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「さようなら」は最後に一度だけ

1977年、私は高校二年生だった。ちょうどこんな寒い時期、当時はもっと寒かった。
飼い猫ブチは自在に外との行き来をして、私の2階の部屋の窓が彼の玄関になっていた。開け放しの窓からは冷たい外気が流れ込み、私の部屋は寒かった。
外気と変わらぬ冷たい部屋で私は膝を抱きながら生まれて初めて買ったシングルレコードを聴いていた。

八代亜紀の声に魅せられて、よく理解してない歌詞に惹き込まれて『愛の終着駅』を聴いていた。

『文字の乱れは 線路の軋み
 愛の迷いじゃないですか』

すごいなぁ、男の心の迷いが文字の乱れで分かるんだと不思議な思いで聴いていた。今思えば変な高校生であるが、私にすればこんな女性と歌に出会ったのは初めてだったのである。それから八代亜紀の歌を聴いた。そこには男と女がいて、別れと寂寥、夜と海、そして酒があった。

『あんな男と言いながら 今日も来ました港町
 泣けば鴎もまねをして あなた呼んでる別れ町
 別れても離れても愛してる もう一度逢いたい』

『もう一度逢いたい』では私には分かりかねる女性の心情に気持ちは持っていかれ、女性の主観を考えてみた。

そして、『舟歌』なのである。女性の八代亜紀の歌う男の主観の歌だったのである。

『お酒はぬるめの燗がいい
 肴はあぶったイカでいい
 女は無口なひとがいい
 灯はぼんやり灯りゃいい』

まだたいした飲み屋も知らず女性と付き合ったこともなく、でもいつかこんな場所で独りで酒を飲んでみたいと思ったのである。

意味は分からず惹かれた歌詞と歌声がいつまでも私の心に残る。でもそれは、この歌詞の通りなのであった。

『ぽつぽつ飲めばぽつぽつと
 未練が胸に舞い戻る』

未練なんてありゃしない、と思い生きて来たここまでだけど、未練が無いわけがありゃしない。未練だらけの人生である。
ぽつぽつの意味は分からないが、ぽつぽつは私の心に訴えてきた。
ああ、阿久悠はやっぱりすごい、そう思って聴いていた。

ああ、出来るものなら八代亜紀に一度会ってみたかった。ただ会ってみたかった。憧れの人だったのである。誰にも寿命があるのは分かっている。だから一度会ってみたかった。
でも、もうそれが叶わぬ人となってしまった。だから、永遠の憧れの人なのである。

これまで八代亜紀の歌をもとにした記事をいくつか書いてきました。ここの埋め込みもその一つです。よろしかったら目を通してみてください。

「さようなら」と最後に一言、私は天に向かってささやきます。

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