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修道院のレシピ

フランスのある修道院で戦後若い女性が何かの楽しみを見つけられればと、日本の花嫁学校のようなものを開いた。その料理クラスが使ったテキストが、この『修道院のレシピ』だったそうである。
出て来る料理は家庭料理ばかりである。野菜の料理が多く、我が家の常備野菜と調味料でも作れそうな料理ばかりである。とんでもなく美味そうな料理は出てこないが、身体には良さげな料理ばかりである。あまりに身体に良さげでずっとながめていると退屈してくる写真である。
行方知らずになっていたこの本が部屋の片付けをしているなか出てきたのも何か意味ある再会なのであろう。なんだか久しぶりに会った人間と話をしているようである。人と会うことは刺激になり大きな創造につながる。

もう20年もの間出会うことの無かったゼネコン時代の上司から電話があり、難波の喫茶店で話をした。76歳になったと言う。当時会社の再建が出来るか出来ないかの瀬戸際にあり主力取引銀行から転籍させられて立て直しメンバーの一員としてやって来た人だった。商業高校出身の優秀なバンカーだった方である。今はどうだか知らないが当時のメガバンクは一定数の高卒者を必ず入社させていた。私が当時付き合いしていた大阪の大手電器会社には高卒の経理担当役員がいたのでその取引先の支店長は高卒者にするなどの配慮をしていたのである。私のいたゼネコンはその当時すでに高卒採用は無くなっていた。その後勤めた関西の大手私鉄ではちょうど私が採用された頃から高卒は取らなくなっていた。高卒採用の打ち切りはそれからのどの会社にも少なからずの良くない影響を与えているように感じる。

出会ったその上司は現在人材派遣の会社の顧問をしている。銀行時代の後輩の起こした会社だそうだ。がつがつ働く年齢ではなく、同じ銀行の出身者がいろんな会社の役員でいる。そのほぼすべてはその上司の後輩である。各会社の必要な人材を一本釣りしてきて仕事にしていると言う。
この年代の先輩方は私の知る限り、皆さん異常にお元気である。そして、今は余裕があるということもあるであろうが、皆さん他人の事を考えることの出来る人たちである。この人たちと私たちの年代と何が違うのだろうと考えるがやはり時代の良し悪しになってしまう。右肩上がりの時代、すべて正規採用社員の時代、年功序列の時代、これだけで十分人間は良くなれると思う。それをよく感じたのは勤めていたゼネコンの倒産が巷で囁かれて社内がギスギスし出した時である。やはり、中には本来の姿を出してくる人もいた。でもそれは仕方ない。そんなのが人のキャパシティなのであろう。そんなのを見るのが嫌で私は身を引いたのである。
辞めるわけにはいかないこの銀行出身の上司は、黙って私の行動をみていたと言う。

一緒に酒を飲んだ記憶が無いのだが次は声をかけてみようと思う。奥様が認知症で日中はデイサービスを使っているという。何かあれば近くに住む娘が来てくれる、こんな時は娘がいいなぁ、と言っていた。

なんだか忘れていた何かを思い出した時間だった。この先の人生の肥やしになるような時間であった。一度きりの人生だから、どんな時でも楽しくしっかり歩きたいと思った。
まあまあ退屈な修道院のレシピを持っていて良かったなと思った。


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