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日記のような、びぼーろくのような(2024.1.17 冬のある日に思う私の目標)

冬枯れの京都西山大原野、夜勤明けの朝にNPO法人京都発・竹・流域環境ネットへ向かった。
社会問題ともなっている放置竹林整備を目的に運営しているNPOである。手伝いに通いだしてもう10年にもなるであろうか。実は私はここで竹の1本も切ったことがない。私の一番の目的はここの理事長への恩返しなのである。

理事長は私が20年ほど前までやっていたゼネコン営業マン時代に京都府下で限りなく世話になった方である。当時理事長は役所勤めの公人であり、民間の営業マンである私などと付き合いをしてはならない方だった。にもかかわらず、仕事の相談場所はいつも祇園だった。それも誰が見ているかわからないから、お前は金を出すなと私はずっと扶養家族のように理事長に世話になり続けた。なぜそこまで理事長がしてくれたか、今となってはよく思いだせないが、まずは当時の理事長の仕事だったかも知れない。住民の人権を守るセクションの責任者だった。京都は歴史がある町である。かつては天皇が住み、大きな町のなかで住民たちの立場は細分化され、北にある御所を天にして一条、二条、三条と北から南に向かって住み分けをさせていったのである。長い歴史はきらびやかな美しい文化遺産や歴史的建造物のみを残したわけではない、私たちが目を背け知らぬ顔をするわけにはいかない負の遺産も作ってきたのである。そんな中での問題解決や生きにくい思いをしている人達の手助けが理事長の仕事だった。

そんな理事長の誰にも公平な優しさであろう。ずいぶん勉強させてもらった。いろんな場所に連れて行ってもらい、いろんな人に合わせてもらった。まだまだ世間知らずの私に物事の考え方を基礎から積みなおしてくれた人なのである。同じ建物を建てるのであれば気持ちの通じた相手に仕事をしてもらいたい、そんなことを言っていつも祇園でいろんな話を聞かせてもらった。NPOであるから当然と言われればそうなのであるがほぼボランティアで活動を続けている。しかしながら、活動費用は何とか捻出しなければならない。過去の仕事柄か、もしくは性格からなのか理事長は金もうけが苦手である。だから少しでも手伝えればと思い私は足を運び続けてきた。
事務所にはいつ行っても来客の絶えることがない。理事長の人柄に惹かれて来る人間ばかりである。
そして、理事長の優しさは人間に対してばかりではない。防災にも関係する放置竹林整備である。行政とも歩調を合わせながらともに進んでいる。住民に竹林整備の意義を伝え、防災に加えて竹林の整備された豊かな里山から豊かな水を桂川に流し淀川に伝え、そして大阪湾を豊穣の海にしなければならないのである。大きな自然の循環を整備することも視野に入れての活動なのである。自然にも優しい理事長なのである。

終わることの無いこの活動の目下最大の課題は後継者問題である。この理事長の後を継げる人間はなかなかいない。でも考えなければならない時期にさしかかっている。今年は金儲けとこの後継者問題をなんとかするのが私の目標である。


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