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雨、月がいやす私のこころ

8月14日、朝から雨、このまま涙の終戦の日を迎えるのでしょうか。
そして、各地に被害をもたらしている大雨が気になります。
と、言いながら、何が出来るわけでもなく、ただただ被災されている地域の方々のご無事とこの先の早期復興を願うばかりです。


こんな時期の長雨は気分をうっとおしくさせるばかりである。
少し前までやっていた俳句作りの癖で先々の季節を頭に思い浮かべてしまう。
時期が来たら夜中に自分の部屋の窓を開け放ち、中秋の名月でも眺めながら寝たいものである。

もともと和建築の障子文化だった日本にカーテンが定着して朝夜に開け閉めをするようになったのはいつ頃からなのだろうか。
戦後、高度成長期にアパートが各地に建てられそれに合わせてカーテンは普及したに違いない。
1960年生まれの私が子供の頃を過ごした父の勤めていた会社の社宅は鉄筋コンクリート造りの4階建、2DKの当時の標準的なものだった。

その部屋にはカーテンが無かった。
たぶん我が家だけなかったのであろう。
当時はなんとも思わなかったが今考えると不思議な事である。
周りに高い建物が無かったからまだよいようなものの、2階だった部屋は外からかなり見通しは良かっただろう。
家計による家庭の事情はさておき、素通しのガラス窓は子供の私には重宝だった。

朝日の囁きで目を覚まし、鳥と挨拶を交わし、昼は文房具屋で大枚の二十円で買った虫メガネが、太陽と私を友だちにしてくれた。
夜は星、そして月を眺めながら寝るのが常であった。
オリオン座、北斗七星を覚え、月の顔も覚えた。
満月であろう明るい月が薄い雲の向こうにあった。
今思えばそれが無月であったろう。

その時、私は風流を感じるわけでは無く、仲良くなり過ぎた太陽にそそのかされて、虫メガネで焼き焦がした畳の焦げをいつまで座布団で隠しおおせるか、この月は雲の向こうから何でもお見通しなんだろうなぁとドキドキしたのである。

無月、この歳に近づくまでこんな素敵な呼び方を知らなかった。
月に寄せる思いは、生きるがための欲得の追求で乾き切ってしまった私の心を癒してくれている。
明日の終戦の日、そしてそのあとしばらくは、そんな純粋な気持ちで日々を生きたいものである。

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