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エッセイ 菊地教室『納得』

頑固な子どもであったそうな。
一度決めたことは何が何でも最後までやり通す、そんな頑固さがあれば今頃何かを大成できたであろう。
しかしながら私の頑固さは納得できなければ進みださない頑固さであった。

親から継いだ持って生まれたものってことはあるかも知れない。でも両親は頑固といった感じではなかった。言い方を変えれば母には頑なかたくなさがあったかも知れない。そしてその頑なかたくなさは病身の兄の成長とともに強く大きくなっていったように思う。その行き着いた先が『アルツハイマー病』だったんじゃないかと今でも思っている。それくらい兄の事に関しては頑固なほどに頑なかたくなだったのである。

それに引きかえ私の頑固は兄との生活が密接になるに従って崩れていったのである。
父のC型肝炎は末期のガンに移行し、母のアルツハイマーはさらに深刻になっていった。そんな中で兄がまともに生活出来るわけがなかった。グループ会社内でもまだ取る人間がいなかった介護休職を申請して愛知の実家に乗り込んだ。父の看取り、母、兄の終の棲家探し、しかも兄はその時静岡に入院していた。時には大阪まで戻らねばならない用事もあった。大阪、愛知、静岡と転々として、その時その場所で即座に血を吐くような返答を迫られることが何度もあった。

納得なんてものはまったく関係なかった。ただ、前進することのみを考えていた。そうでなければ私が生きていけなくなってしまうのだ。『両親がまともならばどう考えるだろうか』それだけで答えを導いた。切羽詰まった日々が続き納得がだんだん柔軟化していったのである。
私に限ったことではなく、年齢とともに誰もがそうなるのだと思う。
多少懐疑はあろうとも無理やり納得できるようになる。

長くを生きることで多くを知り、多くを経験して、寛容になっていくのが『納得』なんだろうとこの歳になって思っている。
さもなければあまりに生き辛いこの世の中である。
(800字くらい)


菊地正夫さんが通われている早大エクステンションの花井教室でのエッセイの題目が『納得』だったそうです。
菊地さんにお声がけいただき、今回です。
またもや陰気なエッセイでした、、、


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