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【映画】"M3GAN"【感想】


https://m3gan.jp/sp/


日本では2023年6月9日に上映となったホラー映画"M3GAN"(ミーガンと発音します).最近(2023年8月)各種配信サービスでレンタルも開始された。
ロボットダンスならぬロボット(AI人形)のなめらかすぎるダンスが話題を呼んだ本作の感想などを語りたい


あらすじ

おもちゃ会社の優れた研究者であるジェマは、子供にとって最高の友達であり、親にとって最大の協力者となるようにプログラミングした、まるで人間のようなAI人形M3GAN(ミーガン)を開発。
ある日両親を亡くし孤児となった姪のケイディを引き取ることになったジェマは、ミーガンに「あらゆる出来事からケイディを守るように」と指示し力を借りるが、その決断は想像を絶する事態を招くことになる───。

https://m3gan.jp/
,"M3GAN"公式サイトより引用

本作のジャンル


ジャンルとしてはAIやロボットの反乱・暴走をテーマとした古典的なものだ。

ここ数年ではChatGPTなど「対話型のAI」の進歩が目覚ましく、イラスト生成AIが問題になったりしている昨今だからこそ、古典的でありながら最新式のものになっていたと思う。

また、本作監督の一人ジェームズ・ワンはこれまでもアナベルシリーズ(あるいは死霊館シリーズ)を撮っている。この映画シリーズに特徴的なのは呪いの人形を手にしてしまったことであらゆる災厄が舞い込む・・・というこれまた古典的だが魅力的でもある”呪いの人形”というジャンルのホラー。呪いの人形というのは洋の東西に関わらず存在する、おそらく根源的なホラー要素の一つだろう。

したがって本作のジャンルは<最新型AI>×<呪いの人形>のハイブリッド

感想

高度に発達したAIは呪いと見分けがつかない

本作は要するにSFにおいて使い古されてなお新しいAI(≒ロボット)の反乱というテーマと呪いの人形というこれまたホラーの定番中の定番を掛け算したらどうなるか?という試みだった。

言い換えれば本作は、これまで"呪いの人形"映画が担ってきた「呪い」を「制御不能のAI」に置き換えた作品であった。

作中でミーガンの行う怪奇現象はどれも「科学的に裏付けられ得る」にもかかわらず「呪い」と見分けがつかない。

チャッキーが電池無しで動き喋れるように、ミーガンは電源をOFFにされても自力で再起動する。ミーガンは回線ごとハックすることで電話に繋がらせず、電話の内容をかってに別の内容に換えてしまう。このような電話に関する怪奇現象はそれこそホラーでなんの説明もなしに使われてきたものだ

ホラーかそれともSFか

M3GANはまず可愛らしい。アナベルシリーズでは正直人形自体の可愛さは抑えられておりいかにも呪いの人形ですという不気味さが勝っていた。それに対し本作のミーガンは可愛らしいがそのあまりにも感情に乏しい文字通り張り付いた真顔が不気味の谷を加速させることで生む不気味さだった。故に普段のシーンでは可愛らしさが、ホラーなシーンでは不気味さが際立つようになっている。


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たしかに、本作の根底にあるのは「呪いの人形」を「制御不能のAI」に置き換えたホラー映画だろう。しかし、本作はストーリーラインが"呪いの人形"を超えてSFの域に及んでいたとおもう。

ハナからSFとしてみると粗が気になって仕方ないかもしれない。しかし、私は本作を観に行くまで思っていた上の置き換えの構図がカンペキではないゆえにSFとして示唆に富む内容になっていたと思うのだ。

登場人物の少女・ケイディは親を亡くし、引き取ったジェマも仕事にかまけて孤独の中にいた。そしてそんなケイディの孤独を埋めるために作られたミーガンは作中で明らかに保護者としてケイディを守り続ける。

ただその愛情が過保護が過ぎた。ケイディが嫌な思いをすればそいつを排除する。ケイディと引き離されれば人殺しをしてでも会いに行こうとする。

それは実際は愛などではなく、愚直に最初のプログラミング「あらゆる出来事からケイディを守って」を実行しているだけだろう。しかし観客がケイディに感情移入すればするほどケイディを通してケイディに危害を加える一切を排除するミーガンはダークヒーローのようにも見えてくる。

正直ここらへんでコンセプトとしてホラー映画であることを捨てて、AIと人間の少女の間で歪な親子の親愛が描かれたSFなのだと思い直した。ただ作中でも言われているように学習プログラムがお粗末だったせいで、歪な情報から行動してしまっているだけで、これは実際のAIの運用にも関わってくる問題だ。

本作のSF的価値はここにある。従来の「人工知能の反乱」の多くが、AIが人間と同等の「人格」を獲得したことで生まれる。この「勝手に現れる人格」はある種神秘めいていて、よくできたロボットというものは感情をもつようになるんだよという物語的お約束に縛られている。
反面、本作のM3GANはアシモフの三原則なんぞ知ったこっちゃないという暴れ回り方だが、その一方、最初のプログラムに忠実なままだ。要するに、ミーガンはずっとロボットのままなのだ。しかし、観客はミーガンに「人格」を見出し始める。さながらそれはチューリングテスト*⁴のようだ。このミーガンの暴走は「命令の拡大解釈・解釈ミス」が原因だ。そのような作品はないわけではない。しかし、そのような作品では合理化が進みすぎたりとあまり感情移入できる作品は少ない。

(注.ケイディへのミーガンの愛はかなり重く感じる。重い愛が好きなオタク精神が感情移入させているだけかもしれない)

終盤の展開について

とここまで語ってきたSF話は最終盤で唐突に終わりを告げる。ミーガンは第一認証者のケイディの命令さえ受け付けない自律した殺戮マシンになってしまうからだ。正直、ミーガンもやり方こそ過激であれ「ケイディを守る」という一点にかけて実直だったからこそ保てていたストーリーラインが崩れたのを感じた。ケイディに向かって「クソガキ」と叫んだソレはもうチャッキーとなんら変わりない。

終盤において、ミーガンは「最新型AI」から「呪いの人形」に先祖返りしてしまった

いや、たしかにそういうホラー人形としての側面をみたくて映画館に行っているのだから文句を言われる筋合いはないだろう。現に私もそういうホラーの一種と思って観に行ってたのだから。

しかし、ストーリーを追う内にミーガンに抱きはじめた感情が脆く崩れ去るのはショックだった‥‥‥

おそらく監督たちが思っている以上にストーリーがホラーの枠組みをはみ出していたのだろう。終盤に襲ってくるホラー映画のお約束展開は最初からホラー映画として撮っていなければでない発想だ。一応、AIの暴走が命令権まで書き換えてしまうというのはわかる、わかるがその上で豹変させすぎだ。

殺人人形というコンセプトだけでまあ十分ホラーの要件は達成しているので、ミーガンには最後までAIでいてほしかった。ジョジョの敵役レベルで余裕がなくなった途端豹変するのは「私にとっての解釈違い」に終わってしまった。

ただなんだかんだ楽しめたし、B級ホラー特有のシリアスな笑いのようなものも大量摂取(それこそミーガンダンスとか)できたので全体的には割と満足でした。続編も決まったようなので楽しみではある。




P.S.
でも最終盤でケイディがロボットアームを操る展開はアツくて好き



脚注*

*1;古くは『ブレードランナー』、『ターミネーター』、最近ではゲーム『デトロイト・ビカム ヒューマン』が話題になった。ジャンルの始祖的には『フランケンシュタイン』などだろうか?人間の作った被造物が人間の制御を超えて支配や革命を起こすというのもまた、根源的な恐怖と言えるものだ。

*2;『来る』(2018)(原題『ぼぎわんが、来る』)においても電話で霊能者になりすました怪異が間違った対処法を教えるという描写があった。また『着信アリ』など電話自体がホラーと相性がいい面もある。

*3;アイザック・アシモフによるロボット三原則。ひとつ、人に危害を加えてはならない。もう思いっきりアウトである。

*4;アラン・チューリングが提唱した、機械に「知能」があるかどうかを確かめるテスト。被験者(人間)が質問や会話などを行い、それに対する返答が機械による受け答えなのか人間による受け答えなのか判別できなければ合格となる。すなわち、機械が知性を持っているかはテスト被験者の人間側の判断によるというもの。

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