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御母衣ダム 荘川のさくら もう一つのはなし

一本の電話からだった。
母と同じ東北訛りで「ハルヱちゃいますか。」とヨッちゃは私に告げた。
母ハルヱのことをハルヱちゃと呼んだのは、母の幼馴染のよし子ちゃん、ヨッちゃだった。
東北の訛りは冬場、寒さで口を開けれず、あまり動かさないことで出来上がっているそうである。
ハルヱちゃんハルヱちゃよし子ちゃんヨッチャ、ならば唇をたくさん動かさなくともよい。

父が死ぬ半年前、私は会社でまだ誰も取っていなかった介護休職を利用して寒い二月に一人実家に乗り込んでいた。
父は若い頃の輸血がもとでC型肝炎を患い、末期の肝硬変に移行していた。母のアルツハイマーも進行し、重病の父にはもう面倒を看ることは出来なくなっていた。
そして、正常な人間としての機能を果たすことの出来なくなった二人のもとにいた兄は栄養失調になりかかっており、持病のてんかんの主治医に電話で相談するとすぐに連れて来いと言われ、静岡県にある神経医療センターへ緊急入院となった。

そんな時にヨッチャは母に電話をくれたのである。
「年賀状が気になって、、」と言う。

もう年賀状など書ける状態ではなかったはずなのに、母はヨッチャに書いていた。
母にもそれほど強い気持ちがどこかに残ってたようだ。

母とヨッチャは昭和5年1930年に山形県南陽市赤湯で生まれた。
赤湯はその名のごとく温泉の街、しかも温泉と冷たい地下水の湧く緑豊かな農村でもあった。
夏は米、そしてサクランボに始まり葡萄、西洋梨、林檎など母の言葉を借りるとバナナ以外のあらゆる果樹を生産していた。

国道4号線沿いを夏に車で赤湯を走ると小高い山々に張り付く葡萄畑の緑はそれぞれが微妙に色が違い、私の目にはパッチワークのように映った。

冬はいろんな色を白一色に雪が塗り替えてしまう。
静かな静かな冬である。

母の家は大きな農家、ヨッチャの家は小作農家、小さな小さな家だったそうである。
家が近いこともあり姉妹のように二人は育った。
しかし、悲しいことにヨッチャのご両親は働くことが好きではない人達だった。
ヨッチャはほぼ放棄に近い状態のなか育ったようである。

母の姉に聞いた。
ハルヱはいつも二着ずつ新調してもらっていた着物の一着を、いつもヨッチャにあげていたそうである。
そしていつも歳の離れ長女に怒られていたそうな。
でも、母は意に介さず、叱る長女もハルヱの性格をよく知っているのでそれ以上なにも言わなかったそうである。

終戦後の母が農作業の手伝いをしている時代、二人には二人だけの小娘らしい楽しい時間があったはずである。

そんなヨッチャも残して母は御母衣ダムの診療所に流れ着いていた。
そこで働く多くの作業員たちが寝泊まりする飯場に母はヨッチャを呼んだのである。
人付き合いの上手な母がダムの元請け業者の責任者に頼み込んで実現したことのようである。
母のこと、たぶん山形からの旅費も用立てしたに違いない。

ヨッチャは飯場で飯炊き、掃除、雑用と一人で数人分の仕事をこなしたそうである。
休みには母と会う時間もあっただろう。
楽しく幸せな時間だったに違いない。

そして、ヨッチャは現場の元請け業者、一部上場の建設会社の社員と結婚して幸せな生活を送る。


これが『もう一つのはなし』である。
父の看取りをし、母と兄の終の住処探しをするなかでのヨッチャの電話は私の心にずっと残っていた。
そして、母がこの世を去りヨッチャ、東京の先生ご夫妻、母の姉から聞き取ってわかったことである。

たぶん、母には当たり前のことだったんだと思う。
だから私にわざわざ話などする必要はなかったのだろう。
すべてが母の記憶のなかだけで終わってしまっていても誰も困りはしない。
ある意味、男らしい考えでもある。

今思い返すと母の認知症がかなり進行してしまった時に父に頼まれ母を最後の里帰りに連れて行った。
その時に寄り道をした新潟のヨッチャがその人だった。
腰の悪い母が長い時間立ったまま嬉しそうに話をしていた。
同じ話を繰り返す母にヨッチャは笑顔で相槌を打っていた。

そこで二人の尋常ならぬ関係を見抜けなかったことを悔やまれる。
二人にしてやれたことが残っていたかも知れない。
今ではどうにもならないことである。

母が死んでヨッチャからお悔やみが送られてきた。
転んで右肩を骨折したとのことで、たどたどしい文字で書かれていた。
「もう一度ハルヱちゃに会いたかった。感謝してもしきれない、ありがとう。」と。

何も言わない母を尊敬する。
しかし、誇ることのなくあの世に行ってしまってからポロポロ聞こえてくる事実は私には迷惑でかなわない。
私に涙をポロポロと流させるのだ。

荘川のさくらは500年もの長い間こんな人々の人生を垣間見てきたのであろう。
若い頃の母を見守ってくれた荘川のさくらに、いつか挨拶に行かねばならないと思っている。


母がまだ独身時代の写真、右は三人姉妹の真ん中のお姉さんです。

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