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日記のような、びぼーろくのような(2023.08.24三竹士の戦いは始まる)

見上げれば空は青かった。
久しぶりに若じぃはぼんやりと白く霞むことのない青空を見上げていた。
その時すでに三竹士の若じぃの迷いは吹っ切れていたのである。

「空へ若竹のなやみなし」

若じぃはGoku住職から贈られた山頭火の句を目にし、吹っ切れていたのである。
ここ数年来続く飢饉のため大原野の村人たちはすでに働く気力を失いこのままでは将来のある子ども達までもが巻き込まれてしまう。
若じぃは無策な日和見主義者の集まりの政府に一策を投じるために江戸に向かったのであった。

途中、西京極の障害者支援のための作業所に立ち寄り、竹炭を詰めた京の都風の匂袋を発注していった。
竹は焼いて炭にすると質量は1/10にもなり、もともと繊維の束のような構造の竹の多孔質さ(多数の細孔(小さな穴)の空いた状態)はさらに強まり、その穴が臭いの分子を吸収する。だから、竹炭は非常に有能な消臭剤なのである。NPOで竹炭を焼き、作業所の若い利用者たちが袋を縫って詰めていくのである。作業所の自助努力による利用者たちの年間の賃金が翌年の奉行所が作業所に出す補助金の計算根拠の一部になっていくのだ。そんなやり方は力のある大きな作業所ばかりを優遇する不完全なやり方である。ただでさえ健常者の収入とは雲泥の差があり、障害者を平等に扱っていないように若じぃには思えた。なんともやるせない腹立たしい気持ちは若じぃの腹の中に募るばかりであった。

若じぃが若い頃ともに太平洋の彼方を目指し江戸の道場で合気道の稽古をした男が今は江戸で大きな保険会社の役員として経営に携わり、竹炭の匂い袋を会社のノベルティグッズとして若じぃの竹のNPOから買ってくれることになっていた。作業所で下打ち合わせを済ませて若じぃは京都駅から新幹線に乗った。

京都町奉行は『農福連携』と聞こえの良いお題目ばかり掲げる。短気な若じぃには臭いもの同士寄せて気まぐれに予算を計上しただけのように思えるのだ。一度放棄した耕作地を甦らせるのには何年もの時間がかかり、新たに始める農業は1年や2年の短期間で根強くものではない。障害者達がそこで農業で生きていくことが出来るまで奉行所は予算を捻出して付き合ってくれるのか。これまでの全ては民間頼り、NPOと聞こえばかり良いが世の多くのNPOは自転車操業とボランティアで世のため人のためとなっているのが実態である。

「まぁ、そう言うな」と、奉行所のOBでもあるNPOの理事長のおじぃ(長老)は若じぃを諫める。諫めながらいつまでも失せさせることの無いその熱さに好ましいものを感じていた。
しかしおじぃは最近の若じぃの行動に不審さを感じ、膝を悪くしたと言ってつく竹製の杖を気にしながら見ていたのであった。


さて、若じぃはこの先何をするつもりなのでしょう。
誰も知らぬ話、過去とも未来ともつかぬ若じぃの世界はGoku住職の記事によって生まれました。
こちらがGokuさんの記事です。


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