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もう一人の森の話

前回の記事で高校時代の同級生の森のことについて書いたが、実はもう一人森がいた。

森典幸(もりのりゆき)、いつもノリと呼んでいた。たぶん私の親友と言える男だった。
そして彼も真面目な男だった。一緒に通った高校は豊橋市と豊川市の境あたりの田んぼの真ん中の新設校だった。私の通学路は旧国道1号線、東海道を一直線、自宅から10分ほどの道のりだった。ノリの自宅は私の家からさらに20分ほど離れた東海道五十三次の赤坂の宿、御油の松並木を通り過ぎて少し行ったくらいだった。違うクラブに所属していたのでこの通学路を共にするのは朝と定期試験期間中だけだった。

ノリは腎臓を悪くして在学中しばらく休んだが、留年するほどではなかった。彼は信州大学の数学科に進んだ。どうしても浪人はできないから志望は落としたと私は聞いていた。お母さんは病弱で病院と行き来しており、家は裕福ではなかった。奨学金をもらい、アルバイトに励みながら、剣道部に入って大学生活を満喫していると時々葉書をもらった。そして初めての夏休みには帰って来て、ずっと近所でアルバイトをして、時々顔を出してくれた。

ノリは私が魚市場で働いており、私のいない時間を知っていた。
なのに自分の都合でやって来て、昼前からでも平気で私の母を相手に酒を飲んでいた。お母さんはその頃病院から帰って来れなくなっていた。気の良い私の母を相手に酒を飲むのが楽しく、私がいない方が良かったのかも知れない。ほどなくしてお母さんが亡くなった。私の母がたまたま見舞いに行った時に息を引き取った。ノリは翌朝一番の電車で松本から帰って来た。ちょうど新学期の始まる前、松本に戻ったばかりだった。泣くノリの顔を見るのは辛かった。

それから1年間夏休み、冬休みと休みのたびに顔を出して相変わらず母を相手に酒を飲んでいた。そして春が巡って来る。お母さんに連れて行かれたかのようにノリは死んだのである。母の出したビールを飲み、帰って夕方豊川の信大剣道部の人間との飲み会に出かけた途中に自動車との接触があったらしく即死してしまい、しばらく誰にも気付かれることはなかったのである。豊川市の姫街道、東海道にある浜名湖の新居の関所を故あって通れぬ女性が多くの危険を冒して通った山道、街道である。少なからぬの女性や姫君たちが受難したその街道でノリは死んでしまったのである。目撃者の出てこないなか、ノリはこの世から居なくなってしまったのである。それが私の親しき人間との生れて初めての今生の別れであった。

血縁でもないのに気がつけば家にいた。兄とも上手に付き合ってくれ、兄も母もノリが好きだった。私の兄弟のような男との付き合いは唐突に途切れてしまったのである。寒い春にお母さんは先に逝き、寒い春にノリも逝ってしまった。葬儀で坊主が「想いだしてやることが一番の供養」だと言った。坊主に言われなくともいつも想い出した。
寒い春はいつも私に死んだあいつを想い出させる。寡黙な、本当の春のように温かな男だった。

もう、半世紀も昔の話、風化しかかり、そのうち私が死んでしまえば、ご家族以外、誰にも想い出されることはないであろう、森という男の話である。


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