくないそうだ。お菓子は食べすぎないでほしい。けれどももっと食べたいそうだ。気持ちはよくわかる。

命に別状はないけれど、先々の健康を考えたら野菜は食べて欲しいし甘いものは食べすぎないでほしい。そこでいろいろ考える。「にんじん食べたらみかん食べようね」「なんで?」「お菓子は今日はこれでおしまい」「なんで?」「健康で元気でいるためだよ」。親の都合で新しいルールができあがる。その裏で親はお菓子を食べていたりする。理不尽な世の中だ。

ばあばが来てくれたときは、「食べないとバイキンマンに食べられちゃうぞー!」みたいなことを言っていた。そんな手があるのかと思いつつ自分にはできないなと思った。

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自分が怒ったり理不尽なことを言うのに抵抗を感じるので、できるだけ因果応報を伝えようと意識している。あと遊びたさなどの思いには共感を忘れないようにしようと意識している。

ヨーグルトに手を突っ込んでみたり、こぼしてみたり、口に含んだ水をエプロンにべーしたり。楽しいよね、でも汚れたままだとパパは困るんだ。こぼしたらその分食べられなくなるんだ。汚れたら自分で拭いてね、水がこぼれたら自分で拭いてね。汚いのはパパもママも困るよ。どれほと奏功しているかわからないけれど、ときどき「こぼしたら、じぶんでふくの」と親がいう言葉を繰り返しながら自分で拭いたりする。

「こぼさない!」「散らかさない!」と一線を引きたくなる気持ちもあるにはあるけれども、その一線の先になにかおもしろいものがあるかもしれないと思ってしまうところがあって躊躇する(でもよそではお行儀よくしてね)。

背景には、IDEOのデイビッド・ケリー、トム・ケリーの幼少期の体験を読んで、少し羨ましくなったのが一因にある。ピアノの仕組みを知りたくて分解したり、もらったばかりの新品の自転車の塗装を剥がして別の色に塗り替えたりしても文句一つ言われなかったそうな。そんな世界があるのかと驚いた。

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子育てに正解はないと言うので、日々自分なりの向き合い方を模索している。win-winで持続可能な形が見いだせるといいな。



写真は東京港野鳥公園にて。

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