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ものを考えるスタイル

新聞の定期購読はいまだに日経です。「まだ日経なんか読むの、、」と年上の方から言われたことがありますが、ま、私の使う金であり、私の興味・知りたいことは日経にあるので自由にさせていただいています。今は電子版に変えて仕事にも便利に使っています。

社会人になりたての頃のプレゼンの資料作りはいつも半日図書館に籠りました。たくさんの紙の資料に目を通して、高い使用料を払ってコピーを取り、それをデータにしたり貼り付けたり(糊でですよ)、それをまたコピーして資料を完成させていました。今は自室でパソコンに向かいながら調べ事はその都度そのまま検索しています。当時の手作りの資料作りを思い出すとなんだかノスタルジーさえ感じてしまいます。
今の簡単・便利はいいのですが、あまりに多くの余分な情報が私の目に飛び込んできてしまいます。そして私の仕事時間を2倍3倍に増やすのです。昨晩(深夜)にふと目に入ってしまったデジタル記事もそうでした。

愛知県豊根村の記事「かつての日本一のミニ村に新駐在所完成、56人の集落守る」というものでした。静岡県との県境、長野県にも遠くない山深い村に高校1年のある日曜日に午前中たむろしていた仲間の一人が「ばあちゃんちに行こうか」と言い出し、佐久間ダムを見てみたかった私は諸手を挙げて賛成して昼に近い午前中に5人が自転車で豊川から豊根村に向けて旅立ちました。上り坂ばかりの国道151号をひた走り、ばあちゃんちに着いた時にはもう昼飯の時間は充分過ぎていました。突然行った私たちを快く迎え入れてくれたばあちゃん・じいちゃんはそれから昼飯の仕度をしてくれ腹いっぱい地元の山菜や川魚を食べさせてくれ、帰る頃にはもう夕方近くになっていました。
携帯もスマホも無ければ、おおらかなばあちゃん・じいちゃんには私たちの帰りの時間まで気にはならなかったようです。暗くなった当時の山の国道は街灯も少なく怖かったように記憶しています。恐る恐る夜11時過ぎに自宅に着いた時にはとにかく腹が減っていたことばかり憶えています。

そんなことを思い出しながら毎晩私の睡眠時間は短くなるのです。ネット依存では決してありません。でもネットにつながらない環境のほうが私の作業ははかどるのかどうかは疑問です。かかる時間を考えるか、出来あがる中身を考えるかです。私の場合、こんなやり方のほうが中身は自ずと厚くなります。私の脳内に似ているようにも思います。kindleで書籍を探したり読んだりするよりも、書店で本を探し、まったく関係ない本に気を取られている時間の方が長いのになんだか似ています。そんな思いとはちぐはぐなやり方の「余計・余分」がいつも私の脳を活性化させてくれるように思うのです。

独りで酒を飲んでものごとを考えるのもそうかも知れません。昭和の時代から机に向かって考え事はしません。必ず歩きながら大事なこと、難しいことは考えてきました。今はそれに飲み屋での時間が加わっています。知らぬ店にそろりと入り知らぬ人間に挟まれて一人ものを考えるのです。
人それぞれスタイルがあります。
1しかないものから10に自身で考え構築するか、100飛び込んできたものから10を構築するか、頭の使い方は違うかも知れませんが、どちらも頭の体操であって、その両方をテキトーに使ったらいいんじゃないかと思っています。
と、言いながら、私は酒を飲みながら一人ボケっとする時間がただ好きなだけかも知れません。


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