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哲学って何する学問?


「哲学って何してるの?」に対する答え


さまざまな学問の中でも一般に何をやっっているか分からないと聞かれることの多い学問No.1を決めるならおそらく一番最初に候補に入ってくる学問、それが哲学である。

私は大学で哲学を専攻してはいたが「哲学とは」について語れるほど見識は深くないことを断っておく。しかし、大学在学中に教授らが先の質問「哲学とはなにをする学問なのか?」について思ったより意見が割れているのを聞き、この問い自体が哲学にとって興味深い問いであると感じたのを覚えている。

哲学のはじまり

一般に哲学と呼ばれるものは西洋哲学のことだ。しかし、西洋にしか存在しない思想だったわけではない。哲学philosophyという言葉が生まれたのが西洋だったから、というだけだ。

ただし、現在の哲学において研究されている分野の大まかな体系を生み出したのは紛れもなく西洋世界においてであった。

哲学は英語ではPhilosophyといい、これはギリシア語のφιλος フィロス(友愛)+σοφίαソフィア(智慧)を組み合わせた言葉φιλοσοφίαフィロソフィア、すなわち「知を愛する」という合成語から来ている。哲学は一般に古代ギリシア世界で生まれたとされる。

知を愛するフィロソフィーとはどういうことか?

哲学とはギリシア語で「知を愛する」という意味だよ、と答えられても、「知を愛する」とはどういうことかについては何も分からないままだ。

実際に「知を愛する」では範囲が広すぎて、全ての学問が当てはまりそうだ。それもそのはず本来哲学とは学問とニアリーイコールの言葉だった。

古代ギリシア世界において哲学する対象は数学であり、物理学であり、生物学であり、また修辞学であり、言語学であり、論理学でもあった。

それらの"哲学" は時代を追うと共に次第に各学問として分化していったということだ。

よくデカルトが数学者でもあったことやライプニッツがニュートンと同時期に微積分を発見したことなどが挙げられるように昔の哲学の偉人が取り上げられる際、全く別の学問をやっていたかのように哲学者が紹介されることがある。

しかし、実際には近代における哲学というのはまだ多様な学問を含むものであった。それが時代を経るごとに別の学問に切り分けられていったと言える。

近現代においてもラッセルが論理学の分野から数学を基礎付けしようとしたり、実際に現代においても他分野の学問と完全に切り離されてはいない。

とは言っても、かなりの割合の「知を愛する」学問は分化を終えており、現代において「哲学」が何を意味するかは消去法的にも確立されているといえる。



哲学の範囲

西洋哲学においては、現代でも2000年以上前の古代ギリシアの哲学者の思想について研究することができる。それだけ聞くと哲学が進歩しない学問だと思われるかもしれない。しかし、上で見たように哲学とは元々は総合的な学問であった。したがって、現代哲学にまだ残っているほどの命題というのは、すなわち他の学問に分類されずに残った命題である。進歩しないのではなく、少なくとも出題された命題としては2000年以上前に完成されていたと言える。

といっても哲学者は古代ギリシア哲学ばかりやっているわけではない。むしろ、近代以降の哲学者を研究する人のほうが多いだろう。さらに言えば、哲学的命題はたしかにその多くが古くからある命題について考えるため、過去の哲学者の著作を研究対象とすることが多いが、現代の視点から新たな命題を生み出すことも当然できる。

分析哲学や認知哲学、科学哲学といった比較的新しい分野の哲学は必ずしも昔からある命題ばかりを気にせず、新たな視点から問いを生み出そうとしている。

すなわち哲学とは、その内部にまだ大量の未分化の学問をもっていて、今なお新たな学問の基盤を作り続けているとも言える。現に2000年前には問題にもならなかったAIやクローンなどの最新技術に関する倫理観などを問うことができるのも哲学の特徴である。また既存の学問の基盤について問うことも可能だ。例えば(一般的な)言語学は実在する言語を扱うがそもそも「言語とは何か?」を定義付けようとすれば哲学的範疇に入ってくる。


哲学って何をするの?

ここまで語ってもじゃあ哲学とは何をする学問なの?という問いに本質的には答えていない。

私の専攻していた西洋哲学科の教授は「問うことそのもの」と言っていた。また倫理学の助教授は「正確に理論立てる力を養うこと」と言っていた。

同じ哲学科専攻の友人は「答えが出ない問題について扱う学問」と言っていた。私はというと逆に「答えが出てそれが別の学問の基盤になるような問題に挑むこと」だと思う。

どれが正しくどれが間違っているかは正直軽々には判断しかねるし、そもそも正誤の問題ではないように思う。

ただ、哲学でやってることは他の学問の各々の範囲で解けない問題をどう考えるか?について考える学問ということは言えそうだ。

"実際には"何をやっているのか?

私は学部卒でしかないので院以上のことは言えないが、哲学科で実際に私や私の周りがどのようなことをしてきたかは言える。

現実的なことを言えば学部生にできることは気になる哲学者の著作の一部を読み込み、そこで展開されている理論をその部分やその哲学者に関する論文などを参照しながら読解して行くのがやっとだと思う。あるいは先に自分の中に解決したい命題(「心ってなに?」など)があってそれに答えてくれそうな哲学者や哲学的命題を見つけ出す、といえのも良くある光景だ。

総じて哲学科においては問いを持つことが求められるように思う。純粋に最初から持っている哲学的問いがあるなら別だが、基本的にはそこまで鋭い問いは持っていなくて当然なので哲学科では色々な哲学者について学ぶことが重要になってくる。その中で気になる思想や論理があれば(その意見に反対の意見を持つというのでも良い)、それを自身の問いに設定してしまえば良いからだ。

例1:プラトンの『テアイテトス』から"知識とは何か?"という問いがあることを知った→知識にはプラトンが言うには3つの要件がある→しかし、ゲティア問題が発見したようにこの3つの要件では知識として必要十分条件とは言えない→ならばどのような要件を加えれば知識と呼べるのか?あるいはゲティア問題に対する反論はないだろうか?を調べてみる。

例2:ウィトゲンシュタインの『論考』の一節が好き→そもそもこれはどういう意味なのか?→前期ウィトゲンシュタインの論理について学ぶ→後期ウィトゲンシュタインがどのように『論考』を乗り越えたのか?あるいは『論考』はどこまで現代哲学に繋がっているのか?について調べてみる。

概ね上のようにして哲学科の学生たちはレポートや卒論などを書いていくことになる。調べてみるとは言っても教授が(全面的かどうかはともかく)サポートしてくれるので次に読むべきものが皆目検討つかないということにはならない。

結果的に自身の問いを設定し、それに対して参考文献や自身の考察などを使ってその問いに答える、というのが哲学科でやることである。学部の間は問い自体に独創性が求められることは少ないように思うが実際に哲学をする際に最も必要なのは自分だけの着眼点ではある。

終わりに

哲学って何してる学問なの?という問いに対するビシッと一言でこう!という答えは出てこない。
ただ哲学とは根本的な問いを設定し、それを解決するために論理立てていくことだとは言える。しかもその問いが他の学問、物理学や生物学や…etc.では解けない問いであるという外延的な定義によって哲学的な問いであるかどうかが判断されるのだ。

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