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母をたずねて三千里

先週東京の伯母の弔問に行ってもう一週間が過ぎている。一時期母、兄、母の姉二人、台湾にいる私の母のような黄絢絢さんに月にニ、三度ハガキを書いていた。
母が亡くなり、伯母も二人ともいなくなってしまった。残る兄と絢絢さんにハガキを書いているが二ケ月くらい前から絢絢さんと連絡が取れなくなっていた。
95歳になる絢絢さんはもう5年も前から手紙は書かなくなっていた。筆まめの絢絢さんであったが、年齢には勝てない。私も事ある毎に「返事はいらん!」と言い続け、一方的に送り続けて来た。
そして、着くと必ずLINEで電話がやって来た。今いる老人ホームの職員の女性にかけてもらっていた。日本語の勉強をする若い女性がいるそうで絢絢さんの年季の入った達者な日本語で勉強をしているそうである。双方には持ちつ持たれつのいい関係が出来上がっているようであった。

返事はいらんとは言いながら二ケ月も空くと心配になり、日本に帰化した絢絢さんの甥っ子に電話するが通じない。そして、ハガキの最後に Are you alive? と書いて出してみた。
すると、昨日春分の日に台湾から電話が来た。絢絢さんの甥っ子の娘さんだった。とりあえず「絢絢は生きている」とのことであった。「LINEの取次の女性がいなくなった」とも。今、台湾に帰ってきていると言っていた。彼女は今早稲田大学の学生である。
台湾のコロナの状況はだいぶ緩やかになっているそうだが、高齢者介護施設ではまだ厳しい警戒が続いており、部外者は中には入れないとのことであった。渡台の意向を伝えると、その時には絢絢を台北市内まで連れ出すから予定が固まったら連絡をくれと言った。

「う〜ん、、」考えてしまう。行けばずいぶん気も金も時間も使わせてしまうであろう。親切で裕福な一族ではあるが、歓待される私の心が持たない。
その旨をハガキじゃなく手紙にしたため時期を延ばそうと思った。
ある日突然サプライズで登場してやろう。顔を合わせて話をしてこようと思う。これまでたいていの事は話し尽くし、最近は電話でも繰り返しが多かった。95歳という年齢なりの老化を感じる。それでも顔を見せて同じ話を何度も何度も聞いてこようと思う。
海の向こうの台湾の母に私が出来るのはそれくらいなのである。
絢絢さんの生存確認の出来た安堵の春分の日であった。

昨日は久々に朝から胃が持たれていた。どうしてか考えると一昨日の夜の痛飲であった。古希を迎えた先輩二人は私より酒が強い。まずは冷や酒、それからハイボール次は燗酒、「喉が渇く」とビールの栓を抜かせる。この時期だけのホタルイカの一夜干しが美味かった。気が付けば二人につられて飲み過ぎていた。そこで別れて一人歩く心斎橋の夜風は私の背中を押して駅に向かわせてはくれなかった。「そうだ、美味いエビフライを食って帰ろう!」と思い立ち、先週の八尾の洋食屋での悪夢、まさかの美味くないエビフライを食べた悪夢を払しょくするために串カツ屋に寄ったのである。豚カツ1本、牛カツ1本、エビカツを3本も頼んでしまったのである。
でも、エビの串カツは美味かった。でも、ここでもチューハイを二杯、、。
翌日の胃もたれは予想できたことであったにも関わらず、毎回後悔を繰り返す。
まったく学習の出来ない男だと、少しの間だけ反省した。



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