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いつものわかれのように

大学の同級生から連絡があった。
10年ぶりくらいだろうと思う。
大学時代の付き合いは、ほぼ体育会の連中か、合気道の関係ばかりの中、珍しく在籍していた人文学部の友人である。

当時、私には悪い癖があり、どんなに酔っ払って帰っても必ず本を読んで寝ていた。
その晩は、彼に借りた三島由紀夫の『実感的スポーツ論』を開いた、そして珍しくもどしてその本を汚してしまった。
その本は返しそびれたまま、まだ借りっぱなしで私の書棚の片隅にある。

『元気にやっているか?』とのメールであった。
『元気にやってる。』と返信した。卒業して36年、こんなもんである。
15年ほど前に出張でやって来た彼と新大阪駅近くの居酒屋で一杯やった。
何を話ししたのかも覚えてない。
友というのはそんなものかも知れない。
『元気か?』
『元気だ。』
男の付き合いはそんなもんでいいと思う。
ただ、この歳になると自身の健康、家族の健康、特に親のことが気になる。
気になってもう一度メールを送ると、父親の認知症のことが返事にあった。
同じ年齢、似た悩みを抱えていた。

そして、彼のお母さんが卒業前に急逝したことを思い出した。
私は卒業直前に実家の豊橋に向かう途中、生まれて初めて三島で途中下車して彼のお母さんの霊前に手を合わせたことを思い出した。
婆さん子だった彼は、農業をする彼の祖母が帰省すると丼一杯のネギを刻んでくれており醤油をかけてご飯の友にするんだ、と言っていたことも思い出した。
熱いご飯に刻みネギ、さぞ美味かろうと想像したことも思い出した。
そんなこんなを思い出しながら、そのうち一杯やろうとメールは終わった。

たくさんの思い出は過去のことである。
あの頃語った夢は未来に向かっていた。
そのうち必ず会う日は来ると思う。
その時何を話すのだろうか。
少しはしんみりするのもいい、でもあの頃彼のアパートでウイスキーをチビチビ飲みながら話したようにまた未来に向けて笑って話をしたい。
ほんのしばらく会わなかったように顔を合わせて話をして『それじゃあ、またな。』と別れる日にしたいと思う。


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