見出し画像

日記のような、びぼーろくのような(2023.3.15 京都大原野の春のひろがり)

一昨日、京都は大原野にある放置竹林整備のNPO事務所まで出かけた。
盆地の京都市内は夏は暑く、冬は寒い。三年間京都市内で暮らしたが、旅行に来る場所であって、居を構える場所ではないと京都の皆さまには申し訳ないがそう思った。
この大原野は西京区大原野である。あの三千院のある大原は左京区大原、勘違いされる方が多い。私たちが事務所を置いているのは西京区大原野小塩町(にしぎょうくおおはらのおじおちょう)である。
ちなみにこの西京区を「にしきょうく」と清音で発音される方がいるが正しくは「にしぎょうく」と濁音で発音する。

京都市内だけで約660haの竹林が存在するのだが、たけのこ農家の高齢化によるリタイアや、社会の竹材の需要減などから、今ではその約4割が管理されることなく手付かずのままの放置竹林となってしまっている。
これもまたちなみに、660ha=6,600,000㎡(1ha=10,000㎡)の4割をサッカーコートの面積に換算すると約370面分と、なんとも分かりにくい広大な面積の竹林が放置されているのである。
それは景観を損なうばかりか、近年常態化している大型台風や大雨での土砂崩れを起こす原因ともなっている。そして、放置されてしまった竹林を元に戻すのは大変な重労働であることから、放置された竹林は増える一方なのである。
その整備のためにNPO法人を組織しており、これまで京都南部、宮津市などで実績を作り、ノウハウを蓄えてきた。
しかしながら一法人で出来る事や整備できる竹林面積は限られている。そして、切り出した竹材を竹林資源として利活用する出口戦略はまだ確立していない。

行政も本腰を入れ出してはいるが、行き着くところは「金」の問題になる。
行政としては「防災」「景観」「過疎対策」「高齢者対応」などの命題があるがどれもがまだ直接大きな「金」には結びつかない。

私はこのNPO法人が目指す意義には深く感じ入るところがある。
そしてかれこれ10年以上手伝いをしている。
しかし、私はここに集まる他の人たちとは目的が違うかも知れない。私は20年以上にわたりここの理事長と仕事をし、世話になって来た。理事長の前職は役人である。役人とゼネコンの営業マンでずっと仕事はおかしいだろ、と思われる方がいるかも知れない。でもよく考えてみて欲しい。私たちの税金を本当に生きた使い方をするのであれば「心」が必要なのである。

私は建設業界のことしか知らないが、どんなに立派な設計書や仕様書を作ってもその通り作るだけではいいものは出来ない。そこには建設会社の培ってきた技術を加味し、時には提案もしてより良い、そしてリーズナブルなゴールを目指さなければならない。それには施工の責任者ばかりではなく、支える会社の各部署、関係なさそうな営業まで一枚岩となって同じ方向に向かなければならないのである。
そこに必ず「心」が必要なのである。

理事長とはそんな付き合いをして来た。清廉潔白の四文字のなかで付き合いをして来た。いや、私は理事長の扶養家族のごとく毎晩京都の夜を酒とともに過ごし、公私ともに世話になったのである。
社会の多くを教えてもらったのである。
だから恩返しをしなければならないのである。
この先、理事長が方向転換を考え、タコ焼き屋を始めるというのであれば、私もねじり鉢巻きをして毎晩タコ焼き屋の手伝いに行くであろう。
多くの人の力で成り立っているNPO法人京都・竹・流域環境ネット(通称竹ネット)に一人くらいそんなに男がいてもいいのではないかと思っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?