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さらば青春の日々

本来ならば、今はまだ秋なのだろう。
晩秋、なんとも懐かしい言葉だが、きっとそんな時期だったのであろう。

もう40年以上も前のこと、大学生の私はこの秋の最後を感じる時期だけまるまる三日間、合気道の稽古から離れて学園祭でおでん屋を出店して酒とおでんを売っていた。代々の合気道部の恒例行事のおでん屋で、OB会から頂戴する四斗樽の酒を売りまくり、合宿費用に充当していた。一年、二年は仕込みや接客でてんてこ舞い、三年からは学内をぶらぶらしていた。今とは違い学内で飲酒も認められていた。秩序の保たれた学内で朝から清く正しく酒を飲んでいた。

実は今年の学園祭には同窓会の監査をやってる税理士の同期に誘われており、一泊で出かけるつもりでいた。しかし、道場の昇級審査と重なっていて、調整出来ずに上京を諦めた。そしたら、そいつが今朝当日の動画を送ってきた。同窓会に全国から集まった先輩諸兄に敬意を表して白い羽織袴でエールを切る女子学生の動画だったのである。聞けば、応援団は無くなってしまったという。それが時代のせいなのかはわからないが淋しさばかりが先に立ってしまった。
私たちの時代でも四季を通して上下黒の学生服の人気は無く、応援団は団員数が少なく私たちが二年になるまで同期はいなかったのである。私たちの先輩が大きな試合のたびに団旗を掲げるために応援で応援団に引っ張り出されていた。応援団の存在を他の運動部の連中で助けていたのである。

で、である。
大学四年の私は最後の学園祭を楽しむために襟をただして朝から酒を飲んでいた。
そこに、私たちが二年で応援団に入ってきた団長がやって来て、理由は忘れたがその時に私はポカリとやってしまったのである。
普通、どんな運動部も応援団も一年から下積みをやって上がっていく、それをいきなり飛び越えて二年の途中から応援団長の男だった。そのエラそうにする顔が気に食わないのは私ばかりではなく、多くの運動部の連中も同じだった。
私がみんなの気持ちを代弁して、忘れてしまうような理由でポカリとやったのである。でも、応援団長のポカリは問題となった。その前年には応援団の後輩二人にヤカンの樽酒を腹一杯飲ませて救急車に乗せていたからなおさらだった。教授会でも問題になり、あの男は早く卒業させろと前向きな判断のできる偉い教授が多く、出来の悪かった私は普通に卒業した。

時代は変わったな、と同期は言う。面白くない学園祭だったとも同期は言う。何が正しくて正しくないか、どうあるべきかといったことは大きな流れに左右されるのは仕方ないことだと私は思う。人を殴るのは良くないことではあるのだが、若気の至りもあれば、勘違いしている上に立つ人間の目を覚ませてやることはいい組織や社会を作り上げるために必要なことかも知れない。

まあ、酒飲みの自己弁護のような話であるが、今どこの大学でも学園祭で飲酒禁止となっていることには疑問を感じる。事件、事故があれば主催者である学生組織の責任に留まることなく大学側にもその責任を問われればどの大学も防衛策を取るであろう。それは間違いではないのであろうが、その前にまともな社会人となっていくための教育や指導も必要なのではないかと思う。大人になりきっていない二十歳前後の青い若者達に現代の親たちの言わないことを第三者の立場からいろいろ教えてやるべきだと思う。
そのための教育機関ではないのだろうか。

私は小、中、高、大学と多くの先生に出会い、薫陶も受ければそれこそ反面教師もいた。考えることを教えてくれる先生が何人かいた。小学校時代の先生とは他界されるまでお付き合いさせてもらった。
息子の担任しか見てきていないが進学のことしか口に出来ない同じような、金太郎飴のような先生にしか巡り会うことはなかった。教師の世界も人材不足、そのうちAI先生が登場するのであろう。
私たちの時代にあったのだが、今は無くなってしまった、欠けてしまった何かがそのままで世の中はもっともっと変わっていくのであろう。

もう5年も前になる、合気道部の60周年行事で久しぶりに学内を歩いた。
一人静かな学内を歩き、忘れ置いて来てしまった何かがそこにはあるような気がした。
それがなんだか判明したように同期の連絡で思えたのである。


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