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ラジオを聴き、そして思い出した

もう30年も前の記憶である。色褪せたその記憶は今なお私の頭のなかに残り、同じような田舎道を車で走るといつも思い出す。当時私は奈良県北部、法隆寺まで車で15分くらいのところに住んでいた。そしてある縁から三重県志摩の漁師町へ年に何度か通っていた。いつしかその行き来の道は私にはすっかり見慣れた緑多い愛すべき風景となり、四季の緑の濃さの違いや咲く花々の淡い赤や黄の彩りに心を許すようになっていた。

その時は小学生の息子を助手席に座らせて自宅に向かい走っていた。三重の県境から京都府下に一度入り、川沿いの国道を奈良に向けて走っていた。川沿いのまっすぐな道は私を眠りに誘い、息子は横でぐっすり眠っていた。すると前方に地元住民らしい白装束の男たちの行列が神輿のようなものを担ぎ車道を遠慮がちに進むのが見えた。眠さと戦い運転していた私も気を付けて通り過ぎたのだが、その時に目に入った神輿と見えた担ぎ物がどう見ても棺桶だったのである。それも人間が横たわる棺桶ではなく、時代劇で時々目にする昔の風呂桶のような棺桶だったのである。引き返して確認してみたかったのだが、後続車があり、道は狭く、バックミラーをチラチラ見ながら遠ざかったのであった。

土葬をするために墓地に運んでいく途中だったのであろうと想像し、なんだか見てはいけないものを見てしまったように思え、ずっと引っかかっていたのである。調べたこともなかったのだが、その時私は日本において土葬などしてはいけないものだと勝手に思い込んでいたのであった。でも、その後、機会があって日本の法律で土葬が禁じられていないことを知った。信仰の自由に触れるのである。お釈迦様が火葬されたから仏教では火葬が当たり前であるが、イスラム教やキリスト教カトリックは死者への尊厳や復活のため土葬なのである。そして、仏教徒のなかにも土葬を慣習として残す地域があると知った。

そんなことを土曜日の明け方のNHKラジオ深夜便『これまでのお墓、これからのお墓』での 僧侶・ジャーナリスト 鵜飼秀徳氏の語りで思い出していた。現在の日本では99.9%以上が火葬だそうである。でも0.1%以下の年間百数十人が土葬で葬られると言っていた(いや、希望するそうである)。そしてその地域は奈良北部・京都南部・滋賀などの一部に限られているそうである。と、いうことは私があの時に見た光景は間違うことなく土葬直前の移動の姿だったのであろう。鵜飼氏の話で再びあの日の記憶がまざまざと甦ったのである。

しかしである。この歳になり、人の死に立ち会う機会が増え、死生観というかそれ以前に墓のことをずいぶん考えるようになった。両親は実家のあった愛知県豊川市の豊川稲荷にすでに墓所と墓石まで求めていた。私も一時期育った土地ではあるが、両親亡き後にたびたびの墓参りも掃除も守りも定期的に行う自信は無く、両親には申し訳ないとは思ったがこの権利は放棄させてもらった。残された兄の見守りを続けることの方がこの世にいなくなった人間に身を削ってまでの手間暇をかけるよりも私には重要なのである。両親には八尾市営の納骨堂に納まってもらい時々手を合わせに行っている。そして、私の身の処分を含めてこの先の最終的な結論をいずれ出すつもりである。

限られた面積しかないこの狭い日本でこれ以上墓の面積を増やすことは、人口減少に逆らい新築マンションがどんどん増えるのと同じくらいナンセンスな事のように思う。深夜便を聴いていて『コンポスト葬』がいいなと思った。地球上で生まれ地球に帰っていく。地球の質量はいつもプラマイゼロなのである。地球から湧いて出てきた人間が土になって帰って行くことは自然なことのように思える。そんな先進の考え方の埋葬法を認めている国はもうすでにあるそうである。活用できる土地が狭くなればなるほど地価は異常に高騰し、死んだ人間たちのために金も時間も費やさねばならない、ご先祖様はそんなことを喜ぶのであろうか。敬い供養する方法はもっと違ってもいいんじゃないかと思う。限られた地面を本当に活用できるスタイルで未来に残すためにそんな埋葬がいいなぁ、と酒も飲まずに考えるのであった。


※本文とヘッダー画像にはまったく因果関係はございません。


この記事の舞台と同じ方面でのことでした。


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