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【読書】『世界でいちばん透きとおった物語』【感想】※ネタバレ注意


杉井光『世界でいちばん透きとおった物語』(新潮文庫)を読んだ感想について語りたい。物語の内容についてのネタバレは伏せるのだがそれよりさらに重大なこの本の仕掛けに関するネタバレについて書いてしまうので注意してほしい。

この本は「紙の本」にしかできない感動がある本だという触れ込みで話題になっていたものだ。帯には[ネタバレ厳禁、衝撃のラスト!]というよくある衝撃のラストであることを言うなよ構文が書かれていたが、先の触れ込みにしたがって買ってみた。
ネタバレ厳禁と書いてある帯を無視するのは心苦しいがどうしても言語化しておきたいと思ったので許していただきたい。



あらすじ


藤阪燈真とうま18歳は、小説などの校正の仕事をしていた母を二年前に交通事故から亡くして以来将来の夢もなくバイトで過ごす日々を送っていた。

燈真の父はというと、有名な推理小説家の宮内彰吾であったが、彼と燈真の母はいわゆる愛人関係であり、燈真自身も宮内と会ったことすらなく父という実感もなかった。

ある日その宮内彰吾が癌により亡くなってしまう。そして異母兄弟である松方朋晃​───松方朋泰=宮内彰吾の嫡男からとある依頼を持ちかけられる。

その内容は宮内が最期に書いていた小説、『世界でいちばん透きとおった物語』というタイトルだけが判明している小説を探して出版したいというものだった。燈真は出版社で生前母と仲の良かった霧子と協力して遺稿を探すことにする。

女遍歴の荒かった宮内が死ぬ寸前間際まで付き合っていた愛人たちや元担当編集者などにアポを取り小説のありかを探していく。

そんな聞き込みの中で燈真は宮内の…自身の父親の姿に迫っていく───​────

感想、ネタバレ注意


≪仕掛けに関する重大なネタバレが含まれます注意ください、まだ本作を見ていない方や仕掛けを自分で確かめたい方は回れ右をお願いします≫







出題編

この物語は亡き小説家であった父の遺稿を探す物語、というだけではなくきちんとした推理小説のプロットに則って書かれたものだ。特に殺人事件が起きるわけでもないがいくつかの謎が提示される。また"「紙の本」でしかできない感動"は叙述トリックに通じるトリック性があった
1章〜11章が本作の出題編にあたると思う。

<前提条件>
主人公の燈真は幼い頃に脳の病気を患いその後遺症から紙の本を読めなくなっていた。電子書籍であるならば大丈夫らしい。


この本は「紙の本」で見ることを推奨していた事から紙でしかできない仕掛けがある事は判明していた。
それでも途中までなかなか発見ができず、物語に集中しながらも気もそぞろであった、この感覚はまさしく推理小説を読んでいるときのものだ。推理小説ではトリックを自力で解きたいという思いと物語への集中が重なり合い気が逸れがちになる。

違和感その1
第…章という章の始まりを表すページ。5〜6章を読んでた時に気になった。章を表すページが丸々一ページ使って挟んであるのだ。丸々一ページというのは裏表使ってということでめくると白紙になっており、左のページからその章の文がはじまるという形だ。(この左側ページに常に章割りがくるというのも読み終わってみれば伏線だったと言える)


ただこの時点では違和感程度だった。ページをめくってそこに詩や引用の一節が書いてある、というのはよくあるが白紙なのは少し珍しいかな、というのは読み終わった後になって考えたこと、読んでいる最中はなんとなく気になった程度だ。

違和感その2
現実の小説家の人名でやけに京極先生推し。原稿用紙派だった宮内は京極にPCでの書き方を教わろうとしていたらしいがなぜ京極先生なんだろう…これは作者の趣味かな?たしかに現実でも推理作家協会には入ってるし小説家の遺稿を探す作品で出てきてもおかしくはないが存命の作家が作家の羅列以外で登場する作品は珍しいな〜くらいの感覚だった。

違和感その3
前の二つの違和感が本当に感覚的なところによるものだとしたらこの最後の違和感は新本格ミステリを読んでいるときによく感じるものだった。すなわち、文章内の情報に対する違和感だ。主人公の燈真は脳の病気の後遺症から「紙の本」が読めなくなっていた。しかし、作中では谷崎潤一郎の『春琴抄』は読み通せたという。さらにテスト問題や母の校正の手伝いのために読んだゲラ刷りは問題なく読めたという。またそもそも電子書籍なら読めるというのも例外の一部だ。このように"例外"が示されているときはその共通点を絞っていけば答えが出る…のだが私はあいにく谷崎潤一郎を一冊も読んだことがなく、また他の例外についても共通点を見つけ出せなかった…




解決編


物語としての推理要素は二つ、紙の本である必要性まで含めれば三つの大きな謎があった。前半二つの謎に関してはふつうの推理小説のもの(いい意味で)だったためここでは特に触れないでおこう。

問題は本作が「紙の本」でなければならない理由について、そしてその仕掛けについてだ

私が仕掛けに気づいたのは推理小説で言えば思いっきり解決編に入り探偵が意気揚々とトリックを解説し始めた後だった。第12章、p.197にて京極夏彦がいかにレイアウトにこだわっているかについて熱弁し出す探偵、ではなく編集者の深町霧子。

京極夏彦が講談社ノベルスの2段組の文章から文庫本、電子書籍と異なる媒体でいちいちレイアウトを全て自身で決めて読みやすさを極めているという話は有名だ。そしてその話が霧子の口から本作でも紹介される。

そのとき私はふいに前のページに戻った。左下最後の文字を見ると句点がある。元のページに戻るとやはり句点がある。今度は少しだけ左のページをずらして2ページ先と見比べる。左下には句点。その一行前には会話文の「」が全く同じ長さで切れていた

そう「紙の本で」しかできないこととは全ての文章のレイアウトを全てのページで同じにすることだったのだ。さらに言えば全ての見開きページは左右を反転して同じ形の文章、左右対称のレイアウトになっている。これにより、本を透かしても次のページの文字が重なって見える。つまり透かしを使ったトリックこそ本作が仕掛けたトリックだったのだ。

第…章を表すページが丸々白紙1ページ使っているのも同じ理由だ。第○章とかかれた文字だけがこの透かしのトリック…左右対称性を破ってしまうから。

たしかに今まで思いつきそうで思いつかなかった手法での「紙」にしかできない仕掛けだった。なぜ、今まで見たことがない仕掛けになれたのか…それは作中でも言われている通りこんな形式のレイアウトは手動で調整するしかないからだ。あまりにも大変すぎる気の遠くなるような作業である。作者の杉井光氏には敬意を表したい。

これらのメタ的トリックがしっかりと作中でも意味をなしている点も評価できる。ただ感動できたかと言われるとやはり宮内彰吾が普通に屑親であることは変わりないな…と思い内容としての感動は低かったかもしれない。

しかし、それでいいのだとも思う。

「それでもプロットは確実に面白いはずです。ミステリはやはりプロットが肝ですし」
「さっき東堂さんも言ってましたね。文章よりミステリとしてラストが決まってないと、って」

pp.99-100


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