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夏のみかくの記憶

さあ、昨日の記事の続きです。
陽が当たった温かなブドウの話です。
母の故郷、山形県南陽市赤湯はその名の通り温泉で有名な町です。

そして、ブドウ、サクランボ、米と農業も盛んな町なのです。

私が高校二年の時に自転車で愛知から山形まで行ったことは一度記事にしたことがありますが、上野を通過して国道4号線をひたすら北上し、福島から13号線に入り赤湯に着いた頃にはすでに早い時間の夕方でした。
陽は西に傾きかけ、風が水田の緑を波打たせ始めたようで、その向こうに見える13号線の両脇の山というよりも少し背の高い丘は、夕陽に染まりつつある水稲の波が打ち寄せる緑の島のようでとてもきれいでした。

その背の低い山にはその時、微妙に違う緑と、微妙に違う黄緑が混ざり合うパッチワークにも見えて、その山肌は夕陽を浴びて、それはそれはきれいな光景として私の心に残っています。
そして、そのパッチワークはブドウ畑だったのです。
違う種類や、育て方で微妙に色の違うパッチワークだったのです。
その美しさは私の稚拙な文章表現では『きれい』としか言い表しようがありません。

翌日、叔父貴の働くブドウ畑に従妹に連れられて、登りました。
山の中腹にある神社への参道を登ります。
参道の入り口には大きな鳥居があります。
そして、その横には共同の洗い場があります。
洗い場は昔からあるそうで、温泉地にしては珍しく冷たい地下水も湧く赤湯ならではのその洗い場は、長方形に三つの層に分かれています。
地下水は順々に流れ、地下水の噴出口に一番近い一層目では野菜や食べるものを洗ったそうです。
二層目では食事を終えた食器類を洗い、三層目では赤ちゃんのオシメを洗ったそうです。
一年中変わらぬ水温の地下水は寒い寒い冬場にも、農家の主婦たちを助け、井戸端会議の情報交換の場所ともなったそうです。

その脇の参道の石段を登り、途中から鬱蒼と杉のしげる脇道を進みます。
アブラゼミ、クマゼミの鳴く声が聞こえる、昼でも暗い山道です。
そして、陽射しがまぶしく感じる、背の高い樹々の無くなったあたりからブドウ畑の緑が目線ほどの高さで続きます。
その何面かが叔父貴の世話するブドウ畑でした。

そのブドウ畑は先代、先々代から続くもので私が違和感を感じるほどに低い高さでブドウ棚を作っていました。
でもそれは、想像通りこの棚を作った時代の人たちの背丈が低かったからでした。
叔父貴たちが腰を悪くするのがうなづけました。

私は腰を曲げ、背をかがめてブドウ棚の下を歩きました。
陽に当たり、ブドウたちは太陽の子となっていました。
下草はきれいに刈り取られ、延々と続くぶら下がる大切に育てられたブドウと葉の隙間から、所々地面に射す陽の光はブドウに吸い取られることなく地表に吸いこまれ、それもまた巡ってブドウに吸い取られていくのだと思いました。

叔父貴に「食べたいだけ食べろ」と剪定鋏をもらい、切る場所を従妹に教えてもらい一房を選びました。
生まれて初めて食べたもぎたてのデラウェアでした。
水で洗うことも無くかぶりつきました。
私はいつもこのデラは直接かじりつき、一度に数粒を口に入れて皮をまとめて吐き出します。
子どもの頃からずっとそうです。

この時のデラウエアの味が忘れられません。
温かなその実に太陽を感じました。
冷蔵庫で冷やしたデラも好きです。
でも全く別な食べ物を口にしたように憶えています。
自然の恵みを食するってのはこんなことを言うんじゃないでしょうか。

金さえあれば口に出来ないものはなく、スマホで玄関まで料理が届く。
こんなに便利なことはないと思うべきか、努力の末に口にするモノの美味さを貴ぶかは個人の好みでかまわないと思います。

でも、太古から人がそうしてきたように『自然の命をいただく』、そんな実体験をしても損は無いような気がします。


てなことを考えながら、夜中にひとりハモ皮の酢の物を突きながら熱燗に舌鼓を打ったのでした。

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