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傍から見る他人のまんぞく

兄のいる障害者支援施設から「個別生活支援計画書」が送られてきました。
生活支援を受ける兄たち個々人が施設運営者と話し合いを行い、年間を通じての支援目標を定めてそれに向けてどんな支援を行っていくか、受けていくかの計画書です。

兄の希望、やりたい事、行ってみたい所も具他的に聞き取ってくれています。
その中に『前芝の海に行きたい』という一文が目に留まりました。

豊橋市前芝町、子どもの頃住んでいた豊川からも車で20分ほどでしょうか、三河湾に面した前芝海岸へはよく春から夏にかけて潮干狩りに行きました。
堤防にはあちこちから来た自動車が数珠のように止まり、今とは違い、天然のアサリとハマグリまでもが子どもの私たちにも採れたものです。
でもそれは50年も前の記憶です。
前芝の対岸は埋め立てられ工業団地となり当時の雰囲気とは様変わりしています。

私が思うに、兄は潮干狩りは好きではなく、ある日曜日にめったに出かけることのない父が軽バンで出かけようと言い出した日のことを覚えているのでしょう。
母は日曜出勤、当時会社の登山部や釣りクラブで父は日曜日も家にはいませんでした。
その罪滅ぼしのように「出かけよう」と私と兄を連れて出たのです。
その時向かった先が前芝だったのです。

私からしたら、いつも子ども同士で行ってるそんな場所は面白くありませんでした。
前芝の神社の境内で父は持参したキャンプ用のコンロで湯を沸かしてラーメンを作り始めたのです。
行きたくもない場所に連れてこられ、「インスタントラーメンかよ」とふて腐れて私の蹴とばした地面の砂は舞い上がり鍋に入りました。
父は何かを言いたそうでしたが、黙ってそのまま3つの器に分けました。
胡椒のように舞い降りた砂埃はザラザラとラーメンとともに口の中に入ってきました。
なのにその時、妙にはしゃいでいた兄を思い出すのです。

めったにない父との外出に兄はうれしかったのかも知れません。
外で食べるインスタントラーメンは最初で最後の思い出だったのかも知れません。

50年以上経って兄の支援計画書を目にして、自身の身勝手な残酷さを感じています。
感じる環境と能力の違いで同じことでも天と地ほども変わってくることも。
この流行り病の中、この九月まで兄との面会は叶わないそうです。

兄の過去の小さな世界での出来事を私は知りませんでした。
そして、兄の今の小さな世界での出来事を知りません。
皆が同じかもしれませんが自身の持つ世界で生きて行きます。
その中での満足は本人にしか分かりません。
良いと思うのか、そうは思わないのか、主観は傍からは分かりません。
砂の入ったラーメンでさえ、極上の至福の味に思えることもあるのです。

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