見出し画像

不義理という言葉

義理とか人情といった言葉が嫌いじゃない。
そんなことを大切にこの歳まで生きて来たように思う。

しばらく行ってなかった飲み屋がある。
大阪に来たばかりの時に先輩に連れて行ってもらった店だから行き出してもう30年以上にもなる。足繁く通っていたわけではないが、忘れることなく時々行っていた。JRの高架下、大阪駅の至近の店だから待ち合わせにもちょうどよいのである。30年前からスタンド形式の立ち飲み屋である。酒は洋酒が中心、ビールはあるが日本酒は無い。食べる物は写真の通り、食を求める場所ではない。バーボンのロックか炭酸割りをいつも2、3杯。キャッシュオンデリバリーでいつでも店を出ることが出来る、そんなのが気に入っていた。

初めに私を連れていってくれたゼネコンの先輩が店の親父と小学校の同級生だった。その先輩は私の一回りほど歳上の方だからまだ70代であろう。
当然店の親父も70代ということになる。会話はほとんど無かったが私に時々話しかけてきた。「兄さんもう20年になるね」その次は「兄さんそろそろ30年になるね」それが私の憶えている最後の言葉なのである。先週神戸で遅くなり何となく気になって大阪駅で降りて寄ってみた。半年ほど来てなかっただろうか、いつものようにバーボンの炭酸割りとエッグというここだけのアテ(焼いた器に生玉子を落とし、自分でグルグル固めるやつ)を頼み、バーボンを飲みながら奥さんに「親父さん元気?」と聞くと、「5年前に亡くなったわよ」と言う。そう言えば顔を見てないなぁとは思っていた。

私は人恋しくて飲み屋に行くのではない。だから常連客の話に加わることは無いし、店の人間に話しかけることも滅多にない。だから30年以上通ったのに憶えている親父との会話はその二言くらいなのである。親父も飲食のプロである。私をそんな男だと思い、かけて来た言葉はそれくらいだったのであろう。
半年ぶりの店はなんだか変わったなぁと思っていた。いや、それ以前から何か変わったなぁと思っていた。だから足が遠のいていたのだ。やはり生きていればそこに居なくとも親父の存在感があったのだろう。なんとも心地良い空気感のようなものがあったような気がする。それがなんであるのかは分からないが、多分それが大切な事だということは分かる。

親父に義理も借りも無いのだが、なんだか不義理をしちまったな、と思って遅い時間のJRに乗ったのである。
親父が死んでからのコロナのこの3年間は奥さんも大変であったろう。この先も100%客が戻ることは無かろう。またのぞいてみよう、そう思って夜のJRに揺られたのである。
不義理という言葉は曖昧である。私は義理を欠いているわけでは無く親父も不義理をされたなどとは思っていなかっただろう。それでも不義理を感じたのである。酒に私は縛られることは無い。でもいい意味で人に縛られることはある。それを暫く忘れていたことに不義理を感じたのだろうか。
人が飲み屋に惹かれる理由はまちまちであるということなのだろうか。
そんなことを考えながら店が変わった一つの理由がわかった。早い時間に行くと親父がボウルでこねていたレーズンバターが美味かったのを思い出した。あれが無かった。あれをもう一度食べてみたいと思い出した頃には自宅の最寄り駅の八尾駅にJRは私を運んでいた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?