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たまに映画の感想とか考察とかしたい。あと読書の感想とか 学問としての哲学が好き

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哲学って何する学問?

「哲学って何してるの?」に対する答え さまざまな学問の中でも一般に何をやっっているか分からないと聞かれることの多い学問No.1を決めるならおそらく一番最初に候補に入ってくる学問、それが哲学である。 私は大学で哲学を専攻してはいたが「哲学とは」について語れるほど見識は深くないことを断っておく。しかし、大学在学中に教授らが先の質問「哲学とはなにをする学問なのか?」について思ったより意見が割れているのを聞き、この問い自体が哲学にとって興味深い問いであると感じたのを覚えている。

    • 記号論理学はアリストテレスをどう乗り越えたのか?③

      前回の記事では記号論理学とは伝統論理学をカバーする拡張された論理学なのであり、伝統論理学は誤りでは無いことを確認した。今回はおまけでアリストテレス論理学が負っていた不足について見ていく。 0.命題論理 命題論理とは項をもたない命題(原子命題)と命題どうしを演算子で結んだ複合命題を使って推論を行う論理学のことだ。項を持たないことから述語論理が一項述(Pa)、二項述語(Pab)というように0項述語といったりもする。 すなわち命題論理は$${P\to Q}$$(PならばQ)の

      • 【論理学】自然演繹-体系Lについて

        (哲学科あるいは人文学系学科の)論理学の講義ではおそらくタブロー法で教わることが多いのではないだろうか。(あるいは自然演繹やシークエント計算までやった方もいるだろう) ただこのタブロー法どうにもnoteとは相性が悪く感じる(たぶん探せばLaTeXに便利なコマンドがあるに違いない、ただ探した範囲だとnoteで使えるものは見つからなかった) ということで本稿では私が学生の頃学んだ自然演繹のいち形式であるE.John,Lemmon(以下(E.J.)レモン)発案の体系L*¹につい

        • ニューカムのパラドックス

          ニューカムのパラドックスとはアメリカの理論物理学者ウィリアム・ニューカムが提唱したゲーム理論に関連する問題である。 ニューカムのパラドックスそれは次のような内容だ: あなたの目の前にAと書かれた透明な箱とBと書かれた中身の見えない箱がある。 あなたは悪魔を名乗る人物からAには1000円、Bには1億円が入っていることを知らされる。ここであなたには2つの選択肢が与えられる; Bの箱だけを開ける AとB両方の箱を開ける 悪魔によれば箱を開けて入っていたお金はあなたのものに

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          【映画】北野武『首』【感想】

          首が飛ぶわ飛ぶわ。戦国時代版アウトレイジと言われてたけど実際には「戦国時代」という狂気の時代を現代目線で見たときの差で生まれるシリアスな笑いに近いものがあった。(北野武というよりビートたけしとしてのコントのような場面も多かった) (本記事は映画のネタバレを含んでいます。ご注意下さい) あらすじ感想この話の主役は(意見は分かれるところだが)おそらく茂助だろう。ストーリーライン自体は織田信長と明智光秀の顛末というネタバレというよりただの史実だが、茂助だけは名も無い百姓の一人

          【映画】北野武『首』【感想】

          知っていればできるのか?~knowing-that,knowing-howに対する考察~

          「知っていればできる」あるいは「知らなければできない」というのは当然のように感じる。しかし、同時に世間では「知っていてもできない」ことがあるように語られることは多い。ここでの「できる」は可能性(possibility)の話ではなく能力(capability)の話だ。いわばこれは「知識」と「能力」は違うということを言っているわけだ。 "事実の知識"と"方法の知識"言語哲学者G.ライルは「知識」について次のふたつの区別をつけた。 ・葛飾北斎は93回転居したということを知ってい

          知っていればできるのか?~knowing-that,knowing-howに対する考察~

          名詞の哲学②〜必然性/偶有性/アプリオリ/アポステリオリ〜

          前回の記事では、ラッセルの確定記述の分析により、日常言語で曖昧になりがちな文の構造を分解することに成功し、固有名は確定記述の束であるということを見た。 例えば;富士山⇔「日本で一番高い山」とすることで固有名は確定記述へ置き換えることが可能で、記述の形にすることでその命題の真偽を決定することができるようになった。 今回はラッセルによる解決が生む新たな不満について見ていこう。 現実性と可能性 ラッセル流のやり方では『ハリーポッター』はトールキンによって書かれた作品ではない

          名詞の哲学②〜必然性/偶有性/アプリオリ/アポステリオリ〜

          寛容のパラドックス~多様性嫌いの原因考察~

          寛容のパラドックスというパラドックスをご存知だろうか?寛容のパラドックスとはカール・ポパーの著書『開かれた社会とその敵』で紹介されたものだ。ポパーは「社会が無制限に寛容であるなら、その社会は不寛容に対して不寛容になるべきである」という。 寛容の原理寛容のパラドックスを詳しく見る前に私たちの社会はなぜ寛容であるべきかについて確認しておこう。 $${principle of charity}$$(寛容の原理)という言葉は哲学者ドナルド・ディヴィッドソンが打ち出した考え方だ

          寛容のパラドックス~多様性嫌いの原因考察~

          名詞の哲学①〜固有名と確定記述〜

          名詞…つまりものの名前のことを気にしたことはあるだろうか?国語の授業で品詞分解をさせられた時に初めて知って以来、あるいは英単語を品詞別に覚えようとして以来気にしてない人も多いかもしれない。その場合文の主語や目的語などになるものくらいの認識だろうし、それでなんの不都合もないはずだ。 しかし一歩哲学の範囲で名詞を考えようとすれば予想よりずっと哲学の命題として重要な存在であることに気づける。 例えば、りんごと富士山は同じ類の名詞と言えるだろうか?あるいは犬と夏目漱石は同じ類の名

          名詞の哲学①〜固有名と確定記述〜

          倫理観は相対的なものか?~人それぞれの罠~

          倫理観とか道徳観念とか人それぞれなんだから結局意味ないよ。このような諦観に似た意見はたまに聞く。たしかに価値観というものは人それぞれな面もある。 しかし、倫理観は人それぞれというのはどういう意味で言っているのだろうか? 人それぞれとはこのような会話に遭遇したことは誰しもあるだろう。このときAとBの意見は食い違っている。ではどちらの意見が正しいのか…いやどちらも正しいだろう。 このような気温に関する判断は(少なくとも常識の範囲の気温なら)人それぞれであることを私たちは経験か

          倫理観は相対的なものか?~人それぞれの罠~

          矛盾は何故してはいけないのか?〜矛盾からはすべてが導かれる(爆発律)〜

          矛盾はなぜしてはいけないのか?それは矛盾を含む証明からはなんでも導かれてしまうからだ。 矛盾からはなんでも導けることから爆発的に多くのことが出てくるという意味で矛盾のことを爆発律と言ったりもする。   矛盾とはどういうことか?故事成語としての矛盾の話は誰もが聞いたことあるだろう。すなわち何でも貫ける矛と何からも守れる盾を戦わせた時どうなるのか?というものだ。この故事成語はいわばそんな矛(/盾)など存在しないということを言いたいものだ。 論理学において矛盾はもっと整理され

          矛盾は何故してはいけないのか?〜矛盾からはすべてが導かれる(爆発律)〜

          嘘つきのパラドックスの解決~「この文は嘘である」は嘘か本当か?~

          嘘つきのクレタ人のパラドックス 嘘つきのクレタ人のパラドックスはメガラ派の哲学者エウブリデスにより唱えられたパラドックスだ。 ・この発言が真なら、エピメニデスが本当のことを言ったことになる。しかし、エピメニデスはクレタ人なので嘘しか言わないはずだ。(矛盾) ・この発言が偽なら、"すべてのクレタ人は嘘つきというわけではない"$${\iff}$$”クレタ人の中には嘘つきでない人もいる”。しかし、前提よりクレタ人はもれなく全員が嘘つきのはずだ。(矛盾) したがって、この発言

          嘘つきのパラドックスの解決~「この文は嘘である」は嘘か本当か?~

          【映画】『ゴジラ-1.0』〜舞台装置としてのゴジラ~【感想】

          三連休初日、さっそく本日(23/11/03)公開の新作ゴジラを観てきた。 邦画ゴジラといえば最近では『シン・ゴジラ』(2016)が話題を掻っ攫っていった。また、ハリウッドでは『GODZILLA ゴジラ』(2014)を皮切りにキングコングとゴジラの二頭立ての"モンスター・ヴァース"が始まった。圧巻のスケールで描かれる映像美のゴジラワールド、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019)や『ゴジラvsコング』(2021)は記憶に新しい。 ただ邦画としてのゴジラは『ゴジラ

          【映画】『ゴジラ-1.0』〜舞台装置としてのゴジラ~【感想】

          【映画】『スタンド・バイ・ミー』をアニメ・ゲームから見る~「懐かしさ」の考察~

          『スタンド・バイ・ミー』はスティーブン・キングの小説*¹を原作に映画化したものだ。映画史における名作はいくつもあるがこの作品もおそらくその一つだろう。 本記事ではスタンド・バイ・ミーのもつ「懐かしさ」の側面についてアニメやゲームでの類似例を見ながら考察したい。 ただし、考察とつくが、ほとんど私の憶測でものを述べていることに注意されたい。 あらすじ スタンドバイミーと「懐かしさ」の関係について私たちは夏休みに線路を進んでいく彼らの姿を見ながら懐かしさを感じる。そしてその感

          【映画】『スタンド・バイ・ミー』をアニメ・ゲームから見る~「懐かしさ」の考察~

          「いま暇?」構文の論理的誤り~多重質問の誤謬~

          「いま暇?暇なら~」 「いま暇?」と聞かれて先に暇であることを伝えてはならない。「暇なら~手伝って」(あまり手伝いたくない内容)を断る理由がなくなってしまうからだ。この「いま暇?暇なら~」構文が苦手な人は多い。 暇じゃないといっているにも関わらず「暇なら~」などと言ってきた場合は明らかに相手が悪い。しかし、こちらが「暇だけど何?」などと返した日には相手の土俵にわざわざ上がってしまうことになる。 「いま暇?」構文は相手に先に「暇なら〜頼まれてくれない?」を引き出すことだ。

          「いま暇?」構文の論理的誤り~多重質問の誤謬~

          記号論理学はアリストテレスをどう乗り越えたか②

          前回の記事では現代の記号論理学と伝統論理学を比較し、三段論法という段階では両者に差がほとんど認められないことを確認した。今回は伝統論理学が抱える困難について見ていこう。 伝統論理学における困難たしかに、記号論理学は数学的に扱えるようになったことでプログラミングなどでの運用が可能になった。ここは明らかな強みである。しかし記号論理学はただ数学の分野として扱えるようになっただけではない。伝統論理学での二つの困難に出会わずにすむのだ。 Ⅰ.多重量化 つまり、(1)はひとりひとり

          記号論理学はアリストテレスをどう乗り越えたか②