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JR西日本 大阪環状線玉造駅

大阪環状線玉造たまつくり駅、玉造の名称が示す通り古墳時代に勾玉まがたまなどを作る玉作部たまつくりべがあった場所のようである。

漢字で成り立つ地名が好きである。
地名の成り立ちを考えることが好きである。
三重県から大阪梅新交差点(梅田新道交差点)まで続く国道25号線沿いに私が今住む八尾市がある。
この25号線沿いに法隆寺があり、八尾には弓削ゆげ鞍作くらつくり太子たいしと聖徳太子が関係し、出来上がった街の名残が地名で残る。
そして国道25号線は聖徳太子が建立した四天王寺の脇を通り、玉造あたりまで来る。

この旧名である奈良街道は一本だけではない。玉造からほぼまっすぐ東に向かう暗越くらがり奈良街道というのもある。
これは奈良との県境にある暗越峠くらがりとうげを越えるルートである。国道308号線は狭い急坂の石畳のこれでも国道なのか、と思うような道なのである。
しかし、この暗越奈良街道は平安京からの最短距離で当時は通行人で賑わった街道だという。

この国道308号線暗越奈良街道はこの note の国道愛好家である著述家の『くにみち』さんの記事に詳しい。


このふたつの国道は生駒、金剛山地を越えて、合間を縫って平安京へと続くのだが、私の行いが悪いからではあるが『暗い』イメージしかない。
さすがにこの暗越峠は夜中に越したことは無いが、深夜の25号線は不気味であった。
昼間に車で通過しても、JR大和路線に乗っても、なんとなく不気味な雰囲気のあるエリアである。


さて、この玉造から東に少し進んだところに谷町筋がある。大阪城の北端くらいから谷町1丁目がスタートし、谷町5丁目にある男性化粧品メーカーの本社兼研究所の営業を鬼軍曹の部長のもとで通った時期がある。
この部長、部下に仕事を覚えさせる気は毛頭ない自分だけよければよい、経営者タイプではない営業一筋のご仁だった。

そんな仕事が面白いわけがなく、一人であたりを彷徨さまよい、夕方に後輩を呼び出して飲んだのが『空堀からほり商店街』の飲み屋だった。
その名の通り大阪城の堀から由来する地名である。三の丸の空堀からほりがこんなところまであったそうである。そして、当時の空堀商店街は今ほどの活気は無くもっと静かな商店街だった。
第二次世界大戦で焼け残った地域で趣、時代を感じさせる古い建物の残った場所である。

大阪、いや関西中、酒と縁の無い場所はないかも知れない。
嫌いではないが、飲みたくて飲む酒ばかりではなかった。
今回、大阪の地図をしげしげと眺めていると思いだすのは飲み屋ばかりである。
もうここまで生きて来れば大望は無く、日々健康に生きて行ければいいようにも思う。
歳をとったなあ、と思いつつもここまでのあまりの短さに、この先まだなにかが出来るんじゃないかと思ったりもする。
そして、そんな自分をやっぱり普通の人間なんだと思う今日この頃である。

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